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離別の朝

 翌朝の朝稽古だけ紀代隆様と共に短く済ませ、引継ぎの為の準備を始める。

「では、東雲の引継ぎは俺が行う。何か気になる事があるのなら先に聞いておくぞ」

 汗を拭きながら言われた言葉に、何があるかと少し考えた。

「いえ……どちらかと言えば、はたはたの面倒も一緒に見てもらえれば、嬉しい限りですが」

「そうか。二人とも犬は平気だと言っていた様だし、そこは安心していいだろう」

「それなら安心しました」

 怪我が直れば、本来なら貰い手を捜すと言う話だったのだが、そんな話も自然と消えて、今も屋敷の庭を自由に遊んでいる。専ら、はたはたは離れ傍の池の周りで遊ぶのが気に入っているから、客人の目に触れることも少ない。

「双也様へ話はしたのか」

「はい。朝に呼ばれておりますので、これで失礼致します」

 幾らか心配そうな視線を向けられたが、それを受け止めて返した。

「そうか。はとり達には昼過ぎに来るように声を掛けてある。姫様への挨拶は、それまでに済ませておけ」

「……承知致しました」

 先に道場を退出し、今まで通りに着替えを済ませ、厨へ先に向かった。

 何時ものように、大和と灯里の膳を用意して……灯里の分はみちる殿に届けを頼むように言付け、自分の朝餉代わりに握り飯を二つほど作ってもらい、殆ど押し込む形で平らげてから、大和の膳を部屋の前に運んだ。

 外から声を掛けても返事は無い。

 夕べ途中で起こしてしまったしな、まだ寝ているのかもしれない。

「入るぞ」

 少し大きな声で断りを入れて、部屋の中に入れば、何時も開けてある奥の部屋への襖がしまっていた。

 何時もの場所に膳を置き、奥の襖の前に座った。

「双也、起きてるか?」

 襖越しに声を掛けても、返事は変わらず無い。もう一度、先ほどと同じ断りを入れて、襖を開ければ頭の先まで布団に隠れているのが見えた。

「……おい、大和! 起きろ!」

 完全に隠れている頭を更に体にくっつけたらしく、こちらからは背中しか見えなくなった。完全に、起きる気は無いという意思表示……よくやっていたその姿に、遠慮なく布団を剥いだ。

「う……ぅん。んー……も、もう少し」

 背中を向けていて、顔は見えないが、剥いだ布団を手探りで探していた。

「朝に来いと呼んだのはお前だろう。昼には皆揃う。起きろッ」

「そぅだけど……ねむ……」

「まったく、他所には見せられんな」

 少しは改善していたかと思ったが、大和は再び寝息を立て始めたので、無理矢理、体ごと引っ張り起こし……昔のように遠慮なく、目覚めの一撃を食らわせてやる。

「いったあああああっ! ちょ、十斗っ、ま……待って! 起きた、起きたから!」

「お前、本当にオレがいない間、どうやって起きてたんだ」

 水で濡らした手拭を差し出せば、それで顔を拭いて、ようやく目を本格的に覚ました。

「一刻くらいから早く寝るようにしてた……ふぁぁ、この目覚ましから、解放されたと思ってたのに」

「……体の具合はどうだ?」

「一応、大丈夫だね」

 布団から立ち上がり、大きく体を伸ばしていた大和に、先日の件もあり尋ねれたが、本当に平気そうだな。

 眠そうに潤む暗紅色の瞳を瞬かせて、首元を解している。

「朝餉の膳は持ってきた」

「ありがとう。十斗はもう食べたの?」

 こちらに声を投げつけながら、膳の前に座り、頂きますと呟いていた。

「ああ。今日はどうする。いつも通りというわけには行かないぞ」

「霞柄の紬があったでしょ。それでいいよ」

「……あれでいいのか?」

 薄い空色の生地に、白く雲霞で仕立てられた物で、仕立ててから一度しか着た事の無いものだ。

「良いよ」

 言ってから椀の汁を啜っていたが、あれは……何か下らない事を考え付いたな。

「十斗、後で部屋にみちるを呼んできて」

「構わんが、何を考え付いたんだ」

「別に。たまには着ないと、皆にまた文句言われるんだもの。それより、後任はどんな人が来るの? 君はもう会ったんでしょう」

「ああ、長谷川はとりと言う方だ。何でも、陽乃環門番衆に父が居ると聞いた」

「長谷川……ねぇ。そう言えば、そんな名前の人が居たかも。他には」

「他、と言われても、オレが道場で会ったのは一度だけだ」

「うわぁ、使えないなぁ。それじゃ、灯里の方は?」

 使えないと言われた言葉に反論しかけたが、そのまま続いた言葉に、あの薄明かりの中で会った長谷川殿の姿から、視線を巡らせるように思い出し、記憶に浮かんだのは、静かに座っていた東雲殿の姿だった。

「……東雲という方だ。昨日が初めてで、良く分からん。ただ……」

 夕べ出会った東雲殿の姿は……

「ただ?」

「誤解を与えるかも知れんが、容姿は人形のようで……どこか、空虚な感じがした」

「なにそれ?」

 険が込められたとも、呆れたとも取れる大和の言葉に、慌てて首を振った。

「あ、あぁ、すまん。ただ、物静かと言うには……少し違う感じがしたんだ。意識を外せば、消えてしまいそうな……いや、何を言ってるんだ、オレは。すまん、忘れてくれ」

 あの時の東雲殿は、挨拶の言葉すら記憶に残らないほど、あまりに静か過ぎた。

 それ故に、どういう姿だったのか、詳細が思い出せなかった。

 オレが違うところに、気が行っていたせいとも言えるかも知れないが。

「会って見ない限り分からないと言う事だね。でも、君がそう言うなら……少し怖いね」

「怖い、のか?」

「君は人の感情を良く観察してるからね、その君が捉えられて無いって事は、僕には怖いよ。味方の居なくなる中で、存在が薄い相手は……恐ろしいよ」

 そう言ってくすりと笑って、また飯を口に運び入れていた。

「そうなのか?」

「うん。僕が気を付ければ良いだけだから、気にしないで」

「……すまん」

 思わず吐いて出た言葉に、大和は軽く一瞥をくれただけでご馳走様と、箸を置いた。

「下げついでに、みちるを呼んできて」

「承知。あぁ、それと、灯里にも……話しをしてくる」

「分かった。泣かせないでよね」

「努力はしてみよう」

 空いた膳を厨に下げ、そのまま灯里の居る離れへと足を向けた。

 離れ前の庭先に踏み入れれば、砂利を蹴りつける軽快な足音と、初めて聞いたときよりも、逞しく低くなった鳴声が聞こえてきた。

 体躯もそれに併せて大きくなっていたが、鳴く声はどちらかと言えば歓迎より、威嚇に近いものだった。

「はたはたぁ、どうしたの?」

 鳴く声を聞き、不思議そうに小首を傾げた灯里が戸の前に出れば、はたはたは、困ったようにオレの方に目を向けつつ、灯里の傍へと戻っていった。

「あれ、じゅっとだ。はたはた、じゅっとだよ? どうしたの?」

「前に会った時から、大分経ってしまいましたからね、忘れられたかも知れませんね」

 灯里がはたはたの頭を撫でながらしゃがみ込めば、釣られたのか、はたはたも座りこんだ。

「はたはた」

 声を掛ければ、耳がピンと立ち、忙しなく動いた。

 少しだけ距離を取って膝を折れば、明らかに困惑した表情を見せて、鼻をひく付かせていた。

「ああ、そうか。香の匂いのせいか」

 片手を差し出し、匂いを嗅がせれば、くぅんと情け無い声を聞かせてくれた。

「じゅっとは、どうしたの?」

「ええ、みちる殿に用がございまして」

「……うー、なんで、またそう言うの。それ、キライ……」

「どうか、今はご容赦ください。みちる殿は、今こちらには居られないのですか」

 不貞腐れる灯里の代わりに、はたはたの頭を撫でれば、尻尾が躊躇うように揺れていた。

「すぐもどってくる」

 唇を尖らせて答えてくれたが、灯里はそのまま、はたはたの首筋をぎゅっと掴んで抱き寄せていた。

 そのせいで、はたはたの柔らかな毛が、指先から離れてしまった。

「じゅっと、いじわる言うから、めっ」

「以前にも言いましたでしょう。他の者達への示しになりません。今は、ご容赦ください」

 もう一度言ってみるが、納得したわけじゃないと益々、唇を尖らせていた。

「后守殿、如何なされましたか」

 後ろから声を掛けられ、それを機に立ち上がり、みちる殿へ頭を下げた。

「双也より、みちる殿を部屋に通すよう仰せつかり、参りました」

「はあ。双也様がわたくしに、でございましょうか?」

「はい。それと、オレに灯里様と話しをする時間を頂きたく、お願いに参りました」

「やっ! 灯里にはないもん!」

 にべも無く言われてしまったが、みちる殿には大和に呼ばれたことの方が優先順位が高く、小さく一礼をして、来た道を引き返すように行った。

「灯里。茶を取ってくるから、はたはたと一緒に、そこの縁側で待っててくれないか?」

「……やっ。じゅっとの言うことなんか、きかないもん!」

「本当に大事な話だ。座って、待っててくれ」

 重ねて告げ、背を向けたが突き刺さる視線を感じて、もう一度振り返れば、慌てて視線が逸れたのが分かった。

「すぐ戻るから」

 そう残して、何時もは裏口から屋敷の中に戻るが、時間を惜しんで繋ぎ廊下から中に戻り、厨に赴いた。

 朝餉の時間も過ぎ、片付けもひと段落ついた後と言った具合で、今は二人だけの侍女が、僅かに残っている器を棚へ収め直しているところだった。

 その横を失礼しながら湯直しを頼み、茶の用意を始めれば、侍女の一人が小さく声を上げた。

「姫様、どうされたのですか?」

「なんでもないよっ。べ、べつに、付いてきたんじゃないもん」

「あら、てっきり后守殿の、お手伝いに来られたのかと思いましたのに」

 笑われた声に、頬をぷっと膨らませていた灯里だったが、オレは湯を頼んでいた侍女から掛けられた声に、返事を返して用意を進めていた為、灯里の姿を、厨の戸の影に見ているだけだった。

「ちがうもん。えっと、その……自分で、お茶とりにきたの!」

 誰が咎める訳でも無いのに、近くにあった突っかけに、小さな足を通して入ってくると作業台の上に置いてある湯飲みを目掛けて、突進する音が聞こえた。

「姫様!」

「ふえ……?」

 侍女の悲鳴に一歩及ばず、灯里の着物の袖が柱に打ってある釘に引っかかり、つんのめった拍子に盛大な音を立てて破れた。

「あ、あぁ! ご、ごめんなさぃ……んと、ど、しよぅ」

「動いては危のうございます!」

「でも、でもぉ……っ!」

「灯里ッ」

「きゃっ」

 慌てて引っかかった袖をどうにかしようと体を捻り、綱引きのように引いた灯里の背が、破りきれた弾みで、湯を持ち傍を通った侍女の体にぶつかった。

 ……手の届くところで良かった。

 鈍い音を立て鉄瓶が落ち、土間に湯気を立ち上らせて、染みを作ったのが見えた。

「ふぇ……わああぁぁぁぁんっ!」

 驚いて混乱したその泣き声に、灯里の仔細は駆け寄った侍女に任せ、もう一人のほうへ向いた。

「大丈夫でしたか」

「え、えぇ。はい……それより、后守殿は?」

「後でやりますので、気にしないで下さい」

 へたり込んでしまっていた侍女の傍らに付き、立ち上がらせれば、体に力が入らないと笑って、作業台の上に両手を付いた。

「灯里! 何かあったの!」

 走る音に続き、廊下に通じている厨の扉が外れる勢いで開かれれば、大和が血相を変えて飛び込んできた。

「そ、双也様……」

 侍女達の息を呑む音に釣られて、そちらに目を向けた。

 怒りに充ちた黒い瞳に疑問よりも安堵し、そのまま、大和は灯里の傍にいた侍女を突き飛ばしてまで、その小さな体を掴んだ。

「灯里、大丈夫? どうしたの、怪我したの?」

「ご、めんっ。ごめ、んなさぁぁい」

 泣きじゃくる灯里を強く抱き寄せた代わりに、鬼の形相でこちらを見上げてきた大和にどう説明するべきか、少しだけ溜息をついてしまった。

「ねえ、なんで灯里がここに居るの? 君のせい?」

「否定はしない。迷惑を掛けた……すまない」

 膝を着き頭を下げる。

「僕が聞きたいのはそういう事じゃないッ。分かってるだろ!」

「オレのせいで灯里様に、火傷を負わせかけた」

「君が?」

「ちが、うの! にいさま、ちがうの!」

 怒鳴るのを堪える大和の腕の中で、泣きながら言う灯里の声も、聞こえた。

「灯里は黙ってて!」

 初めて、宥めるよりも怒りを先立たせた大和の言葉に、一瞬沈黙が訪れた。

「大体っ、何で灯里をこんな所に」

「うぅ、にいさまのばかあああああああああ―――っ!」

「!」

 これもまた、初めて泣く声よりも、絶叫で最後の方を掠れさせながらの抗議の声に、流石に思わず顔を上げてしまった。

「あ、灯里……」

「じゅっとたち、わるくないの! わるくないのっ!」

「……姫様」

 大和の腕の中から逃げ出すように叫びながら、もがいて自由になった手で、兄の体を勢いよく殴りだしてしまった。

「ちょ、と待って、灯里!」

「にいさまキライッ! はなして! はーなーしーてーッ!」

「え……あ、灯里……」

 灯里の全力の抵抗に、大和が思わず手を離せば、灯里ははらはらと成り行きを見守っていた侍女たちの傍に駆け寄っていた。

「あの、ね、ごめんなさい……なの。ケガ、してない?」

 浮かび、落ちる涙を手で拭いながら尋ねたものだから、侍女達も顔を手で覆ったり、袖で隠しながら頷いた。

「ねえ……本当にどういうことなの」

 困惑と怒りをない交ぜにしながら声を掛けた大和だが、オレは見つけてしまったものに慌てて侍女達に、水と濡らす物を頼んだ。

「一体どうしたのだ。騒々しいぞ」

 いつの間にか増えていた人だかりの間を縫って、綾之峰様が姿を見せ、土間に下りてきた。

「とうさまぁ……ご、ごめんなさいなの」

 灯里の声に、綾之峰様は周囲を見回し、水を持ってきた侍女に目を向けた。

「おこらないでっ」

 侍女達に厳しい視線を向けたのに気がついたように、灯里が声を上げて、オレ達の前に立った。

 それ故に侍女達にも見え、か細く「姫様……」と呼ぶ声が零れていた。

「申し訳ありません、お館様。先に灯里様の手当てをさせてください」

「ふぇ……?」

 思わず険のある声になってしまったが、構っていられない。水桶の中に差し出された布を突っ込めば、自分の手の甲が、突き刺すような痛みを訴え始めた。

 それでも、できるだけ固く布を絞り、自分の事なのに分かっていない灯里を膝の上に座らせた。 

「少し我慢してください」

 一声掛け、肌蹴て覗く首筋に赤い斑点が浮かんでいた。そこに、そっと布を当てれば、灯里はようやく事態を察したかのようにまた、ぼろぼろと涙を零していたが、今度はぎゅっと唇を結んで、声を上げないように堪えていた。

「どなたか薬箱を」

「持ってきているぞ」

 近場に見当たらなかった薬箱を頼もうと声を上げれば、紀代隆様がそれを持って複雑そうな顔つきで近づき、箱を開いてくれた。

「して、一体何があった」

 説明を求める静かな声に、紀代隆様に手当ての続きを託して、一歩下がり侍女達と共に並び、地に額をつけた。

「申し訳ございませんっ。私どものせいで、姫様に火傷を負わせてしまいました」

「あ……ちが、うの。とうさま、灯里が、走って、そでやぶっちゃって」

「姫様」

 口を差し挟むなと窘める紀代隆様の呼び声に、灯里の気配がしゅんっとなったのが分かった。

「オレが直ぐに戻ると言いながら戻らなかった為、灯里様にこのような怪我を負わせてしまいました」

「うぅ、ちがうのにぃ……」

「灯里。お前には厨は危ないから近付くなと常に言っていたはずだが、何故破った」

「……冬臥に連れて来てもらったの?」

 確かめる口振りで尋ねる大和に、知らず体が反応してしまっていた。

「ちがうの! ちゃんと、灯里からはなせるもん。にいさま、聞いてくれないからキライッ!」

「灯里、僕は心配して」

「二人とも止めぬか。用の無い者は仕事に戻れ。みちる、灯里の新しい着物を用意しておいてくれ」

 綾之峰様の言葉に誰も逆らうことなく、まばらに足音が遠ざかって行った。

「双也、お前も部屋に戻り用意をしておけ」

「お断りいたします。仮にも冬臥は僕の付き人です。その彼が灯里に怪我を負わせたと言うのなら、僕にも聞く権利はあると思いますが」

 否。あっさりと逆らったのは大和ただ一人。

 重たい吐息を長く吐き出し、綾之峰様が土間の縁に腰を下ろしたらしく、木の軋む音が聞こえた。

「三人とも面を上げよ。これでは一向に話が進まん」

「とうさま、灯里がちゃんとはなすの! だから、おこったらダメなの」

 許され顔を上げたオレ達の前に、再び灯里様が前に立ち、その小さな背中をしっかりと伸ばし、泣いて濡れた顔をごしごしと擦っていた。

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