8.悪霊の誕生
8.悪霊の誕生
市民病院の取り壊しが決まって、患者は少しずつ隣町の総合病院へ移って行った。そんなある日、二人の救急患者が市民病院に運ばれてきた。一人は腹を刺された男の子で、出血はあったが急所は外れているようで何とか助かりそうだった。もう一人は腹を拳銃で撃たれていて、とにかく出血がひどかった。当直だった医師が総動員で対処に当たったのだけれど、患者は助からなかった。その患者は絶命する瞬間、キッと目を見開いて叫んだ。
「覚えてろよ!」
そのあまりのも恐ろしい表情に、医師たちは思わずあと退り、腰を抜かした。
その日の日中に事件は起きた。
刑務所から脱獄した死刑囚が子供を人質にして学校に立て籠もった。人質になったのはたまたま忘れ物を取りに来た男の子と弟に付き添ってきた姉の二人だった。忘れ物を見つけて教室を出ようとした時、校内に忍び込んでいた死刑囚と鉢合わせになった。死刑囚は見るからに極悪人だと言わんばかりの顔で、手にはナイフを持っていた。身の危険を感じた姉はとっさに弟の手を引いて走り出した。けれど、すぐに追いつかれて捕まってしまった。その瞬間、姉は死刑囚に抱き着いて叫んだ。
「早く逃げるのよ!」
弟は走ってその場を離れた。そして、そのまま職員室に駆け込んだ。宿直の先生がいるのを、忘れ物を取りに来たときに確認していたからだ。
「先生、たいへん…」
ドアを開けて叫んだ弟はすぐに言葉を失った。宿直の先生が血まみれになって倒れていたからだ。弟はその場で動けなくなってしまったのだけれど、遠くから聞こえた姉の声にハッとした。
「ギャアー…」
その瞬間、弟は姉が無事ではいないだろうことを悟った。このままでは自分も同じ目に遭うかもしれない。そう思ったら足が自然に動き出した。弟は咄嗟に職員室の電話で110をダイヤルすると、受話器を置いたまま走り出した。
「隠れなくちゃ…」
そして、プール下のポンプ室に逃げ込んだ。ポンプの裏側に隠れると、声を潜めてうずくまった。
そのころ、電話を受けた警察署では無言の電話に不審を抱いていた。発信が学校からだったので二人の警官が様子を見に行くことになった。この時点で、既に死刑囚が刑務所を脱獄し、この辺りに潜伏しているという情報を得ていたからだ。
二人は学校に到着すると、職員室を訪ねた。そこで見た光景に事態を把握して、すぐさま応援を呼んだ。同時に校内を用心しながら見回った。すぐの廊下でうずくまっている姉を発見した。
「おい、大丈夫か?」
姉は声も出せないほどの重症だった。腹を刺されていて出血もひどかった。すぐに救急車が呼ばれた。
「…と。お、おとうと…。たすけ…て…」
姉はかすかな意識の中で弟を助けてほしいと警官に訴えた。
「弟が居るのか?どこに居るんだ?」
警官の問いに、もはや姉は言葉を返すこともできなかった。
「弟が居るんだ!早く探し出さなきゃ」
一人の警官が駆け出そうとするのをもう一人の警官が静止した。
「単独行動をとるんじゃない」
「だけど、こうしている間にも子供が一人危険にさらされているんだぞ!」
その警官は同僚の手を振りほどいて駆け出した。
ポンプ室に隠れていた弟は必死に祈っていた。
「どうか見つかりませんように」
しかし、開けっ放しになっていたポンプ室のドアに死刑囚が気付いた。足音が次第に近づいてくる。死刑囚はとうとうポンプ室の中へ入ってきた。辺りを見回しながら、ポンプの方へ近づいてくる。
「見つけたぞ」
そう言って死刑囚はナイフを振りかざした。
「助けてー!」
弟は大きな声で叫んだ。その声に死刑囚が一瞬たじろいだ。同時に、声を聞きつけた警官がポンプ室に入ってきた。
「やめろ!」
警官の声にもお構いなしで死刑囚はナイフを振り下ろした。
“バーン”
銃声とともに死刑囚はその場に倒れた。
義昌と志穂の殺害現場を訪れていた一人の老刑事は現場検証を終えて呟いた。
「また、ここで事件が起こるなんて…」
「またって、どういう事ですか?前にもここで何か事件が起きたんですか?」
コンビを組む新米刑事が老刑事に尋ねた。
「昔、刑務所を脱獄した死刑囚がこの学校に立て籠もり、子供を殺そうとした…」
「えっ!それで、どうなったんですか?」
「その場に居合わせた警官に犯人は撃たれて、子供は助かった」
「へー、犯人はどうなったんですか?」
「病院に運ばれたが死んだ」
「そうでしたか…。そんなことが…。その犯人を打った警官って誰なんですか?」
「事件の後、しばらくして自殺したそうだ」
「うわあー!やっぱ、あれっすかね?人を撃ったことで良心の呵責に耐えられなくて…」
「断じてない!彼ほど勇敢な警官は居ない」
「先輩、その人を知っているんですか?」
「ああ。彼が居なければ私はあの時、ここで殺されていた」
「えー!じゃあ、その時の子供って…」
「そうだ」
あの時、助かった少年はその後、刑事になった。そして、この忌まわしき事件に立ち向かおうとしていた。