3.噂話
3.噂話
夜、学校に忍び込んだことを僕たちはこっぴどく怒られた。けれど、二人が行方不明になったことについてはお咎めなしだった。駐在所から解放された僕たちはその足で学校へ向かった。校門の前にはロープが張られていて“関係者以外立ち入り禁止”と書かれた紙がぶら下げられていた。
「あいつら、どこに行っちゃったんだろう…」
洋兄ちゃんが呟いた。
「まさか、駆け落ちとか」
加奈子ちゃんが言った。“駆け落ち”という言葉の意味は僕にはよく解らなかったけれど、あの子なら何か知っているのではないかと思った。
「もしかしたら幽霊のせいかも」
陽子ちゃんが言った。僕以外のみんなは顔を見合わせて「きっとそうだ」と言って体を震わせた。僕たちはそれからそれぞれの家に帰った。僕は陽子ちゃんちに立ち寄って幽霊にまつわる話を聞いた。
「そっか、しんちゃんは引っ越してきたばかりだから知らないよね」
洋兄ちゃんはそう言って、学校にまつわる噂話を聞かせてくれた。
第五小学校は元々今の旧校舎しかなかったのだという。子供が増えて校舎を増設する計画が持ち上がった時、隣接する市民病院が閉鎖されることになった。隣町に大きな総合病院ができたためだ。市は市民病院を取り壊し、そこに第五小学校の新校舎を建てることに決めた。三年後、新校舎は完成し、旧校舎は3学年のみが使用し、空いた教室は教材倉庫や図工・理科室などの専門教室の準備室として使われることになった。
新校舎に入った子供たちは目を輝かせて学校に通った。ところが、数か月たつと、妙な噂が流れ始めた。取り壊された市民病院で亡くなった人たちの霊が今もこの場所に留まっていて、子供たちをあの世の道連れにしようとしているのだと。
先生や周りの大人たちはあくまで“噂”だと決めつけて、そのうち騒ぎも収まるだろうと高をくくっていた。そんな時、事件は起こった。
連絡帳を忘れたという男の子が下校時間を過ぎた学校に戻って行った。その男の子はそれっきり帰ってこなかった。数日後、旧校舎の図工準備室で遺体で発見された。外傷はなく、衣服も乱れていなかったことから、心臓発作による急死で事件性はないものと断定された。
「連絡帳を取りに戻っただけですよ。それがどうして図工準備室に居たんですか?きっと,誰かがうちの子をそこに連れ込んで殺したんだわ」
亡くなった子の母親は心臓発作だという警察の話を全く信用しなかった。
「外傷もなく、衣服も乱れていなかったといっただろう?殺されたにしてはおかしいじゃないか。あそこへはきっと何か用事を思い出してかなんかで寄ったんだろう」
父親は息子の死を既に受け入れているようで、何とか母親を落ち着かせようと必死だった。
その時間、まだ学校には何人もの先生たちが残っていた。けれど、その子が学校に戻ってきたのを見たものは誰一人としていなかった。
「霊よ。ここは市民病院があった場所でしょう?そこで亡くなった人の霊があの子を連れて行ったんだわ」
子供の遺体を前にして母親は半ば錯乱状態だった。
「原因はともかく、この子はもう死んでしまったんだよ。その事実だけは受け入れなきゃならないよ」
そんな父親の言葉が聞こえていてのかどうかは判らないけれど、母親はしばらく何も言わずにその場で泣き崩れていた。こうして、真相ははっきりしないまま月日は流れて行った。
そのあとも学校内では壁に掛けられていた掲示板が外れて生徒がけがをしたり、原因不明の停電が起きたりとトラブルに見舞われた。市民病院で亡くなった人の霊が悪さをしているという噂が子供たちの間で広がった。教師の中にさえ、そのうわさを信じて転任を願い出るものさえいた。学校側は近所のお寺の住職にお祓いをしてもらうことが精いっぱいだった。
その男の子は連絡帳を取りに教室に戻った。連絡等は机の中にあった。男の子はそれを手に取ると、ランドセルを下して中にしまった。再びランドセルを背負って教室を出たところで黒くてモアモアしたものが廊下の角を曲がっていくのを目にした。
「あれっ?野良犬かなあ…。どこから入ってきたんだろう?先生に見つかったら保健所に連れて行かれちゃう」
かわいそうに思った男の子は学校に迷い込んだ野良犬を逃がしてやろうとあとを追いかけた。廊下の角を曲がるとモアモアした黒いものは旧校舎へつながる渡り廊下をゆっくりと進んでいた。男の子は小走りで後を追った。途中、教頭先生とすれ違ったので足を止めた。
「こんな時間に何をしているんだ!」
てっきりそんな風に怒られる打と思っていた。ところが、教頭先生は男の子がそこに居るのが見えていないように通り過ぎた。
「あっ!丸田先生、探しましたよ。二学期から使う教材のことで…」
教頭先生は渡り廊下の先に居た丸田先生に話しかけた。こちらを向いた丸田先生にも男の子の姿は見えていないようだった。
男の子は胸を撫で下ろし、見つからなかったことにホッとした。そして、すぐにモアモアした黒いものに目を移した。モアモアした黒いものは旧校舎の階段を上っていくところだった。三階まで登っていくと男の子はモアモアした黒いものを見失ってしまった。
男の子は端から順番に教室の窓から中をそっと覗いていった。そして、最後の部屋でモアモアした黒いものを見つけた。中に誰もいないのを確認すると、男の子はドアを開けた。すると、モアモアした黒いものが男の子の方を向いた。
それは野良犬ではなかった。男の子が今までに見たこともないものだった。
「あら、見られちゃったわね…」
モアモアした黒いものは人の姿になった。それはパジャマ姿のおばあさんだった。おばあさんは男の子に近づくと両手で男の子の頬を包むようにして話を続けた。
「なんて可愛い子なんでしょう!こんな子供を連れて行かなくちゃならないなんて…。でも、決まりだからねぇ…。そうしないと、私ももうこっちへ来られなくなるからねぇ。それはちょいと困るんだよ」
男の子は何が何だかわからないまま動くことも声を出すこともできなかった。気が付いた時にはおばあさんと一緒に光の中を飛んでいた。
それから数日経った放課後、教育実習に来ていた実習生の女の子がデッサンに使う石膏像を探しに図工準備室に来た。そして、男の子が発見された。
「あら、そんなところで何をしているの」
彼女が図工準備室へ入っていくと男の子は椅子に座ったまま俯いていた。彼女が男の子の肩に手を置くと、男の子はそのまま体を傾け、椅子からすべり落ちてしまった。
「ねえ、大丈夫?」
彼女は慌てて男の子を抱え上げた。そのときすでに男の子は冷たくなっていた。
「まさか…」
彼女は脈を診たり閉じられた瞼を開いて動向を確認してみた。すでに男の子はなくなっているものと思われた。それでも、一縷の望みを抱いて救急車を呼んだ。救急車はすぐに到着したのだけれど、救急隊員は男の子を一通り看ると首を横に振った。
それからすぐに彼女は校長先生に報告し、警察や男の子の両親にも連絡がいった。
しかし、しばらくすると、そういったことはすべてなくなり、学校側も保護者達もお祓いをしたおかげだとすっかり安心していた。やはり、市民病院で亡くなった霊の仕業だという話を誰もが信じていた。
以来、定期的にお祓いが行われていたのだけれど、住職が亡くなってからはそれも行われなくなった。最初のころはまた忌まわしき事故が繰り返されるのではないかと不安を抱えていたのだけれど、何も起こらなかった。たちまち、一連の不幸がやっぱり霊の仕業だったなどというのは思い過ごしで、単なる偶然の事故だったのだと皆の心の中から忘れ去られてしまった。
洋兄ちゃんは話し終えると言った。
「もう、誰もこんな話はしなくなったけど、ウチじゃあ今でもたまにその話が出るよ」
「どうして?」
「その亡くなった男の子は僕たちの伯父さんにあたるんだ」
「えっ?」
「ウチの母ちゃんのお兄さんなんだ。つまり、じいちゃん、ばあちゃんの子供だったんだ」