ひとりたつ
「遅かったね」
口元をまた扇子で隠して言う大和に、オレはただ頭を下げた。
「行こうか」
促す声に従い、オレ達は綾之峰様の部屋を訪れた。
大和を前にし、後ろに揃い並び、座す。
「お館様、引継ぎが終りました事、ご報告に参りました」
「はとりと言ったな。皇の為に研鑽を積む父同様、良き働きを期待しているぞ」
「勿体のぅお言葉。長谷川はとり、これより御剣の為、ひいては皇達の為に精進しとうございます」
はとり殿の挨拶を聞き終えた綾之峰様の視線が、ゆっくりとオレへと向けられた。
「――双也様付き后守のお役目、確かに長谷川殿へお伝え、託しました」
告げようとした途端、ずしりと重たい石を抱え込んだような気分になった。
この期に及んで、まだ心の何処かで終らないと思っていたのかもしれない。
「はとり、明日にはお前の部屋を用意しておく。何か入用な物があれば遠慮なく申し出よ」
「ありがとうございます」
「……はとり、明日は夕方以降に来るようにしておいて。お館様、よろしいですか?」
気配をやる事もなく、真っ直ぐ綾之峰様に向けられたまま、大和が問えば好きにしろと返されていた。
「では、僕はこれで失礼します。はとり、君も下がって」
「は、はぁ……」
大和がオレを呼ばなかった事に疑問めいた返事をしていたが、先に戸の前に立ち、待つ主の姿に従い部屋を後にした。
二人の足音が完全に遠ざかるのを待ち、前にと招かれ大和が使っていた座布団を下げて、その場所に座りなおした。
「確認の為に問うが、お前はあの家に戻る気は無いのだな」
「はい」
「家を出た後、どう生計を立てるつもりだ」
突かれた問いに、オレは緩く首を振るしか出来なかった。
「ただ、影担いの仲間に助言を請うつもりでございます」
生活すると言うのにどのくらいの金が掛かるかもさっぱり分からないが、そう言うのも含めて教えてもらうことは、悪いことでも無いだろう。
「そうか」
吐息混じりに呟かれたような気がしたが、綾之峰様は袖内から袱紗を取り出し、前に置いた。
「如何な理由であれ、長年使えた者を一貨もやらずに表に出す訳にはいかんからな」
言われて、改めて思ってしまった。
今はまだ、后守と言う古くからの役目に守られ、衣食住に苦労する事もなかったが、今日、此処を出れば久弥や他の人たち同様、己で稼がねば、それも侭ならない。
「一月程度では飢え死にしない額のみだがな。後はお前たちの流れに委ねよう」
「有難うございます」
「それと、影担いとして必要あらば紀代隆に鷹を遣わせるがよい」
「はっ。重ね重ね、有難うございます」
礼を述べ、前に出されたままの袱紗に手を掛けてから、少し考えた。
「どうかしたか」
「いえ……ただ、使いに出ていたときの事を思い出していたのです」
「ほう」
手紙届け一つ出すだけで、普通の人は躊躇い、人伝に託すと聞くし……
「お館様、最後の最後にお手を煩わせてしまうかも知れませぬが、藤細工へ一筆頂いても宜しいでしょうか?」
「何を思いついたか。良いだろう、暫し待て」
礼を述べるよりも先に、綾之峰様が席を立ってしまい、小さく頭を下げるだけになってしまった。
数分の後に、再び戻ってきた綾之峰様より、墨の色の綺麗な手紙を頂戴し、何度目かの礼を述べて立ち上がった。
「余計とは思うが、父を恨まず、力及ばぬ私を恨め」
力ずくで大和と距離を取らせようとする頭領に、恨み言が無いということは言えない。
けど、それで綾之峰様を恨むと言うのも筋が違う。
すぐ傍で守れなくとも、それで諦めて約束を断つのは違う。
大和に、荒神の力を使わせない等とは言えないからな……それでも、使わせずに済むように道を探していきたい。
だから恨み言を言い募る暇より、探す時間が欲しい。
「――后守は元より影でございます。お館様、長らくお世話になりました」
自然と深く、長い礼を向け、部屋を出た。
戸を閉め、力が抜けていくのを感じながらも部屋を離れ、借りている部屋に何とか戻った。
だが、ここで力尽きている場合でもない。
久弥から借りたものを纏め、元から持っていた自分の物も重ねて風呂敷に包む。
元より一度は屋敷を離れた身。荷物もこれだけだ。
白雛を手に、忘れたものも無いかを確かめておく。
あの日と同じで、違う心のありように少しばかり、重たい溜息が零れていた。
「十斗いる?」
大和の声で呼ばれ、荷物を手にしたまま戸を開ければ、何時もと変わらぬ笑みを浮かべて立ち、その足元に隠れるように、灯里が潤んだ瞳を向けてきていた。
「準備、出来ちゃったみたいだね」
「ああ。長く躊躇う方が堪えるからな」
「そう。門の所まで見送るって聞かないんだよね」
言いながら、灯里の頭を撫でてから、大和が前に出るようにその背中を押しやった。
「じゅっと……」
「見送ってくれるのだろう?」
先に歩き出し、土間に揃えていた下駄を履いて歩き出せば、おずおずと歩き出した。
無言のままでゆっくりと歩いて着いた玄関先で、普段使っていた勝手口向かいの、数ある突っ掛けに足を通して、二人とも本当に外まで出てきてくれた。
「別に此処で構わんぞ」
「じゅっと、ホントに、いっちゃうの?」
門の手前で足を止めて言えば、視線を下げたままの灯里が、自分の着物の裾を掴んで聞いてきた。
その姿から大和へ視線を向ければ、何も言わず柔らかく口元を上に持ち上げて妹の背中を擦っていた。
「怒るなよ」
大和にそう断りを入れて近付き、頭だけを抱えて、抱き寄せた。一呼吸の間だけしっかりと寄せて、そして離した。
「此処にちゃんとお前を連れて行く。だから、泣くな」
二人で話した時にもらった、御守をしまってある懐を指して言えば、また泣きそうだった顔を両手でぐしぐしと拭い頷いてくれた。
「いい子にしてれば、灯里もお外いけるんだよね?」
「ああ。ただ、お館様にはちゃんと許しを得てからだろうがな」
「うん……がんばる」
「もう二人とも、別に永遠の別れって訳じゃないでしょう」
思わずしんみりとしていた空気を、大和の呆れた声が破る。
「十斗、約束は守ってよね」
「所在決まれば連絡する。手紙でも誰でもいいから様子を知らせてくれ。さもなくば、また誰ぞが赤子のように泣いているかと心配で、夜朝も寝れずに倒れるやも知れん」
「むぅ、灯里は赤ちゃんじゃないもん!」
にんまりと、悪戯を思いついたような笑みを浮かべて言われた言葉に、矛先を少しずらして言えば、泣きそうで赤かった頬を思い切り膨らませて叫んだ。
「そうそう。灯里は赤ちゃんじゃないよ。ただの泣き虫さんだもんね」
「うーっ! にいさま、キライッ!」
くすりと笑い、庇うかと思えば付け加えられた一言に、思わず灯里と共に驚いたが、また叫ばれ肩を竦めていた。
「ほら、君が変なこと言うから嫌われちゃったじゃない。早く行ってよね」
「今のはオレのせいじゃないが、人に会いたいからな。これで行く。助かった、ありがとう」
不貞腐れた灯里を大和が抱き上げ、人を追い払う仕草をする。
「お外いけるようになったら、ちゃんと灯里から会いにいくね」
最後には泣かせることもなく、笑って手を振ってくれた。
そうだ、此処で時間ばかり取るわけには行かない。歩かなくては何も進まないのだから。




