慟哭纏い―索は虚ろに―
鷹狩りの後、また軽く仮眠を取ってから、持ち帰った山菜と肉を包み、夕暮れも遠くなった外に出た。
本町は流石に夜でも人通りが多く、旅籠並びの坂を下りて、人の声が賑やかな店の勝手口を叩いて中に入った。
「おや冬臥、今日は遅かったねぇ。思わず心配しちゃったじゃないの」
「些か寝過ぎてしまいまして。今日の分はこれでお願いします。残りはそちらで如何様にでもしてください」
屋敷を出て、最初に古竹さんに連れて来てもらった料理屋『チドリ』。先代の女将さんの名前が由来の小さな店だが、オレが借りた裏長屋の大家でもある。
「あら、さっき直さんも来て置いていってくれたのよ」
笑いながら奥に入れば、オレが持ってきたものと、ほぼ同じ物が台所にあった。
チドリ店主の鼓雀さんが古竹さんと馴染みがあり、女将さんのお多恵さんは、鮮度の良い肉を届けてくれるから助かると、よく話しに乗せていてくれた。
「でも、これなら鍋で良いわね。直ぐに作るから待っててよ」
そう言って襷を掛け直して、大きな体で小柄な亭主を隅に追いやっていく。
「女将さん、こっちにも同じの頼むよ!」
「何言ってんだい。あんた、そんだけ食ってまだ食べたり無いのかい!」
「おいお多恵、早くどいてくれ!」
店の床は土のままで台所と客席を、間仕切り代わりの板屏風で仕切っただけの簡素な作りだ。時間帯によってその板屏風を動かし客の数を稼げるようにしているが、そのお陰で夜は台所側が狭くなっている。
しかも、板屏風といえど随分と年季も入り、隙間から互いが見える。
声もよく通り、鼓雀さんの上がった悲鳴にどっと笑い声が響く。
「冬臥、適当に持っていくから座ってな」
「有難うございます」
鼓雀さんに勧められ近くの長床机に着き、少ししたら七輪に乗って鍋が置かれた。
トットの肉は脂が多く、それだけでも美味い出汁がでる。それに合わせて灰汁抜きをした香味山菜と、輪切りにした紅白揃えの鈴の実。好みで焼き味噌や一味辛子で、食べられるようにしてくれてある。
「かぁっ、トットとは良いねぇ」
隣に座っていた大工の男が開けた鍋を見て、ごくりと喉を鳴らすのが見えた。
「あんたは頼む前に、ツケを片付けてからにしてくれないかい?」
握り飯を届けてくれたお多恵さんは、隣の男に向かい片眉を跳ねさせて言えば、彼は唇を尖らせて「それは言わねぇ約束だろう」と零す。
とは言え此処まで名残惜しそうに言われると、如何したものかと考えてしまったが、
「しゃぁねぇ、明日! 明日来るからな!」
「そうしてくんなよ。そしたら、腕により掛けて作ってあげるよ」
大工の男が膝を思い切り叩き、未練を振り払うように立ち上がり宣言して、今日の代金を渡して去って行った。
「少しくらいなら良かったんですがね」
一人鍋を摘まみながら言えば、お多恵さんが大きく手を振って見せた。
「ダメダメ。そうやってたら前みたいに全部持ってかれちゃうんだよ」
笑いながら言われた事に、オレも苦笑いを返すしかない。
それでも後から入った客が、奥で鍋を摘まむオレに気がついて、同じ物を頼むとお多恵さんは中に戻っていった。
「あぁ、そうだ。冬臥、悪いんだが、直道にこれを渡しておいてくれないか。前の礼だっていや分かるから」
「分かりました」
亭主の鼓雀さんが、中に戻った女将さんと入れ替わりに出て来て、小さな巾着を目の前にぶら下げられたので、それを受け取り、懐にしまった。
後で忘れないようにしなければな。
食べ終わり、食後の茶を頂いていた時、無頼の客たちが文字通り、飛んで入ってきた。
派手な音を立て、入り口の戸が圧し折れ、近くにいた客が腰を浮かせて固まっている。
「なんだい、なんだいっ」
「お多恵っ、危ねぇから中に入ってろ」
長らく店を預かる者として、その存在を一目でも見ておきたいのだろうが、壊れた入り口から、身を屈めて入ってきた体躯の良い大男に、鼓雀さんの小さく息を呑む音が聞こえた。
「いやぁ旦那方、悪いねぇ。ちぃと仕置きしてたら吹っ飛んじまってよ」
本気で悪いと思っているのか言葉尻では分からないが、入ってきた大男が片手を振り、口に煙管を咥えたまま、ぐるりと店の中を見回した。
首元から額の先を斜めに走る縫い傷と、酒に焼けたような濁声が一層の威圧感を齎している。
外にはまだ数人の人影があるが、大男は薄汚れた薄墨色の中羽織を肩に掛けたまま落とさず、自らの腕で折れた長床机に伸びる禿頭の男を掴み上げた。
既に殴られ、血に汚れ腫れあがった男の顔だったが、何処かで見た事がある気がした。
立ち上がり、騒然となる客達の隙間から覗くように、騒ぎの元凶たちへ目を向け直す。
掴み上げた男が異様なほど、背があり過ぎるせいで分からなかったが、血塗れで掴まれた男も他の大人と比べても背が高い。
殴られ、腫れた顔の禿頭の男を、オレは何処で見たんだ……
自問しながら、記憶を手繰り寄せていた。
「手前ぇのせいで、堅気の人に迷惑掛けちまっただろうがッ」
「た、大将、も、もうそんくらいで……」
掴み上げた禿頭の男を、再び外に殴り飛ばせば、大将と呼んだ大男の足元に縋るように、両手を合わせながら言う小男の姿が見えた。
あの男―― 間違いない。あの時、リコ殿の店に絡んで来ていた男達の中に居た男だ。
あの時、目の前にいる小男をリコ殿と共に捕まえたのは、確かな記憶だ。
それなのに、目の前に居る……
「あぁ? 手前もよく言えるなぁ」
大将と呼ばれた男の威圧する声に、オレは我に返り、再び男達へ目を向けた時には、大男が媚びる小男の顔面より大きな掌で押し弾き、小男がか細い悲鳴を上げて地面に倒れた音が耳に届いた。
「さっさと連れて行きな」
大男の号令に外にいた者たちが応じて、引き上げて行くのがわかった。
そして、大男だけが残り、再び店の奥に入ってきた。
「いやぁ、飯時に悪いねぇ。店主はいるかい?」
大股でずかずかと奥に入り来れば、当然、店の奥の長床机に居るオレの傍に近付いてくる。
まさか、こんな時に再び逢えるとはな。
男達を追いかけたい衝動を堪え、調理場前まで近付いて止まった大男と視線が合った。
「ほう、童の癖に刀持ちとはおもしれぇな」
吐き出す息に混じる煙管の煙に思わず顔を顰めた時、鼓雀さんが間に立つように出てきた。
「あああの、お、わたしが、此処の店主です。だだ旦那さん、どうか、お客さんには……」
「あぁ、悪いな。壊れた入り口の修理にでも当ててくんな」
そう言って袖の中から金一嶺を取り出して、震える鼓雀さんの手を掴み、ぎゅっと握らせていた。
「ついでに、余る金で他の客に良い酒でも振舞ってやってくれ」
ニッと笑い、大男が金を握らせた手を包み込み、思い切り振れば、小さな鼓雀さんは体ごと揺れ動いていた。
「主人、ご馳走になりました」
騒ぎ立てなければ何もしないと暗に含ませた大男が、屈めた腰を伸ばしたのを見計らい、オレはそう言って金を置いて立ち上がった。
「あ……」
何か言いたそうにした鼓雀さんだったが、大男がオレに視線を投げつけたのを感じたか、何も続ける事も無かった。
店を出て、何食わぬ顔で男たちが去った方とは逆歩き始めれば、後ろから「おい」と声を投げつけられた。
振り返らなくても、先ほどの大男だと言うのは分かった。
「何か御用がおありでしょうか?」
「はっはは! お前おもしれぇな。怖がりもせずに返してくる奴ぁ、初めてだ」
本当に愉快そうに笑い、大股で近付いたかと思えば、頭を掴まれたので流石に驚いたが、大男は煙管を放して顔を近づけてきた。
「だがなぁ、下手に首を突っ込んでくりゃあ命の保障はできねぇぞ。分かったなら今日の事は忘れちまいな」
警告の為に強く握られる手に、掴まれた頭が痛む。怯えた振りをして頷けば、それで事が済むと頭の中で分かっていたが、向けた視線は酷く冷静なものだったらしく、大男の黒い瞳に自分の冷めた表情が映っていた。
「そう出来れば良いですが、これでは忘れるにも、忘れられそうにもありませんよ」
「はっ、大した度胸だ!」
思い切り掴まれた頭から振り投げられたが、一度着いた足で後ろに飛び、体勢を整える。
「ほぅ。刀持ちも、ただの見せ掛けってわけじゃねえのか」
「これ以上の用が無ければ、失礼しても宜しいですか?」
「いいや。もう少し付き合えやッ」
人の目が薄いからか、大男は自分の中羽織を引っ掴み、それを振り回し投げつけてきた。
流石にそれを武器にするとは思えなかったせいで、右腕に巻きついた羽織ごと引きずり寄せられた。
「素知らぬ顔して、付けられちゃあ困るんでな」
「――くっ」
言いながら思い切り引き寄せられれば、力の差がありすぎて足元が浮いた。殴られるより一瞬早く、地面に足が着き、繋がれた右腕を頼りに体を後ろに反らして躱す。
「いい反応しやがる」
こんな所で足止めされてれば、どちらにしても目立つだろうが。
そんな事も思わず考えながら、腕を振るい、羽織の戒めを解き、一目散に走り出した。
「ちぇっ、逃げられたか」
ぱっと皺の寄った羽織を伸ばして、また肩に掛ければ、大男は町の中心へと歩き始めていた。
下手な家の入り口より背の高い男の姿は遠目にも目立つ。
とりあえず、あれで気が済んでくれているのなら良いが……
人混みに紛れ、男からかなりの距離を取って歩く。
どれほど歩いたか、大男はふらふらと、酒や食料を買ったのか分からないが、それらの店に入っては、直ぐに出てきて歩くのを繰り返していた。
そして今は、人気の無い道を独りで歩いているが、これ以上進めば町から出てしまう。この先には身を隠す場所も無くなり、暫く歩けば……狩猟用の山の袂に着き、其処から更に半町を越えれば陽乃環城下町に着く。
どうするか……迷いながら身を潜めつつ、男の行方を追うが、夜の鐘が鳴り響いていた。
今此処で引き返せば、夜勤の集合時間には間に合うだろうが……今見失ってしまえば、これ以上の好機は失ってしまう。
せめてどこまで行くのか、見届けてからだ――
細い長屋道を歩き、四つ角を曲がったのが見えた。
息を殺し、足音にも気をつけて其の距離を測りながら、角の家壁に身を寄せて、大男の気配を探る。
それからゆっくりと道を窺えば、遠くに其の姿があった。
気付かれていない、それだけに一瞬安堵するが、大男に誰かが手招きをして呼び寄せたのが見えた。
だが、遠すぎてオレの位置からは、大男を呼んだのが男か女かも分からない。
大男はその招き手と何かを話しているのか、煙管を片手に移して、招き手に手渡した。
せめてもう少し近づければいいんだが、身を隠せる場所が無い上に、誰かに今の状況を見咎められても厄介だ。
警戒して自分の後ろを確認して、再び大男に目を戻せば、いつの間にかまた煙管を咥えて、招き手に応じたのか歩き出した。
戸の開閉音も聞こえないという事は、まだ先の道があり、進んだという事かそれとも、オレが付いてきている事に気がついているのか……
こちら側には余り来た事が無いせいで、道がどうなっているのか確かではないが……確かめるか。
身を隠せないのなら、堂々と歩いていくしかない。あの道を真っ直ぐ通り過ぎればいい。
幾度か小さく呼吸を整えて、心持ち足早に歩き出す。
大男が立ち止まっていた場所の、すぐ傍にまで来た時、誰かの盛大なくしゃみの音に思わず肩が跳ね上がった。
そのたったの一瞬の出来事で、自分の作った足音が乱れた事に焦った。
普通に歩いている人間が、他人のくしゃみの音一つで動揺する事など無いだろう。もし、大男だけでなく仲間がいたのなら、不審な印象を残したかもしれない。
足早に通り過ぎた時、奥に続く道に安堵したが、其の先の木戸番が潜り戸を閉める姿に落胆してしまった。
行灯の明りと閉まる僅かな隙間に、大男の姿が消えて行ったのが見えていた。




