蕾に色彩 (前)
鷹の据え回しの時間を利用して、町の中を歩く回数を増やした。
その分だけ道場を訪れる時間もずれ、久弥の文句も増えたが、そこは聞き流している。
夜勤めの事に関しても、荒神に相当する物に出くわす機会も、全くといえるほど無い。まあ、それはそれで良い事だと思っておこう。
調べ物は手掛かりも乏しく、行き詰り。
なんて事は無い。あの大男に遭い、何かを進められるかと思っただけに、この行き詰まりに落胆を感じていた。
同時に、常日頃にある監視の目。
誰でもない、明確に分かる監視の目と言う方が気楽だと、最近特に思う。
どこにいるか、誰がそうなのか分からない監視よりもずっと。
そこに居ると分かっているのだから、監視の事を考えず、普段通りに過ごしていれば良いだけ。
……だけなんだがなぁ。
ついぞ出てしまった溜息と共に、足を止め、思い出したかのように後ろを振り返る。
追跡してきた人物は慌てて、物陰に隠れた。
腕に乗せた珀慧は、既に慣れたもので、オレが向けた視線の方向を、小首を傾げながら眺めていた。
「帰るか、珀慧」
そのまま来た道を戻ろうとして、ふと、下らない事を思いついた。
只来た道を引き返すだけなら、拙い監視者の傍を通り過ぎるが、それよりも一つ――監視者の二つ手前の細道に折れ曲がり、入った。
監視者が慌てて追いかけてくる足音に、珀慧がくるりと視線を巡らせたが、構わず歩いていく。
細い長屋道を通り、出たい大通りに出れるのか、自分も半ば試して歩く。
屋敷近くのちょっとした道なら、今でも細い小道が、何処にどう繋がっているのか覚えているが、越してからはしていなかったな。
途中、袋小路になっていれば引き返し、ふらりふらりと歩き続ける。
「あっ……」
目の前を通り過ぎ、小さいが確かにその呟きが聞こえた。
一度遠くへ走って行った足音が戻ってきて、止まった。
「あ……」
最初の焦ったような「あっ」ではなく、ちょっとした悪戯が見つかった時のような「あっ」と言う声音。
「珍しいところで会いましたね」
「え、あ、う……そ、そうね」
なんて事は無い、拙い監視者など、オレの周りでは只一人だ。
悪い事を見咎められた灯里のように、意味も分からない身振り手振りをしていたが、最後は裾を払う仕草で落ち着いていた。
「後を付いて来るくらいなら、いっそ、声を掛けてもらった方が良いんですが」
「なっ、べ、別に、そんなじゃないんだから!」
開き直る分、灯里より性質が悪いかもしれない。
「まあ、良いですけど。オレは鷹舎に戻りますが、草刈殿もご一緒されますか」
「行かないわよ!」
頭領に報告すると言う名分があるのを、強みと思っているのか、簡単に……いや、思っても言うまい。
短い別れの挨拶を交わして、彼女が動くのを待つ。
暫しの間、先に行けと無言で追い立てられるが、分からないフリをすれば、彼女の方から立ち去っていく。
とりあえず、草刈殿の姿が影に消えたのを見届けてから道を一本、二本と曲がって歩けば、追って来る気配も無い。
「珀慧、冬臥共に戻りました」
鷹舎に戻り、小屋の中に珀慧を放せば止まり木に乗り、傍に置いた水箱に顔を突っ込んでいた。
「香月さんには会いましたか?」
「ええ、鋳物屋の裏で会いましたよ」
帳簿を確認していた古竹さんが、その手を止めて聞いてきたので答えれば一瞬、きょとんとした視線が返って来た。
「鋳物屋の裏で、ですか?」
「はい」
「そうですか」
「何かありましたか?」
ふふっと零すように笑われたので、聞いてみたが、何でもないと返されてしまった。
「では、オレは道場の方に顔を出しに行って来ます」
「お気をつけて。また夜にお会い致しましょう」
よくあるとは言わないが、時折、古竹さんが面白いものを見守っているように、はぐらかす事がある。
はぐらかされる側としては、気になるのだが……余計な事を言ってしまい、彼を困らせるような事になれば、巡り巡って自分が困る事になりそうだから、深く追求はしない事にしている。
道場に着いたとき、珍しく久弥の姿が見えなかった。
時川殿に尋ねれば、自分の使いで少しばかり席を外させたと言うので、戻ってくるまでの間、稽古を見てもらう事にした。
組み手相手は、先日も久弥に長々と絡まれていた和一殿だ。
年は彼の方が上だが、面倒見が良く、初心者達の相手を良くしてくれている。
その組み手を時川殿に見てもらい、互いに指導を貰いながら、技の掛けかたや守り方を確かめる。
師匠から組み手の基礎は教えてもらったが、こうして指導をもらうと、やはり守りが甘い事が良く分かった。
「まあ、こう言ったところで冬臥さん好みの剣術応用は難しいかも知れませんけど」
そう、何故かいつも締めくくられてしまう。
「師範代以外じゃ、刀稽古の相手にはならないしなぁ」
「随分前にうちにいた食客が今居たら、ちょっと面白い事になってたかもね」
面白がって笑う時川殿の笑みに、少し押されながら、言われた食客の事を聞いてみた。
何でも四、五年ほど前に本当に短い間だったが“旅費充てにしたいから、剣の腕を買ってくれ”と飛び込んできた男が居たという。
その男は時川殿の家にいる間に、稽古付けと言って家臣団の男衆の心根を折って、早々に出て行ったという。
多分、幾らかは色付けされているだろうが、にまにまと笑う時川殿が、本当に面白がっているのは分かった。
「カナデねーちゃん、戻ったよー」
「あぁ、ありがと」
「おー、ようやく帰ってきたか」
軽く息を切らせて戻ってきた久弥に、先の二人が声を掛ける。
「冬臥先生、来てたんだ!」
「今日は仕事が少なかったからな」
傍から見れば嬉しそうに駆け寄ってくる図だが、自分の間合いに入った途端に、大きく床を蹴って飛び掛って来た。
「はいはい、今は邪魔しないの」
「ぐぇっ」
時川殿が悪戯猫を掴まえたように、久弥の首根っこを押さえて、自分の傍らで落としていた。
「くっそぅ、今なら絶対いけると思ったのに!」
「なんだ、蹴り返しておけば良かったか?」
物は試しと、久弥には好きなときに仕掛けて来いと伝えてある。
勿論、他の人の迷惑にならない範疇でとも言ってあるが、今回はどちらでもなく、時川殿に軍配が上がった。
「冬臥さん、折角だから、さっきの所に気を付けてやってみてください」
「はい」
「和一さんも、他の子が見てるんだから、少しくらいは奮起してやっちゃって下さいよ」
「美人が見てるなら俄然、やる気出るんだけどね」
和一殿は笑いながら言うが、初手は完全に奇襲を受けた。
しかし、奇襲だからと言って、出鼻を挫かれたつもりは無い。あの人の方がよっぽど酷い奇襲を掛けてきたものだ。
和一殿の奇襲は、それと比べたら甘いと言える。あの人なら完全に顔面を狙い、鼻骨を砕きにくるだろう……だが、狙われたのは肩。
「あっ、和さんずっけぇ!」
久弥の非難の声が上がるが、こちらも完全に崩されたわけでもない。
踏み堪えて、伸びきった腕を掴み取る。
「うへっ」
対応された事に驚いても、たまにある攻防の一手。足を踏み込まれ、その痛みに間接を決める事が出来なかった。
手を振り解かれ、反対側の腕がオレの奥襟を掴む。
踏まれた足と、掴んで押される勢いの流れで、上体が思い切り逸らされたが、改めて和一殿の腕を両手で掴み直して、思い切り痛覚を刺激する。
「ちょっ、いって! いてぇってば!」
「いやいや、そんなはずは無いでしょう」
未だに掴まれる手を放させるべく、一瞬だけ力任せに握れば、襟が緩んだ。
「お、面白い処に来たようだな」
襟元が外れたのと併せて、踏まれたままの足を引き抜き、和一殿の崩れた体制を利用して投げ飛ばそうとした。
だが、和一殿の方が一歩早く、掴んだ手を振り解かれてしまった。
数秒間の攻防で、一度構え直し改めて仕掛ける。
刺突を出す和一殿に対し、指摘された受け流しの型で迎える。
さっきは受けるとき、無駄な力を入れすぎて弾いていた、だから相手を崩せないと言われた。
軸からしっかり立ち、無駄な力を捨てて往なすッ。
「――っ!」
「破ッ!」
空いた顎先に掌底を叩きつける勢いで、寸止め。
「はい、そこまで~」
「うえぇ……か、かん、だ」
「す、すみません」
互いの勢い殺しきれず、掌底が顎先にぶつかった感触はあった。
思い切り噛んでしまったんだろう。和一殿が舌先を出して、血が出ていないかを時川殿に確認してもらっていた。
「良いんだよ。和さん、奇襲なんてしたんだからぁ」
「なんだ、奇襲して返り討ちにあったのか」
入り口の方から聞こえた笑う声に、オレ達は何時ものように振り返り、頭を下げた。
「師範代。お世話になってます」
「紀代さん、今日、来る日でしたっけ?」
「お疲れ様です」
それぞれの挨拶を一身に受けて、紀代隆様は軽く手を上げて応えていた。
「いや、用事ついでに寄っただけだ。時川、少しいいか」
「え、良いけど」
紀代隆様に声を掛けられ、時川殿はそのまま後ろを付いていった。




