二人の剣士
第八話。重要人物登場、かもしれない。
用心棒といってもしなければならないことはないということで、狼刀はイソリと共に訓練所という場所に向かった。
道場、とは違う。壁は石積みだし、床は土だ。それではなぜ道場という表現が出てきたか。それは、そこで訓練に励む人の姿を見たからだった。
規則正しく並び素振りをする人、藁人形相手に剣や槍を振る人、それらを見ながら指導をする人。その光景は、道場というイメージが近かった。
「あぁ、驚きますよね」
戸惑う狼刀を見て、イソリが苦笑いを浮かべる。
「僕はずっとこんな方法でやってきたんですよ。それを話したら、採用されちゃって」
馴染みがないですよね。とイソリは笑う。
狼刀は終始戸惑っている様子だったが、馴染みがないからというわけではない。むしろ、その光景には馴染みがあった。
「なんで……」
「え?」
狼刀の漏らした呟きに、イソリが目敏く反応する。
「あ、いや、なんで俺に剣術を習いたいって?」
狼刀は思わず誤魔化した。
「あ……それは、その、同じ匂いがしたんです」
狼刀は首を傾げながら、さりげなく腕の匂いを嗅いでみる。
「いや、そうではなくて……」
イソリは困ったような顔で、狼刀にとっては衝撃的なことを語り出した。
「僕はもともとこの世界の人間ではないんです。それで、あなたもそうではないか、という気がしたんですよ。なんとなくですけど」
狼刀は言葉を失った。
「あ、すみません。こんなこと言ってもわからないですよね」
「いや、俺もこの世界の人間じゃない」
狼刀はイソリに詰め寄った。初めて見つけた自分以外の異世界人である。二人は互いに貪るように話をした。
マナティに関わること。
この世界に関わること。
狼刀やイソリ自身に関わること。
イソリ・ケンジ。本名は五十里剣治。元の世界では二十五歳。今の時代珍しい剣術道場の若頭だったが、経営が立ち行かなくなり、借金を重ねた末に、自殺。
天使マナティによってこの世界に転移させられたが、魔王を討伐することは叶わず、諦めてこの世界で普通に生きていくことになる。半ば捨てられたような形で、この世界での生活に困っていたところを、セイントに認められこの城の兵士になったという。
魔王の目の前に転生されられた狼刀も大概だったが、役目を終えた瞬間に魔王がいないところとはいえ異世界に身一つで放置されるのもなかなかに大変だ。
あるいは、狼刀も諦めていたら同じように捨てられていたかもしれない。
「俺に剣術を教えてくれないか?」
イソリの話を聞いた後、狼刀はそう切り出した。
剣術を習いたいと言ってきた相手に、教えてくれとは本末転倒だ。だが、部活で剣道をやっていただけの狼刀が、剣術道場の若頭よりも強いわけがない。
イソリはブラストに負け、狼刀がブラストに勝ったのは事実だが、イソリより狼刀が強いとはならないのだ。
「剣道は部活でやっただけで、この世界で生きていくには不十分だと思うんだ」
実際に狼刀が剣技で上回った相手というのは、この世界にはほとんどいない。魔法使いタイプの魔王は別として、他の敵は聖水や盾、秘宝などアイテム便りだ。武器を持ったあくまのきしやデュース城の魔物には、剣技で負けていた。
「だから、強くなりたい」
狼刀は自分に言い聞かせるように、呟いた。
「なるほど……よし、僕もできる範囲で協力するよ」
イソリは狼刀に向けて右手を差し出す。狼刀も右手を出し、二人は握手を交わした。こういった意思疎通の手段も、異世界人同士ならではだろう。
「さあ、そうと決まったら早速やろう」
こうして、狼刀は兵士団に混ざって剣の鍛錬をすることになった。型にハマった剣道ではなく、イソリが学び、研いてきた実践剣術だ。
もちろん。狼刀が身につけてきたものも無駄にはしない。猿真似ではなく、狼刀流の実践剣術を会得するのだ。
一歩目は、片手で剣を振ること。
剣道が根本にある狼刀は、片手剣を持ったときも両手で構えていた。両手で振ることに全くメリットがないというわけではないが、片手が空くメリットのほうが実践では大きいという判断だ。
「はっ!」
狼刀が片手で振った模造刀をイソリは素手で受け止めた。斬れこそはしないが、重さは真剣と変わらない。その振り下ろしを、片手で受け止めたのだ。
「軽いね」
イソリが笑みを浮かべる。
「力が入らないかい?」
狼刀は首を傾げた。はっきりいって、彼にはよくわらない。剣道では常に両手で竹刀を握っていたのだ。刀を片手で持つという感覚が、そもそもわからない。
「鍛えがいがありそうだね」
イソリは愉しそうな笑みを浮かべた。
たった一日で会得するというのは無理な話だ。それでも、部活のノリとはいえ神童などと呼ばれた男の才能は伊達ではない。
周りの兵士達が一日の鍛錬を終える頃には、不自由無く片手で刀を振れるようになっていた。もっとも、イソリとの模擬戦では一撃も決められなかったが。
「強いですね。五十里さんは」
「そうだね」
イソリは真剣なトーンで呟いた。
「君は僕より弱い。なのに、僕らが多勢で勝てなかった相手に君は勝った。おかしいとは思わないかい?」
狼刀が苦笑いを浮かべる。改めて自分が弱いと言われると堪えるものがあったが、イソリの言うことももっともだと。やり直しての結果ではあったけれど、致命的な弱点を見つけたわけでもなければ、自分が特別強くなったわけでもない。
剣技や実戦経験という意味では完全に劣っていたのに、狼刀には勝って、近衛兵長やイソリは負けた。
「君は、なにか特別な力でも持っているのかい?」
羨むような視線を向けるイソリに、狼刀は答えを返せない。代わりに口をついて出たのは、
「強くなりたいです」
そんな言葉だった。
元の世界。その中の剣道だけで考えても、狼刀より強い人は数多くいた。部活の先輩や大会で戦った相手に指導してくれた人々。それでも、この世界に呼ばれたのは他の誰でもなく、狼刀だ。
来なかった人の分まで強くならなくてはならない。
義務感とも、焦りとも思えるそんな感情が狼刀の中には存在していた。
「ああ、強くなろう」
イソリは深く頷いた。剣術道場の若頭であった彼の中にも、同じような思いがあるのだろう。
そんな二人の剣士の前に、白衣の男が現れた。
「あなたが、ですか?」
紫色の髪をした三十路くらいの男。中肉中背というにはやや痩せ型だが、しっかりと筋肉はついている。何よりも特徴的のなのは、白衣だ。イメージとしては医師が羽織っているような白衣か。
「ええ、ええ、ええ」
男は狼刀を見て、実に愉しそうに笑う。
イソリは男に対して敬礼。それが正しい作法だと判断した狼刀も、見様見真似で敬礼をする。
「かしこまらくても結構ですよ? 五十里くん? 結城くん?」
男は眉を上げ、語尾も上げて笑った。
「そんなわけにはいきません。先生」
「相変わらずお堅いですね? 五十里くん?」
先生と呼ばれた男は、狼刀から視線を外して、イソリと二人で話を始める。その会話は、狼刀の耳には入っていなかった。
何かが、引っかかる。
僅かな言葉しか交わしていないが、その中の何かに違和感を覚えた。明確には言えないが、すんなりとも受け入れられない、まさに違和感。考えれば考えるほどにわからなくなる。
いっそセリフが文字で見えたらわかるだろうに。
そんなことを考えてしまうくらいに、狼刀は悩んだ。
「それで」
と、先生は狼刀へと顔を向ける。その時点では狼刀は気がつかない。
「結城狼刀くんですね?」
「あ、はい」
堂々巡りの違和感を思考の端に追いやって、狼刀は男のほうを見た。
「ふむ? 実に、興味深いですね?」
「興味深い……って、そうで――」
「ええ、ええ、ええ。実に、興味深いですね?」
どうやら、人の話を聞かないタイプのようである。知的な印象は感じるが、バカと天才は紙一重ということか。
「自己紹介してください。先生」
「自己紹介? そんなことはどうでもいいのですよ? これは興味深いことですよ? 五十里くん?」
イソリはなんとか先生に自己紹介をさせようとするが、先生は目を輝かせて狼刀を観察しているだけで一向に名乗ろうとしない。
イソリが必要に呼ぶため、先生というあだ名だということはわかったが。
「素晴らしい! 素晴らしい? 研究がますます進みますよ?」
「先生! 自己紹介!」
「五十里くん? そんなことをしている場合では、ありません? すぐに彼のことを実験するのです?」
その会話を聞いていたときに、狼刀は違和感の正体を突き止めた。名前である。この世界で会ってきた他の人たちの呼び方とは、違うような気がしたのだ。
「名前……?」
狼刀の呟きに、先生が反応を示した。
「疑問、ですね? 大事なことですよ?」
「え、っと……」
「…………」
さっきまでと打って変わって、狼刀の言葉を待つように男は沈黙する。
「…………」
狼刀が何も言わなければ、彼は何も話さないだろう。
「あの、なんで……」
「君の知りたいことには、答えてあげますよ? なんでも好きに訊いてください? ただし、先に実験させてもらいますよ?」
狼刀が話し出すと、男が元気に語り出す。結局、人の話を聞く気はないようだ。
「さあ、どうしますか? 結城狼刀くん?」
にっこりとした問いかけに、狼刀は反論出来なかった。
◇
学校の教室のような部屋の中で、狼刀はぐったりと机に突っ伏していた。ブラストとの戦闘に、イソリとの剣術訓練。三日目は実験に一日中付き合わされての翌日である。
元気であるほうが不思議だろう。
「大丈夫かい? 狼刀」
心配そうに声をかけるイソリが声をかける。
二人のいる場所は教室だ。ロッカーや教卓、黒板などが置かれている様子はそう表現する他にない。黒板には大きく授業と書かれているし、日直風に狼刀とイソリの名前も書いてあった。
机は、座っている二人分しかないのだが。
「大丈夫……」
狼刀は顔を伏せたまま答える。それくらい、今の狼刀は疲れていた。
一昨日は剣術の稽古。昨日は先生という人物に、色々なことを聞かれ、調べられ、実験――思い出すのも恐ろしいくらい――された。
不安や疲労から十分に寝ることも出来ていない。
イソリは苦笑いして、教室の前――黒板のほうへ視線を向けた。そのタイミングを待っていたかのように、教室の扉が開かれる。
「元気がありませんね? 結城狼刀くん?」
教室に入ってきたのは、先生と呼ばれる人物だ。ただし、白衣ではない。黒いスーツを着て、出席簿のようなものを持つ姿はまるで学校の先生だ。
「さあ、授業を始めましょう?」
先生は意味深に口角を釣り上げた。