第五話 『さようなら凡人、こんにちわ変態』
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転校生ふたりの案内を終えた私は帰路に着いていた。
ここ数日の間で抱えていた案件の中で最も面倒な御勤めが終了したのだ。今日くらいは何もせずに帰っても罰は当たらないだろう。とは言うもののすっかり陽は落ち、既に辺りは真っ暗な状態だ。私としては比較的早い方なのだが、他の人からしてみれば今の時間は十分に遅いと言えるだろう。
昼には多少暖かくなってきた外気も、太陽の光が遮断されるこの時間帯には身を刺すような寒さに元通り。口から出る吐息は白く、私の手は冷えて真っ赤になっている。手袋を忘れたのは失敗だった。
「……ホント、誰もいないわねぇ」
私の家は学校から近いとはいえ、裏路地のような道をくぐり抜けなければ帰ることが出来ない。大通りに面しているような道でもないので人通りは無く、街灯の類も少ない。有るといえば、空き缶や瓶といったゴミと犬の遠吠えだけだ。朝の話を蒸し返すが、こんな所で男の子とぶつかっても絶対いい思い出にはならないだろう。
神隠し事件の報道以来、この道の人通りは特に寂しくなった。こういう人目につかない通路こそ、危ない人に狙われやすいというのは小学生でも知っている。
気味が悪い道を通らなければならないことを嘆きつつ、私は足早に家へと向かおうと歩を進めだした。
「うぅ~、なんか雰囲気がいつもより怖い……なぁ……?」
背中に悪寒を感じながら前進する私の目の前に一際目立つ光景があった。
街灯に照らされた道の上、今はまったく流行っていない時代遅れのくたびれた帽子を被り、膝くらいまである長いヨレヨレのコートを着た誰かがこちらに背を向けたまま佇んでいるのだ。刑事ドラマなどで、警察官が張り込みをする際に着ているような格好と佇まい。アンパンと缶コーヒーを手に持っていたら完全にドラマの世界だ、なんて適当な感想を呟いた。
その独り言が耳に入ったのか、コートの誰かはその体躯を揺らしながら此方へと向きを変えた。
相手を真正面から初めて見た瞬間、私は悲鳴とも似つかない、奇妙な掠れ声を出していた。
顔が、無い。
目深に被った帽子がそう見えるようさせているのだろうか。いや、アレはそういうモノではない。
街灯に照らされているというのに輪郭すら見えてこない。何よりも、その顔に当たる部位は空の闇よりもより一層黒々しい色をしていた。
ゆっくりとこちらへと歩き出す相手を見て、逃げるべきだと本能が警報を鳴らす。しかし、足は地面に縫い付けられたかのように動かない。手足共にガタガタと震え、一向に力が入らない。
腕をふらりと上げた誰かは、人差し指を私の方に向けると、そこから青白い光が発し、それが次第に広がり、見たこともない幾何学模様を作り出す。
まるで魔法陣だ。そんな感想を抱くと共に私の心臓は今までにないほど激しく鼓動し、背筋には冷え切った汗が流れた。
指先は私の額へと迫る。薄皮一枚ほどの距離まで迫った時――
「――やっと見つけたぞボケナス」
頭上より声が降ってきた。
それと同時、私に向けて光っていた模様が砕け散るかのように飛散した。
「――ッ」
影より漏れ出でる掠れた悲鳴。私は模様が突然砕けたことに驚き、その場で尻餅をついてしまった。
片腕を押さえ、誰かは私に背を向け走り出す。それを私は視界から消えるまで目で追い続け、見えなくなった時点でゆっくりと意識を手放した。
◆
「うおぅ!」
意識が覚醒すると同時に私は飛び跳ねるように体を起こした。起き上がる途中、乙女らしからぬ変な声が漏れ出てしまったが、それは私の声ではないと自分に言い聞かせた。
「あっれー。なんで私自分の部屋にいるんだろう……」
記憶を辿るも、頭の中がフワフワとしていて思い出すことが出来なかった。やはり自分は疲れている。そう思い、もう一度惰眠にふけることにしようと考えた矢先、部屋の扉の方から声がした。
「やっと起きたか。お前、本当に良く寝る奴だな。牛か? お前の先祖は牛なのか? それとも豚か? どっちにしても家畜には変わりないか」
声の方に顔を向けると薄暗がりの中扉に寄りかかっている誰かの姿があった。月明かりは足元のみを照らしているせいで顔まで確認が出来ない。しかし、声には聞き覚えがあった。
「……私をここまで運んだくれたのはアナタ?」
「あぁ? 何当たり前な事聞いてんだ。この状況でそれ以外の答えなんて有るわけ無いだろうがこの阿呆」
寝起きで頭の回転が追いついていない今の状況でも分かる。
――私、めっちゃ馬鹿にされてる!
青筋が額に浮くのを感じつつ、愛想笑いでその場を適当に流す。そうでもしなければ飛び掛ってしまうそうだ。
「それで? 私を助けてくれた騎士さんは一人暮らしの乙女の部屋で何をしているのかしら?」
「テメェが起きるのを待ってたんだよ薄鈍」
「……待ってる間、変なことしてないでしょうね?」
「乳臭ぇ餓鬼に興味はねぇよ」
「失礼な奴ね」
床が軋み、話し相手だった誰かが近づいてくる。次第にその姿が月の証明によって暴きだされていく。
その人は端正な顔立ちをした男の人だった。身長はだいたい180cmくらいだろうか。不思議と不潔感の漂わないゴワゴワとした長髪。少々荒っぽい印象が強い目鼻立ち。腕には程好く筋肉がついており、全体的にガッシリとした体躯が印象的だ。
はっきり言おう。容姿だけならドストライクだ。
「――お前の存在を探していた」
人生で一度は言われてみたい台詞ベスト5には入るであろう、字面だけで見れば歯が浮くような言葉。でも、そんな台詞を聞かされても私は何の感情も抱かなかった。
――ただただ引き込まれた。彼のその真剣な眼差しに。
――ただただ見つめていた。その瞳の奥に映る憎悪の炎を。