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対の話

 懐に差し挟んでいた本だけは、動きの邪魔にならないように離して、床の上に置いた。

「それで何か用か」

 呼び止められる謂れは無いと言った風情で、冷たい目を向けてくる。

「長旅に出る前に一つ、手合わせを願います」

「お前、怪我人相手によく言えるな」

 明らかに厭そうな表情を浮かべて見せたが、ふっと力を抜いたものに変わった。

「その位の不利条件。頭領なら問題ないでしょう」

 零しながら構えを取れば、羽織を脱ぎ応じてくれた。

 数日前には吊るしていた右腕には、もう包帯は見えなかったが、増えた傷があった。

「言うようになったが、つまりは、そうでも無ければ俺には勝てないと言ったようなものだぞ」

「……残念ながら、そう言いましたよ」

 飛び掛るように手刀を肩口に目掛け振り下ろすが、服端一つにも掠ることなく躱された。

「彼の件。何故に認めてもらえないのでしょうか」

 言いながら間合いを詰め、構えていた腕に頭領の左手が伸び、掴まえに来る。

「あれの妹には会ったか? あの子を一人にするわけにも如何だろう」

 掴まえられた腕を体の位置をずらしつつ、振り解こうとしたが、捕まれている握力に筋肉が嫌な痛みを訴えた。

 無理矢理、引き寄せられた一瞬、支える足を刈られた。

「“門弟の中から育てるのもお前の役目だ”と、言われたのは頭領ではないですかッ」

 浮き上がった足をそのまま後ろに引きつけ、板張りの床を大きく揺らして倒れまいと踏ん張り、堪え切る。

 今までのオレなら堪え切れなかった。二呼吸の合間に生まれた隙に体ごとぶつかる。

「はて、そう言ったかな」

「……言われましたよッ」

 崩れた体勢での体当たりでは、頭領の体は微動だにせずにいたが、食いしばるように体が硬直したのが分かった。

「最初に嗾けたのも、あなただ!」

 未だ掴まれた左腕が振り解けない。左肘を相手の腹に押し込み、低い姿勢のままで、空けたその場所を目掛け掌底を放つ。

 それでも捉まれたままで離せなかった。全くもって、見た目に反した握力をしている。

「なんだ、拗ねてるのか?」

「誰がッ」

 掴まれたままだが、ようやく上体を起せば、待ち構えてたのか、襟元を右手で取りに来た。

 その一瞬、痛んだのか、目元が歪んだのが見えた。

 背負い投げられるにしても、普段の早さも無ければ力も無い。

「冬臥、お前ちゃんと飯食ってるのか? 軽いぞっ」

「関係ないでしょう!」

 投げ飛ばされたが、合わせて飛び込み、ようやく左腕が解放された。

 再び開いた距離をどう詰めるか、考える時間が与えられている。右腕を庇う構えのまま、頭領からは一切手を出してこない、待ちの構え。

 何処かほくそ笑むような面差しなのに、真っ直ぐにこちらを見て隙を見せない。

「“いつか、お前の助けになる者を探して来い”とも言われたではないですか」

「ありゃ、お前の嫁の話だ」

「……ふざけんなっ!」

 のらりくらりと躱す言い草に、我慢しきれなかった。

 だが、それでも放ったのは襟元を掴む為のもの。

 殴りつけるように掴み取り、体を捻り、潜り込ませて袖を掴めば、そのまま投げ飛ばした。

「いってぇ!」

 上げられた声に何故か、一層の怒りがこみ上げてきていた。

「なんでっ!」

「怪我人投げといて、その言い草かよ!」

「茶化すなよっ」

 クソッ……

 ついて出た言葉に、思わず目頭が痛くなった。

「まーったく、破ッ!」

 一瞬の気合の声に理解する前に、視界がめまぐるしく動き、肩から床に叩きつけられた。

「十斗、良い機会だから言っておくぞ。俺は……お前達を認めない。絶対にな」

 言い放たれ、強かに打ちつけた肩を自然と庇いながら起き上がった。

「帰って休め」

 突き放された事が悔しいわけでもない。なのに、立ち上がっても顔も上げられず、滲むものが一層悔しくなる。

 せめて、零すまいと顔を拭い向き直り、頭を下げた。

「ありがとうございました」

「おう」



 屋敷に戻り、床に就いているのは承知で、大和の部屋に向かった。

「なに……どうしたのさ」

 完全に寝ては居なかったが、布団から起き上がるのに一苦労しているのが分かる。

「すまん。急ぎ伝えたい事が出来た」

 欠伸を噛み殺しながら促され、先程の一件を伝えた。

「それ、冗談でしょ……?」

「残念ながら、本当だ」

 ただ一言言われたものに、剣呑な光が見えた。それを少し、嬉しいと思ってしまった。

「そう……分かった」

「すまん」

「朝、また来て。下がって……いいよ」

「お休みのところ、申し訳ありませんでした。失礼致します」

 最後だけは視線が交わることもなく、布団の上に暗紅色の瞳が落ちていた。

 そして、次に向かうのは綾之峰様の下。

 起きているかは正直分からなかったし、起きていたとしても、かなり遅い時間帯の訪問に帰される事も考えていたが、変わらず部屋の中へ通していただけた。

「このような時間にどうした」

「申し訳ございません。取り急ぎお話ししたい事がございましたので」

 オレが屋敷に着いた後、紀代隆様が戻って来たのだから、明日の引継ぎの件は既に耳に入っているはず。

 それ故、今しか話せない。

「既に紀代隆様よりお話を伺っておられると思いますが、后守頭領よりお役目の代替わりを申し付かりました。それに併せ、以降もお館様方のご好意に甘えるわけには参りません。屋敷(ここ)を、出ます」

「そうか。何処か行く当てはあるのか」

 問われた言葉には当然、首を横に振るしかない。

「お恥ずかしながら、さっぱりとありませんが、影に寄せられる地を探します」

「実家には戻らぬというのだな」

 細く息を吐き出すように言われ、一瞬躊躇ってしまったが頷いた。

「あれは知っておるのか」

「……話してはおりませんし、以降、戻るつもりもございません」

 言葉にしておかなければ、どこかで甘えてしまいそうな自分が居る。

「明日、件の話が終わった後また私の元に来い」

「承知いたしました」

「話はそれだけか」

「はい。お休みを妨げてしまい、申し訳ございませんでした」

「構わん。冬臥……」

「はい」

「……いや、何でもない。今日は良く休め」

「はい。失礼致します」

 呼び止められ、躊躇うようなあの声は、初めて聞いた。

 いつも、禅を組むような静かな声音で、感情を見せない方なのに。

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