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 母さんとの2人暮らしで、週の半分は私が夕食を作っていた。アレックスが仕事で家にいる場合は、3人で外食することもあった。今はそれぞれが追い込みの時期で、そんな機会も減ってしまったけれど。

 昔、母さんが取材旅行で家にいないとき、アレックスが私の家に泊まった。防犯のためだったけれど、彼のすることと言ったら、家で読書するか、外ブラブラ散歩することぐらいだった。

 2人で夕食をとったときのことを覚えている。ダイニングで、デリバリーのピザとケーキを食べた。

「今まではイタリア、スペイン、アジア、アフリカ……まあ、大体のところは行ったな。それしかすることないし」

「へー、わたし海外は行ったことないんだよね。今度つれてってよ」

 アレックスはつまらなさそうにフォークでピザをつっついた。いわく、長く生き過ぎたせいで、食事があまり楽しくないらしい。

「つれてくのはいいけど……この俺がパスポート作るのってけっこう大変なんだぜ? おめえみたいなのが海外でフラフラしてたらあっという間に連れていかれるぞ。逆に日本はおかしいんだよ、こんな女子高生がひとりでいて」

「あっそ。だからあんたみたいなおっさんと一緒に行くんでしょ」

「まあ、そうだな。俺がつれてくところは刺激的だぞ。ギャンブルのいい穴場教えてやるよ」

 いらない、と私は眉をひそめた。カジノや賭博場に出入りするアレックスを想像する。

「ずっとそれで生活してきたの?」

「最初はマジメに働いてたけどな。だんだんアホらしくなった。仕事覚えても、すぐにやめないといけなくなるだろ? 俺が歳とらないと周りがおかしく思うしな。だから手っとり早く稼げる方法を探したんだ。それがギャンブル。ギャンブルがない国はほとんどない」

「日本でも?」

「まあ、そうだ。麻雀、ポーカー、パチンコ、なんでもいけるぜ」

 アレックスは指で麻雀牌を置くしぐさをする。こんな外国人がお店にやってきたら、店員の人も驚くだろうけど。

 アレックスはテーブルの上の煙草をつまんで、口にくわえた。

「まあ、もうひとつ稼げる方法は、戦争だったけどな……」

「……参加したの?」

 アレックスは頷いてライターをいじりだす。1本だけ許してくれ、と彼は煙草に火をつける。今日は母さんもいない。部屋に臭いが染みこむとばれると思うけど、彼は機関車のように勢いよく煙を吐く。

「大昔は、戦争がいちばん実が良かった。活躍すれば恩賞がでるしな。まあ、なんていうか、やりがいもあった。銃が出てきてからおもしろくなくなってきた。いまの兵器の戦争は全然おもしろくない。というか俺にはあんなの扱えねえ。だから俺が参加してたのは、400年も前の話だ」

 ふうん、と私はシャンメリーのグラスをなめる。

「けっこう、危ないんじゃないの。死んだりとか」

 アレックスはトントンと灰を携帯灰皿に落とした。

「まあな、戦争だけじゃない。昔は今よりももっと死にやすかった。普通に餓死することもあったし、伝染病とか洪水とかな……宗教の違いで殺されたり、人種の違いで迫害されたり。

 まあ戦争も大変だけどな。ありゃあなんていうか……俺が不老不死だと気づいてからだな。なんとなく自分は死なないと思ってたからかな……ま、でも危ない目にはあったけど」

 アレックスは遠いところを見つめるように、頬杖をついた。短いブロンドが揺れる。短く切りそろえたあごひげ。シミが点在する顔。いったいこの男の頭の中に、どれだけの記憶が詰まっているのだろう。気が遠くなるほどの知識の量。忘れられない膨大な記憶。

 彼はぱっと笑った。

「なんてな、なんの話してたっけ。海外旅行? 金は自分で稼げよなー」


**


 その記憶を思い出した日の夜、私は夢を見た。

 私が砂漠を歩いているところだった。砂丘の上でずるずると足を引きずる。次の瞬間には荒野を歩いていて、また景色が変わって、今度は都市を歩いていた。たくさんの人が私とすれちがって、どんどん後ろのほうに流れていく。振り向いた瞬間に周りの人はいなくなる。道路の真ん中で私はひとりになる。

 次はどこかのアパートの部屋にいて、空腹のまま寝そべっている。全身がカサカサに乾くまで眠るけど、いつかはやっぱり起きてしまう。眠ろうと思っても眠れない。痛むお腹をさすりながら、這いつくばって外に出る。食事をとるとまた生き延びてしまう。うんざりしながら、食欲には勝てない。

 情景が変わる。映画の予告編のように次々とシーンが変わる。刃を喉元に向けられるとき、銃弾が体をかすめるとき。何度も死ぬ寸前になって、もう疲れたと目を閉じるけれど、ぎりぎりのところで目を開けてしまう。ここで死んでいいのだろうか。自分が1000年も生きてきた意味は何だったのか。このまま誰にも知られずにひっそりと死んでしまうのだろうか。

 もう少しだけ生きれば、今まで生きた価値が、少しだけわかるんじゃないのか。

 私は撃たれた痛みで目を覚ます。心臓の鼓動がはっきりと感じられる。思わず自分の手を見て安堵する。



 数日、私はアレックスに会うのを避けた。学校が終わってもすぐには帰らず、教室で勉強をして、塾にはそのまま向かった。休日は受験勉強として、図書館で勉強するようにした。

 勉強に集中すれば何とかなると思っていた。けど、勉強のことや進路のことを考えても、全部アレックスの思い出につながってしまう。それだけこの1年で、いろいろ彼に助けられたということか。

 でも、もうすぐ死ぬ人のことを考えて、楽しくなる人間はいない。知り合いが死んだあとの喪失感に似ている。中学のころ、クラスの友達が事故で死んだとき。なんでもないことだと思っても、体に力が入らない。気がつくとぼうっとしている。

 夕方遅く、私が校門を出ると、すぐ横の塀に外国人がもたれていた。

「よう」

 私はぴょんと飛び上がった。ありえない場所に知っている人が居ると、違和感が大きい。

「塾に行くのか?」

 久しぶりに見たアレックスの表情は硬かった。怒っているのだろうか。

「……そうだけど、どうしたの?」

「明日休みだろ? 気分転換にどっか行こうぜ」

 私は眉を上げた。無表情を保つのにとても力が必要だった。こういうときにどんな反応をするのが普通なのか、忘れてしまった。

「別にいいけど……ずっとそこにいたの?」

「ああ、俺も学校が見たくてな。女子高生にかなり会ったぞ」

「バカでしょ? かなり見られたでしょ?」

 バーカ、と私は思わず笑った。すごく久しぶりに笑った気がした。

 次の日、私たちは電車を乗り継いで遠出をした。といっても、行先はアレックスが決めていて、なぜか県内の海らしい。私は別にどこでもよかったから、黙ってついていくことにした。

 駅から歩いて10分、堤防の硬い階段を上る。10月下旬、天気は曇りだけど残暑はまだ厳しくて、うすい長袖の服でちょうどいいくらいだった。アレックスはあいかわらずTシャツとジーンズで、私はお気に入りのストライプのシャツを着ていた。

「下まで行くか?」

 堤防の上でアレックスが尋ねる。私は首を振った。砂浜には親子らしき人が1組いるだけだった。私たちは堤防の階段に腰を下ろす。

「本ができた後のことだけどな」

 アレックスはタバコをくわえて火をつけた。私はまともに彼の横顔を見る。

「この間の話は、悪かった。おめえのせいで俺が死ぬみたいになってたな」

 アレックスの謝っているところなんて、レアだ。初めてかもしれない。

「まあ、なんていうか……死ぬのには勢いがいるんだよな。不老だからさ。いざ逝こうと思ったら、自殺するしかない。でもそのとき、俺自身でもためらうのさ。俺自身が、1000年の重みに耐えられない。1000年生きた男をこの手で殺すことが、怖いんだよ」

 私は膝を立ててあごを乗せる。私はふと気がついた。楽しいお出かけだったはずなのに、私はアレックスの次の言葉が怖い。もしかして海につれてきたのは、今ここで死ぬつもりだからではないか。

 もうやめてほしい。もう死ぬつもりなんて、言わないでほしい。

「……俺が最初に不老に気づいたときは、生まれて五十年くらい経ったときでさ」

 アレックスは構わず話を続ける。初めて聞く話だった。今まで彼は、歴史の話ばっかりして、自分の身の上についてはあまり話したがらなかった。

「そのときの嫁はな……俺が不老になる前に一緒になったんだけど、俺の不老に気づいたとき、かなりビビられてな。悪魔の使いだとか呪いだとか言われて……子どももいたけど、置いてきちまった。まあ、古い記憶だから、俺が勝手に脚色してるかもしれん。

 で、そのあと、俺と一緒にいた女もいたけど、大体は、一緒に年とることができないんだな。俺だけ若いと、見てるのがツラいとかいうやつもいた。夫婦は一緒に年とっていくのがいいぜ。だからおまえも早く彼氏見つけろ」

 なんの話よ、と私は笑おうとした。だけど、できなかった。何も言えない。アレックスの昔話も、走馬灯のようにしか聞こえない。

 アレックスはふうと長い煙を吐いた。

「で、死ぬのは、もう少し遅らせておくと思う」


 私はしばらく、言葉の意味を理解できないでいた。じわじわと意味が胸の内に広がっていく。

 私はアレックスの方を見た。彼のそばからタバコの煙がもくもくと立ち上っていく。

「嘘、なんで?」

「さあ、なんでだろうな」

 わかっている。私のためだということはわかっている。

 さんざんわがままを言っておいて、いざやめると言われると、私はいら立った。罪悪感を感じている自分、気持ちがはっきり決まらない自分に怒っている。

「……私のせいでしょ」

「まあ、そうだ。この間も言ったけど、おまえが幸せなら、それでいいかと思ったけどよ。俺が死ぬっての言ったら、どんどんおまえさんの顔色が悪くなってきてる。こんななかで死んじゃ、向こうの連中になに言われるかわかんねえ。それだけさ」

 私はうつむいて膝に顔を埋めた。罪悪感で押しつぶされそうだった。せっかくアレックスが、死ぬつもりでいたのに。ずっとずっと考えていた死ぬ時期だったのに。こんな私のわがままで、またアレックスを永遠の牢獄に閉じ込めてしまうなんて。

 彼にとって『生』はいいことじゃないんだ。死がなくなった永遠の生なんて、意味がないんだ。私はつぶやいた。

「なんか、ごめん。本当は、わかんないんだ。本当に、ごめん、アレックスがいなくなって悲しいのか、ずっと家にいてほしいのか。私のわがままかもしれない。ほんとに、ごめん」

「いいってことだ。今は一緒に住んでるから、おまえの中で俺の割合は大きいかもしれない。けどそのうち、好きな男でもできて、俺のことなんてどうでもいいと思う日が来る。それまでギャンブルでもして生きるさ」

 私は目を閉じた。そんな日が来るのだろうか。私がアレックスを忘れてしまう日が。

 アレックスは左手を階段につけている。私は右手を伸ばして、アレックスの手の上に重ねた。彼はそれに気づき、姿勢を崩して私の手を握り返してきた。私の手を完全におおう、大きな手だ。1000年使われ続けた、硬くてぶあつい手。熱い体温がしっかり感じられる手。

 アレックスは煙草の1本目を手元に置いて、2本目に手を出す。火はつけないでくわえるだけ。

「アサミ、おまえ、俺が何でもできると思ってるかもしれないけど、そうでもないぜ。1000年生きたって、できねえこともある。有名にはなれねえし、王様にもなれねえ。携帯も使えんし、ネットもよくわからんし、日本語の漢字もまだ読めん」

 煙草の匂いがぷんとする。私の服にまで染み込むのは嫌だ。

「だからま、それはいつか教えてくれ。そんで海外旅行でも行くか」

 私はぱっと顔を上げた。アレックスは海の方を見ている。

「うそ、そこまでしてくれんの?」

「あーやっぱ嘘だ。俺はそこまで生きない。おまえは早く結婚して男と暮らせ。つーかはやく彼氏見つけろ」

「なによそれ、あんたに言われたくない!」

「おめえの結婚式は見れなさそうだな。永遠に生きても」

 うっさい、と私はアレックスの腕を叩いた。

 私は生まれて初めて、生まれてきたことに感謝した。

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