隠れ波紋
屋敷までの道のりがこんなに長いとは、今日初めて知った思いだ。
両足首は曲げ伸ばしに不自由を感じるほどキツめに絞めたのも、良くないのか……筋力の落ちた体では、四半刻歩いただけで疲れきり、足取りが重たくなった。
紀代隆様宛てに珀慧を使いに飛ばしたから、屋敷にいてくれれば良いが。歩みの遅いオレに、付き合わせてしまっている草刈殿にも申し訳ないな。
借家から屋敷までは半刻と少し掛かるが、今のオレでは何時に付けるやらだ。
「鷹、飛ばしたんだったら、もう少し休みながら行く?」
「そういうわけには行きません。お忙しい方ですし、少しでも早く行かないと」
すれ違いになる方が困る。
家から四半刻と少しを掛けて、ようやく陽川神社が見えてきた。
陽川神社が丁度距離としては中間地点にあたる。
裏の小さな階段。其処に着いたとき、前から誰かが歩いて来た。
「うわ、可愛い……」
草刈殿の感嘆の声に視線を上げれば、小花をあしらった薄紅色の着物が見えた。
「さ――」
違う。上げかけた言葉の続きはなんとか飲み込み、芝居の帰りか楽しそうに談笑する女性達が通れる場所を開けた。
場所が場所だけに、どうしても朔耶を思い出してしまった。
あれ以来、一度も手紙が来ていない。
貰った手紙に返事を出し、一度だけオレからも出してみたが、伝え伝えに届けられる手紙だ。もしかしたら届かなかったのかも知れない。
自然と貰ったお守りに手が伸びて、鈴が小さく鳴った。
そういえば、お守り効果が切れたかと思ったが、こうして生きているのだから相も変わらず絶大な効果だな。
それを含めてもう一度、手紙を出してみるのも良いかもな。
前から歩いてくる女性たちとすれ違い、階段をゆっくりと上ってから、少しだけ寄り道をさせてもらった。
社に手を合わせ、遅れはしたが無事の礼を心の中で述べる。
「いつも、そうやってるの?」
「ええ。折角近くになりましたし、何より此処は武芸の神ですから。勤め上がりには何時も来ていますよ」
「意外だわ。でも、そのお陰だったのかもね」
何気なく言われたが、そうかも知れない。
朔耶とリコ殿のお守りと合わせて、天司神の加護で再び、此処に戻って来れたのかもしれない。
そう考えると益々、頭を下げるしかない。
「そう言えば、その鈴。何時も持ってるわね。此処のお守りなの」
「これですか? いえ、頂いたものです」
再び歩きながら、問われたので答える。
帯に差し挟んでいたのを取り出して掲げれば、チリリとまた涼やかな音が鳴った。
肌身離さずといった具合だったから、蒼、白、黄の三色で組まれた紐もすっかり汚れてしまっていた。
「随分と大事そうね」
「引越ししてしまった友人から“お守り”と言って頂戴いたしました。彼女の姉が揃いで作ってくれたんです」
「ふぅん」
ゆっくりと歩くしか出来ない道だからか、暇つぶしに草刈殿から色々と問われたので、答えられる中での話しをしていた。
その中でも興味を引いていたのは、大陸のお守りだと言っていた魔魂石だった。
蘇叉では大陸と取引のある西北の大きな町まで赴かねば、見ることも出来ない代物。献上品としても用いられると聞いたこともあるが、少なくともお屋敷に居たときには見た事が無い。
そんな貴重な石を昔、道すがらに出会った、異国の旅人ブラド殿に頂いたわけだが。
本家での一件では本当に、助けられた。
まあ、そこは詳しくは草刈殿には話せないが、旅人に会ったという話しの流れで少しだけ触れた。
屋敷まで休みを挟み結局は一刻半程掛けて、一人で息も上がり、汗だくになって辿り着いた。
「初めて来たけど、本当におっきいわね」
「そうですね」
最近良く見ていた大きな建物となれば道場ぐらいだったせいで、久方ぶりに見た屋敷の大きさに、オレも思わず溜息を零しそうだった。
「これは后守殿。どうされたのですか?」
「ご無沙汰しております。師、紀代隆様にお目通りを願いに来ました」
正門前に立っていた方は長年この門を守っている。
面識のある方が立っていて良かったと思いながら、確認してくると言い、門前に一人を残して中へと入って行った。
「どうしよう、緊張してきた……」
「大丈夫ですよ。別に誰も襲ってや来ませんから」
「分かってるわよ!」
少しは緊張が解されただろうか。そう思っていれば、先に入っていた門番が侍女を連れて戻ってきた。
「お部屋でお待ちされております。どうぞ」
良かった。鷹の知らせを見ていてくれたようだ。
正面玄関から通され、ちらりとだけ右奥にある渡り廊下に、視線を向けた。
渡り廊下の先に大和の部屋がある。一目でも姿を見たいがそれも無理だろうかと、足を緩めれば静かに戸が開いたのが見えた。
「冬臥?」
「あ、はい」
部屋から出て来る人物を確かめるより先に、草刈殿に促されて、紀代隆様の部屋の前に立つ。
何度も訪れたはずの場所なのに彼女の緊張がうつったのか、思いのほか深く呼吸を整えていた。
侍女が膝をつき、先に中に入り進むように促してきた。次の間の奥に進めば侍女が静かに部屋を去った。
それを確かめてからもう一度、深呼吸をする。
「本日はお時間を頂きありがとうございます。影担い后守冬臥、頭領代理に御用が在り、参りました」
戸の奥に向かい声をかけ、草刈殿にも促す。
「え、あ……同じく、草刈香月です」
緊張で上ずった声が恥ずかしかったのか、少し慌てて、オレ以外、誰もいないのに顔を赤く染めていた。
「良く来た。入れ」
「立礼にて失礼させて頂きます」
痛む足を引きずってしまった上に、随分と久しぶりな作法ともあり不安になったが、それより紀代隆様の傍らで座る人物に驚いた。
だが、言えば一層草刈殿を緊張させるだろうから、彼女が中に入り戸を閉めたのを見届けてからにする。
「無作法をお許し下さい」
「良い。楽に座れ。そちらの娘さんもな」
この足での正座はまだ出来ない。だから、胡坐をかかせて貰い、草刈殿は頭領代理ではない人物に座るように促されて、当惑しながらも隣に座った。
誰? と小声で聞かれたが、オレは両拳を床に着き頭を下げた。
「ご無沙汰しております、お館様。本日は影の用命にて、草刈香月殿と共に参りました」
「は、初めまして。草刈香月と申します!」
先に深く挨拶をし、慌てて草刈殿も同じように両手を付いて頭を下げた。
「良く来た。面を上げよ」
許しを得て姿勢を整える。足元に痛みが走るのと、此処に着くまでの疲れの重だるさで体に力が入りきらないが、無理矢理にでも緊張した体勢を整えた。
「身体の方はもう平気か」
紀代隆様の問う声に、心配する心遣いに静かに、頭を下げ返しておく。
「いえ。先日、目が覚めたばかりですから本調子には程遠いはずですよ。それでも、頭領代理に用があってまいりました」
けれど、真っ向から首を振ったのは草刈殿だ。
「そうか、香月だったな。話しは聞いている。世話を掛けたな」
「大した事じゃないですよ。それで、頭領代理……」
「草刈殿。急く気持ちは分かりますが、先に報告をさせて下さい」
やはり十重殿の事が気になるんだろうと分かっていたが、遮り改めて目の前の二人へ視線を戻す。
「この度の件の顛末はこちらの草刈殿から伺いました。皆様方にご迷惑をお掛けした事、まずお詫び申し上げます。つきましては、所在知れぬ我が班の長、十重茂殿の消息を知りたく参りました」
「……やはり、その事で来たか」
予想していたと言う紀代隆様の視線が、綾之峰様へと向けられる。
「ふむ。私はその十重という者に会ったことは無いが、その者の手によりお前が死に掛けたという話は聞いた」
「事実ではございません」
どう言う風に伝わったか分からないが、正気の元での行いではないと、はっきり告げた。
「ほう。ではどう言う経緯があったと」
「幽借と言う荒神に惑わされていた事は、動かしようの無い事実です。しかしながら、初めにその荒神に惑わされたのは他ならぬ私でございます」
話せと言われ、記憶にある限りの事を話す。
どのような出来事で惑わされたのか、やはりオレと草刈殿では、微妙に食い違っていた。
オレは灯里と大和の姿を模した者だったが、草刈殿は亡くなられた両親であり、父親が妖落ちした日だという。
恐らく、十重殿も古竹さんも、それぞれ別の事を見ていたのだろうと、今更ながらに思い至った。
「冬臥。確かお前は姫様と若様の姿をした者に、手を差し伸べられたと言ったな」
「はい」
紀代隆様も同じ処で引っかかったようだ。思案顔でゆっくりとオレから隣の草刈殿へ目を向けた。
「だが、お前はなんと言った」
「え、で……ですから」
促され、もう一度話そうとした草刈殿の手が、震えていた。
目の前で起きた惨事をもう一度思い返し、話すのが苦痛なのだろう。
それでも、ぐっと手を握りなおして話した。
「父が妖落ちした日を準え、母が食い殺されました。けれど、それは事実じゃないっ……母は、影担いとして立派に仲間を守り、そして落命いたしました」
強く向き合う彼女の言葉に、思わず目を伏せた。
「紀代隆。お前はその十重と言う者の話しは聞いているのか」
「はい。十重殿は奥方様たちを喪った日だと話してくださいました」
「そして、もう一人はなんと話していたか、誰かわからぬのか」
綾之峰様の言葉に、草刈殿も紀代隆様も首を横に振った。
「恐らくですが、お春と言う娘を亡くされた日です」
「何故そう言える」
問われた言葉に、古竹さんの虚ろに迫る瞬間を思い出した。
「“逃がしませんよ。お春の仇”と、そう言われましたから」
それだけは、忘れない。
何時も穏やかな古竹さんが、惑わされてたとは言え、憎悪を剥き出しにしていたのだから。
「そう言えば……」
ポツリと呟いた草刈殿に、視線が集まる。
「あ、関係ないと思うけど……直前で、帯みたいな蝶の群れが襲ってきたわ」
「蝶――とは、どのような」
普段は穏やかな水面のように揺れない綾之峰様が、草刈殿の言葉に明らかに目を見開き、声を震わせてた。
これほど綾之峰様が狼狽する姿なんて、生まれて初めて見た。
「お館様ッ」
前のめりになり、今にも草刈殿に両手を伸ばして、掴み掛かりそうな姿に紀代隆様も驚きを隠せず、上がった声は鋭かった。
「いや、すまん……蝶を模した妖の報告もあったものでな」
咳払いを一つして、驚いた事を吐き出すような溜息を一つ残し、元の位置に直られると、良く見知った座姿となった。
そう言えば、初めて大和と共に霜月に行ったときに見たのも蝶の妖。
哭纏たちが灯里を連れ去ろうとした時に、襲ってきた荒神も蝶。
今回の幽借にしても蝶が関わっている。
そして、告げることの出来ないあの妖も――
「どうした冬臥」
「いえ。あの、紀代隆様は覚えていらっしゃいますか。初めて、オレと双也が町の外に出たときの事を」
「ん、初めて……そうか、あの時の妖も!」
思い返していたオレに、紀代隆様から声を掛けられ躊躇いながら告げれば、同じように思い返して頂けた。
「それ以外にも、オレは蝶の妖と対峙していました」
あの時の事だけは伏せ、灯里の時の一件を話した。
「何故、そんな大事な事を今になって」
「申し訳ありません。完全に失念していました」
何よりあの時は大和と灯里の事しか頭になかった。
素直に言えば、紀代隆様も太く溜息を吐いて、座りなおした。
「紀代隆。すまぬが、その蝶の妖について何かあれば私にも報告をして欲しい」
「それは、幾らお館様にでも……私の一存では」
頭領代理と言えど、頭領の許可なく影に関しては話せないと言い淀まれたが、重たく静かに向けられた視線に「分かりました」と応じられた。
影担いの事に関して、御剣家はあまり関与できていないのか。
そんな疑問が一瞬過ぎったが、そんな筈は無い――后守が影担いとして動くための支援補助は、主従関係を結んだ当時から御剣家が一任していたはず。
支援者を蔑ろにして、影担いだけで動けば無法化してしまう。
過去に遡れば、事実としてその時代があったのだ。それに、あの頭領なら瑣末な事だと言い、妖の事を教えるだろう。
「お前達、その荒神には今後も気をつけよ」
「はい」
綾之峰様の言葉に草刈殿が素直に頭を下げられ、オレは浅く返して、直ぐに向き直った。
「警戒は承知。その上で、もう一度お伺いして宜しいでしょうか。我が班の長、十重茂殿の消息を教えて頂きたい」
その妖の事は確かに気になるが、本来の目的を忘れてはいない。
「冬臥。自ら服した男の気持ちを踏み躙るな……」
「先の件で十重殿が刑に服さねばならぬのであれば、それは自分も同じ」
苦しそうに眉間に皺を寄せた紀代隆様に返し、染み付いた癖で綾之峰様へ視線を向けなおす。
「変わらず頑固な目を向けてくるな」
迷いを見せる紀代隆様と比べてはいけないが、綾之峰殿の眦が緩む。
「無事に生きているこの姿を、十重殿にお見せするのも叶わぬと云われますか」
重ねて言えば、紀代隆様が唸りつつ視線を此方に向けた。
「あの、もしかして、あたしが、居るから教えられないのですか」
複雑な心を乗せた紀代隆様の視線は、落胆を含んだ問う声音に、頷くように目を閉じた。
「頭領よりの命だ。関係のない者を立ち入らせるわけには行かない」
「関係ないって……そんな! あたしは、十重さんの!」
「草刈殿ッ」
告げられた言葉に、眉を吊り上げて叫ぶ彼女を押し留めて制する。
「この場は抑えて下さい」
誰が目の前に居るのか思い直して頂けたのか、草刈殿がしぶしぶと座り直した。恐らく、紀代隆様たちに向けた目は、厳しく批判するものだろう。
「心配する気持ちは分かる。だが、万が一があってはならないのだ」
落ち着かせ、噛み含ませるように、一言一言を告げる紀代隆様の言葉が途切れ、訪れた沈黙を確かめてから「お館様」と声を掛けた。
「何方かに、お庭の案内を願いましても」
「ふむ。私も出ていよう。草刈と言ったな少しばかり付き合ってくれるか」
当主自らの申し出に草刈殿も諦めて立ち、揃い退出した。
気配が遠のき、久方ぶりに二人で向き合ったが、紀代隆様から零れたのは溜息だった。
「間違っても、あの娘を連れて行くなよ」
何処に居るのか分かっていた。それでも、この場に草刈殿を連れて来た事を間違っていると思っていない。
「承知しております」
「幽借と言ったな……」
「はい」
頭領に報告を上げる為にか、再び尋ねてきた。
「その荒神は討ち損じている」
事も無げに言われた言葉に、驚きを隠せなかった。
「どう聞き及んだかは分からんが、少なくとも取り逃がしたモノの姿を見た」
「左様でございましたか」
「……痩せたな」
呟かれた言葉と視線が外された。
「草刈殿が言うには九日は寝っぱなしだったと。昨日は彼女から薬膳粥を頂きましたし、早く勤めに戻れるよう尽力いたします」
これ以上心配もさせたくないし、できるだけ軽く言ってみれば、ふっと吐息のような笑いが零れた。
「だが、当分は謹慎しておくように」
「それも承知しております」
「道場の方も、来たとしても稽古に参加させるつもりは無い」
其処もはっきりと言われるとは思わず、不満の視線を向け返した。
「しばらくは療養する事。それと、后守の責務を負うものとして、琴世様に会いに行け」
「え――」
何故、此処で母上の名前が挙がったのか分からなかった。
「当然だ! お前、死に掛けて居たんだぞッ。心配されていない訳があるか!」
「は、はい」
怒鳴るように云われて、それもそうかと思い至った。
「あまり言うつもりではなかったが、やはり家に戻れ。頭領もいない、お前まで居なくなるかの際で、琴世様の心労がどれだけ嵩んだか、自分で確かめて来い」
珍しい。不動の姿勢を崩し、乱暴に頭を掻きながら言われてしまった。
今の話しから考えても、時折、紀代隆様は母上の様子を見に行って下さっていたようだ。
「それと、あの方は治術士だ。その足も見てもらえ」
「ぇ……えッ!」
し、知らない。そんな話は一度も聞いた事がない!
と言うよりも、実家にいた時も一度もそんな姿を見た記憶も無い!
驚くオレに紀代隆様は思い切り溜息を吐き出し、ふっと肩の力を抜かれた。
「話しはご本人から伺えば良いだろう。その際には、先ほどの娘も一緒に連れて行くといい」
「草刈殿を、ですか?」
「そうだ。手当ての一つも覚えて居ないと言うのは、影としても問題がある」
最後にはきっぱりと断じられ、分かりましたと返すしか出来なかった。




