殻つき若芽
気が付いたときと言うべきか、意識を取り戻したときには、体が熱で重だるく、腫れた喉が気道を塞いでいる気がした。
身体も、あちらこちらが軋んで、少し首を動かすだけでも痛くて仕方がなかった。
傍で水を絞る音が聞こえて、そちらに顔を向けてみた。
「冬臥さん! 気が付いた?」
虚ろな視界の中で、ぼやけた久弥の顔が見えたと思えば、ずいっと近付かれて言われた。
「久弥くん、悪いけど水新しいの汲んできてもらっていい?」
「うん、直ぐ持ってくる!」
もう一人の声が分からない。だが、額に置かれたものが冷たくて気持ち良かったのだが、ほっと一息つくよりも空気が肺を押し広げ過ぎて、激しく咽返った。
「大丈夫?」
「……」
ダメだ。声が上手く出ない。
問われた声になんとか頷き返し、改めてもう一人の姿を見れば草刈殿だった。
何時もとは違う髪型だったせいで、分からなかった。
普段は、激しい動きでも邪魔にならないように頭の上で丸くまとめているが、今は簡単に後ろで結んでいるだけ。
「なによ」
「無事で、よかった、です」
口の中が乾いて掠れていたが、心の底から思ったことを言えば、口元を少し歪め、ふいっと横を向かれてしまった。
「とりあえず、起きられるの?」
問われ、身体を起こそうとしたが力が全く入らない。体の起こし方も忘れたのかと思いながら、片側に力を入れ、なんとか半身だけの、寝そべるような形で動けなくなった。
「もう! 手は貸してあげるわ」
どれだけ寝ていたのか分からないが、筋肉がかなり落ちていた。草刈殿の手を借りてようやく痛む体を起こし、壁に背中を預けて起き上がっている状態。
それだけじゃない。口を濯げと渡された湯呑を受け取ろうと、伸ばした腕が、本当に自分の物なのか疑いたくなるほど乾き、細くなっていた。
酷い有様だ……
「落胆してる暇ないでしょ」
キツく、あっさりと言われた言葉と共に湯呑を握らされた。添えられた手が無ければ、簡単に落としていただろう物で口の中を濯ぎ、差し出された桶に吐き捨てた。
乾いた血が解けて、嫌な色を付けていたが二度三度と濯ぎ、拭えばようやく口廻りがさっぱりした。
「すみません」
礼と併せてしまった詫びの言葉に続くように、開けたままの戸口から久弥が水桶を両手に提げて戻ってきた。
「草刈さん、汲んで来たよ」
「ありがとう、其処に置いといて」
「はーい」
言われた通りに水桶を土間に置き、片付ける草刈殿と入れ替わりに畳の上にあがり、膝行して来た。
「冬臥さん……おれのこと、わかる、よね?」
あまりに不安気に問われ、からかってやろうかと思ったが、先に笑ってしまったので意味が無かった。
「上遠久弥だろ。大丈夫だから安心しろ」
「うん! 良かった、おれ、カナデねーちゃん達に知らせてくる」
名前を呼ばれ安心したのか、そう言うと久弥は土間に軽快に飛び降りた。
「久弥、待て」
駆けて行きそうだった久弥を呼びとめたが、肺と喉の奥で空気が引っ掛かるようなモノを感じて、咳き込んでしまった。
肺の中から全ての空気が出切るような苦しさの山場を過ぎて、落ち着いてからもう一度、久弥を傍に招いた。
「影装束に鷹笛と色紐が入ってる、取ってくれないか」
「分かりました」
指示した物を探し始めた久弥から視線を外し、ほんの少しの事で息が上がった事実に、溜息を吐いてしまった。
「お粥作ってるから、そのまま起きててよね」
此方の会話の切れ目を待っていてくれたのか、計ったように草刈殿の声が掛かった。
「助かります」
どれほど寝ていたか分からないが、火に掛かる米の匂いに腹の虫が鳴った。
「冬臥さん、笛二つあるけど両方で良いの?」
「これで鷹を呼んでくれ。その緑の紐を足につけて“母屋へ行け”と言えばいい……」
久弥から渡された笛と色紐の中で、珀慧の鷹笛と緑色の紐を改めて久弥に手渡して言えば、眉間に皺を微かに寄せていた。
「怖いか?」
そういえば以前、珀慧を呼んだときに怖がっていたな。
「こ、怖くな、なんか」
「声上ずってるよ」
草刈殿の指摘通り、ガチガチに固まっている久弥を傍に寄せ、紐を結ばずに掴ませるやり方を教える。
「お前だから頼むんだ。出来るか?」
「う、うん。頑張る……」
何とも頼りない返事だが、それでも久弥は珀慧を呼び寄せて、見えはしなかったが、母屋へ向かわせる事に成功したようだ。
頬を上気させて、興奮した様子を押し隠して戻ってきた久弥の姿に、草刈殿が竈の前で肩を震わせていた。
「ちょっと、まだ怖かったけど、大人しいんだね」
「少しずつ慣れてくれれば良い。悪いが、時川殿たちへの知らせも頼んだ」
「うん、任せて! あ、でも……今日はちょっともう来れないから。草刈さん、冬臥先生のことお願いします」
鷹笛をオレの傍に置いて、改めて出入り口に立ってから頭を下げた。
気のせいだろうが、にんまりと笑っているように見えた。
「それじゃあお大事に~」
妙に軽い足取りと、手を振っていた久弥の姿が、戸に遮られ見えなくなり、鼻歌交じりに帰路に着いたのが伺えた。
思った以上に心配を掛けていたようだ。もっと、強くならねばな。
「ん、出来たわよ」
「すみません。有難うございます」
手渡された茶碗に見覚えが無く首を傾げた。それだけでも、肩と首に痛みが走って、食い縛った歯の間から空気が変な音を立てて零れた。
「あんた自炊しなさ過ぎっ」
疑問に強い言葉で返されたが、否定出来ないので曖昧に笑うしかない。
「土鍋に頼りすぎよ」
「料理は苦手でして」
一人暮らしなんだから少しは覚えなさいよ、と呆れたように言われ、改めて渡された茶碗の中身を見て、少しだけ手が止まった。
「西方の緑膳粥よ。本当は、風邪引いた時とかに良いらしいんだけど、あんた、ずっと食べてないから……それで、丁度いいでしょう」
「あぁ、話だけには聞いた事があります」
そう言って震える指先で匙を持とうとしたが、するりと抜けて茶碗の淵にぶつかった。
「ん。それも、なの……?」
「大丈夫ですよ」
少し難儀しながら匙と茶碗を持ち直し、ようやく緑膳粥を口にする。
熱いが、美味い。
すり潰された薬草の苦味が米の甘さで和らぎ、ずっと胃に物が入っていなかったのだから、粥のさらりとした食べ心地がまた良い。
ゆっくりとだが、それでも最初によそって貰った分は直ぐに、食べ切ってしまえた。
「初めて食べましたけど、美味しいですね」
「ぁ……ありがと、うね」
放った言葉が被さってしまった。
「なら良いけど。ん、お代わりいるんでしょ」
聞かれていないと思ったのか、僅かに安堵したのが見えた。
差し出された手に礼を重ねて茶碗を渡し、土間を往復してもらったが、今度はすぐに口をつけなかった。
「申し訳ありませんでした」
言わなければいけない。言う機を逃してしまえば、甘えて言わずに済むと勘違いしてしまうから。
「オレは、また……取り返しの付かない事をしてしまいました」
「もう良いから。食べてなよ」
「あの後、どうなりましたか」
問い掛ければ、草刈殿の視線が苦しそうに落ちて、顔を背けられてしまった。
嫌な予感が胸に広がったが、じっと考えられていたのか、合わさった視線と共に呟くように「大丈夫」と言われた。
「十重さんも、古竹さんも生きてるから、大丈夫」
改めて言われた言葉に、ほっとしたが、それはその一瞬だけだった。
「でも、何処に居るか、あたしには、分からない」
「何時頃に」
自然と掴むものに力が入っていた。
「十日前。あの時から、十日は経ってるのよ」
「そんなに……寝てる場合じゃないですね」
「ちょっと!」
折角作ってくれたものだが、小脇において夜着を捲り、抜け出す。
「頭領代理に、話を聞いてきます」
そう言って壁伝いに立ち上がったが、酷い眩暈に襲われ、漆喰壁に縋りついた。
「無理しないで」
「ですが、オレがきっかけを作ってしまった」
「良いから話しを聞いてっ」
強く、下に引かれた勢いに堪えられなかった身体が崩れ、強かに畳に体を打った。
「く、うぅ……」
走った痛みが体のあちらこちらに響き、思わず息が詰まった。
痛いと互いに零して、痛みで滲んだ視界を瞬かせれば、間近に見えたモノに慌てて離れた。
「ごめん。今のは、やりすぎたわ」
少し遅れて草刈殿も、倒れた衝撃でぶつけただろう腰を擦って、起き上がった。
「お、オレの方こそ、す、すみません」
激しく打つ心臓の音を聞かれやしまいかと、内心ひやりとしたのは言えないが、目線を彼女から外し、こっそりと呼吸を整えておく。
「とにかく、頭領代理に会うのは話を聞いてからにして」
何事も無かったというように草刈殿が自身の袂と裾を直し、ひっくり返った茶碗を拾い上げていた。




