月と死体と猫の医者
ある所に『医術に優れた猫』がいた。その猫は『猫神様』と呼ばれ、民から慕われていた。猫神様はかなりの高齢だったが、それでも日課の往診は欠かさなかった。
ある時、町の中で奴隷が死んでいた。道行く人は誰も気にしなかったが、猫神様は、とことこと死体に近づいた。
「こりゃあ治せんわ」
と、痩せ細った死体を見て、猫神様は言った。
「餓死とはまた不可解な。食糧は余っているというのに」
猫神様は死体をぺしぺしと叩き、こう訊いた。
「私に死後の世界を教えて頂きたい」
死体は何も喋らなかった。
ある所に月があった。月が満ち欠けを繰り返していると、それを見る者がいた。猫神様である。猫神様は大量の酒を傍らに、ちびちびと酒を飲みながら、自ら歌を作り、歌った。
「たった一人の月夜に
酒を微酔に思うことがある
死にゆく者の行く先を
死者に聞いても分からなかった
月が満ち欠けするように
人生にも終わりは来る
行き着く先は故郷だろうか
それとも何もない無だろうか」
猫神様が墓地で歌を歌っていると、一人の少女と一頭の白虎が猫神様の前にやってきた。
「おい爺さん。こんな所で何してるんだ」
「月を肴に一杯やっていた所ですよ」
杯を手に持って、猫神様は言った。
「貴方達も一杯いかがですかな」
「頂くわ、酔うことは出来ないけれど」
杯を受け取ると、少女と白虎は近くに座った。
「貴方達は旅人ですか?」
と、猫神様は少女と白虎に尋ねた。
白虎は、ぐびぐびと酒を飲み干し、答えた。
「そんな所だ」
「ほう、珍しいですな」
「爺さんはここに住んでいるのか?」
と、古びた墓を見て、白虎は言った。
「いえ、近くに国がありまして、そこで医者をやっております」
「へえ、その医者がなんでこんな所に」
「死に場所を探していまして」
「なるほど」
杯を見詰め、猫神様は言った。
「私は臆病者でしょうか……。死が生の一部だと分かっていても、生きたいと願ってしまう」
「誰にだって強弱の時はあるだろう」
「そうね」
と、月を眺め、少女は言った。
鳥が死体を食べていた。その光景を見ていた少女は、白虎に「食べないの」と聞いた。白虎は、「年寄りは好きじゃない」と言った。「そう」と答えると、少女はさっさとその場を後にした。白虎も後に続いた。
「なぜ人は死を恐れるのかしら」
「それが本能だからだろ」
「そう」
「結局、生物は祖先の習慣から抜け出せてないんだよ。死ぬのが当然なのにさ」
「ねえ」
「ん?」
「なぜ当然なの」
白虎はうんうんと唸った。
「それは……自然の掟だからか?」
「私に聞かれても困るわ」
「………」
少女は言った。
「私達、なぜ生まれてきたのかしら」
「…さあな」