継ぎ渡しに戯
互いに挨拶を交わし紀代隆様と共に、二人に屋敷の中の案内を始めた。
主たちの部屋を除いて、大方の部屋の案内を済ませた後、再び客間に戻り、先に紀代隆様は東雲殿と二人で綾之峰様の部屋へ向かった。
「それでは長谷川殿。こちらへどうぞ」
「はとりと呼んでくれりゃあええよ。年下たぁ言えど、お屋敷に関しては冬臥はんの方が長いんじゃて……あぁ、常はこんなもんじゃって、そいに驚かんでいいじゃろ」
確かに挨拶を交わしたとき、癖があると思っていたが……
「普通に語らうも出来んが、キツうなっとるようでな。常はしゃべらんようにしとるんよ」
「左様でございましたか」
大和の部屋に向かいながら、長谷川殿は人懐こく笑みを浮かべ、北とも何処とも捉えられない訛りで言うが、緊張とも違う、オレに向けられる笑っていない視線が気になった。
まあ、オレがとやかく言える立場でも無いが。
「あぁそうだ、はとり殿。お目通りの前に一つ」
大和の部屋まであと一、二歩という手前で足を止め、向き直らずに声を掛けた。
「なんぞあるんか?」
「雷雲後の曇空にて御座います。晴天のお目通りを叶える事出来ず、そちらはご容赦を」
「ん? こげに良い天気じゃって……それとも、言葉通りに天気屋と?」
頷いたとも見えるような曖昧な礼を見せ、部屋の前で膝を折った。
「双也様。長谷川はとり殿をお連れ致しました」
声を掛けてほんの少し戸を開ければ、ふんわりと漂う松香に混じって甘い薫りが鼻をくすぐった。
何を調香したのか分からないが、木々の匂いを覆う甘い香りに、初めて嗅ぐのに、らしくないと思ってしまった。
「失礼致します」
戸を開けきり、中に入るように促せば、はとり殿もこの匂いに戸惑ったように敷居の前で一度立ち止まっていた。
奥の寝所の前の襖はぴたりと閉まり、その前にはとり殿が緊張した背を向けて座ったのを見届けてから、入り口の戸を改めて閉めた。
次第にまた入り混じった香が部屋の中に溜まり、歩く動きに合わせてふわりと舞い上がる。
「ご苦労様。少し待っていてもらっていい? 冬臥、中に来て」
やんわりとした作った口調で、呼ばれオレは双方にそれぞれ一声掛けて、促された通りに寝所へ入った。
珍しく扇子を持ち、顔を隠していてもクスクスと笑っているのがよく分かる。
「冬臥。手を」
言われて差し出した手に、輝政殿の式紙が何処からともなく現れ、収まった。
「戻っていいよ」
式紙をしまいこみ出る流れで、静かに寝所の襖を全て開け放ち、二人を対面させる。
「双也様、お会いでき光栄です。お初にお目に掛かります、長谷川はとりと申します」
はとり殿が礼を交わし面を上げれば、虚を突かれたように目を剥いていた。
いまだ扇子で顔の半分は隠しているが、正座をし、隠す扇子に添える手の揃えは女舞を意識したもの。
「生まれは北なの。少し訛りがあるみたいだけど」
「は、はい。父は北の生まれで、母は南です。そげに気になられますか」
「別に。面白いからどっちでも良いよ」
変わらず作っている柔らかな口振りに、わざと愁いがちに伏せる暗紅色の瞳が、はとり殿を真っ直ぐに捉えている。
「はとり、君には幾つか守ってもらいたい事がある。それを破れば僕は遠慮なく君を捨てるからね」
“覚悟して”とやはり作った声音で、ぱちんと扇子を閉じれば、はとり殿は、緊張とは違う強張りを見せて姿勢を正した。
霞柄の紬というだけでも、更に女に間違えられるだろうと言うのに、ご丁寧にうっすらと化粧を施し、唇にも何か付けたのか、艶めかせていた。
正直、初見の人間を驚かせるのが趣味かと改めて考えてしまったが、冷たく定める暗紅色の瞳は、こちらの背筋を寒くさせていた。
「承知いたしました」
一呼吸か二呼吸か遅れて伏して告げたはとり殿の言葉を、確かに聞いたかと問う視線に、頷き返した。
「なら覚えてて。僕の命には、疑問を差し挟まないこと。呼ぶまで絶対に部屋に立ち入らないこと。僕の大事なものを傷つけないこと」
「は……大事なものと言うのは」
伝えていないのかと問う声に、オレは目を伏して一度、横に首を振った。
「僕のお姫様。まあ、他にも幾つかあるけれど、基本的に、僕は余り干渉されるのが好きじゃないから……怒らせないでね」
「はい。重々に」
「今の言葉を忘れないでね。もう少しだけ、彼と話がしたいから下がってもらえる? 客間にでも待ってて。冬臥、侍女に案内させておいて」
「承知いたしました」
「……承知いたしました」
命を受け、声を上げれば一人、手を空けて来てくれた。その侍女を表で待たせはとり殿の案内を託した。
「お茶も出しておいてね」
「申し訳御座いません。済み次第、オレも直ぐに戻ります」
追い立てるように退出を促す大和とオレに、はとり殿は一度頭を下げたが、向けてきた視線には負の感情が込められていた。
「冬臥」
廊下に出てはとり殿の影が見えなくなった処で、まだ作り声で人を呼ぶせいで、鳥肌が立っていた。
だが、それを声には出さず視線だけで訴えれば、肩を揺らして笑うのを堪えていた。
「出してくれる」
「余り遊ぶな」
そう零してから、棚から何時もの着流しを出して渡し、寝所の窓も開け放った。
「話してみて分かったよ。彼の父親がどんな人だったか。まあ、それは置いといても、好きにはなれないね」
「オレと比べて、とならありがたいが」
「言うようになったね。まあ、そうだね……君が察しの悪い大根じゃなくて良かった」
「お前が言ったのだろう。いい囮になっていると」
最後の二言ほどは小声で、外に聞こえない声量で交わし、最後の着付けを手伝う。
「でも、さっき話して思い出したらまた少し、怒りが戻ってきたから……」
「――ッ! お、お前なぁ……」
包帯の上から思い切り握られ、走った激痛を堪えたが、じわりと包帯を汚すものにまた、堪えるしかなかった。
「早く手当てしてくれば」
「そうさせてもらう……」
痛みを堪えながら戸に近づけば、床を摺りながら急いで去る音があった。
その音とは反対側の方向へ、オレも足早に侍女達の詰部屋に向かった。訪れれば何用かと問う声があがり、手当て用に包帯を頼めば、油紙と綿紗も新たに用意して出してくれた。
「汚れたのは置いておいてくださいな」
その言葉に甘えつつ、手を借りて包帯ごと取替えさせてもらい、客間に改めて向かおうとすれば、部屋に居るはずの大和に呼び止められた。
「僕も一緒に行くよ。と言うか、ちょっと待ってて」
慣れない化粧なんぞして現れたせいで、この場に居た侍女達が固まったのが見えた。
「若様、勿体無い! 落とすのなんて寝る前までお待ちください!」
「そこは止めないでやってください!」
一人の侍女の悲鳴に、こっちが逆に声を上げてしまった。
「そんなに似合ってるのかな」
「勿論でございます。その辺の芸役者よりもずっとお綺麗ですよ」
だってと、言いたげにこちらを見て来るが思い切り首を振っておく。
「その姿でお館様にお会いする気か!」
思わず怒鳴れば、一様に沈黙ののち恨みがましい視線が向けられたが、構うものか。
大和の短い返事を受けて、化粧を落とすのを見届け、落とし零しがないか、顔を拭くついでに見ておく。
「眉間に凄い皺寄ってるけど、大丈夫?」
「誰がそうさせているんだ?」
けらりと笑って言うので、一層自分の眉間に皺が寄るのを感じたが、それで懲りるわけが無いな。
全く、諦めて共に客間に向かえば、先ほど案内を頼んだ侍女とはとり殿が話しをしている姿が見えた。
「引継ぎ話早々に、うちの者に手を出さないでもらえるかな?」
からかい半分に告げた言葉に、はとり殿は滅相も無いと慌てたが、慣れている侍女は笑いながら立ち上がった。
「双也様ってば違いますよ。姫様の事を少しお話していただけですよ。では、ごゆっくりと」
一つ頭を下げ、オレにとっては厄介なことを残して、侍女はこの場を去っていった。
薄曇まで回復した天気だったのに、ぽつぽつと黒い雲を運び込んでいる具合か。
「僕が戻るまで此処にいて」
「承知いたしました」
低まった声の変化に気づいているのか、気がついていないのか分からないが、はとり殿も頭を下げ揃い、部屋を後にする大和を見送った。
「はぁ。あれが主さんの素顔かぁ」
「些かの悪癖がありますが、そのうち慣れてしまいますよ」
そう添えて、始めに紀代隆様と共に屋敷を廻った時に伝え漏れがなかったかを反芻しながら捕捉しておく。
始めのうちは互いに慣れず大変だと思うが、侍女達に尋ねれば問題もないだろう。
しかし、戻ってこないな。
差し込む日差しの角度が変わっているのだから、余裕で半刻は過ぎている。
どうしたものかと暇を持て余していれば、はたはたの元気に鳴く声と、灯里のはしゃぐ声が聞こえてきた。
「ええね、ひぃさんは。なんもせんと、其処に居るだけで良いんじゃから」
ぽつりと何気無しに呟いただろうその言葉を流して、お館様の部屋から戻ってきただろう侍女達の一人を呼び止めた。
戻ってこない大和の所在を尋ねれば、見て居ないと言う。
「主さん戻って来られんのぉ。なんぞあったんじゃろか?」
「左様でございますね、少々探してまいります」
「そいが良い。じゃが、二人で探しちょる間に主さんが戻って来たらアカンじゃろうし、わいじゃ迷子にならんじゃて」
「構いませんよ。先に主殿が戻られれば、オレが探しに出ていた旨お伝えください」
「あい分かった」
部屋を出て廊下側を歩き床の間へ向かおうとすれば、中庭で遊ぶ灯里とはたはたの姿が見えた。
中庭にいるかとも思い、注視しながら進めば、東雲殿を連れた紀代隆様と会った。
これから灯里のところに行くのだろう。すれ違い見送れば、ふっと東雲殿が振り返った。
先日と同じ読めぬ無表情さで、小さく会釈をして紀代隆様の後を付いて行った。
「そんな所で何してるの。待っててって言ったのに」
中庭から声を掛られ視線を向ければ、大和が意外だと言うように呟きながら、突っ掛けを脱いで上がってきた。
「余りに遅かったからな、飽きて寝ているかと思ってな」
冗談ついでに言えば、声こそ無くも驚いた目を向けて来ていた。
「……本当に寝てたのか?」
「嫌だなぁ。そんな、大した時間じゃないでしょ?」
「まあ、良いがな」
戻ろうとすれば、先ほど脱いだ突っ掛けを指差して置いて来いと言う。
だったら、庭を通らずに来ればいいのに……と、思うが灯里の声を聞いて見るついでに庭を通ったのだろう。
直ぐに戻ると伝え、脱ぎ散らかしたものを拾いあげ、元の場所に置きに戻った。




