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呪咒の手

 霜月家に辿り着いた頃には日も大分傾き始めていた。

 雪道で歩む時間が掛かったのが一番の原因だったが、其れだけではなかった。

 開け放たれた門に続く屋敷までの道は、足跡の少ない雪で覆われた急勾配の階段が待っていた。

「行こうか、十斗」

 大和に促され階段を上るべく門をくぐった一瞬、違和感を感じた。

 空気が天地逆転したような眩暈だった。

 この違和感に戸惑い、慣れるまでにも時間が掛かった。

「霜月の敷地に入るのは……初めてだよね?」

 小さく笑った大和を見やると細められた瞳が赤みを増していた。

 綺麗な赤色をそのままに、大和はすっと手を挙げ背後にある門を示した。

 扉のない門柱に、左右共に同じ彫り物が施されてあった。それが咒だと教えられた。

「霜月本家のある処はもっと凄いよ。妖避けのしゅなんてどうでも良くなるほど、聖域は魔を払い、人を拒む」

「この違和感がそうなのか」

 自分の体の周りにある当たり前の空気の層が、ほんの隙間をあけて膜を作っているような、不可思議な違和感にオレは顔をしかめていた。

「そ、咒だよ。大陸風に言うなら結界。身を守り家を守り土地を守る……そう言う呪い」

「大和は、慣れてるんだな……オレは出来るだけ遠慮したい」

 慣れない感覚は不快だった。

「御剣に入る前は聖域と縁のある場所にいたからねぇ。嫌ならここで待つ? どうせ中は安全なの分かってるし、妖避けの咒があるから妖も近くには来ないだろうけど」

「行く。曲がりなりにも御剣の人間を一人で行かせたとなったら、后守末代までの恥だ……」

「そこで、膨れっ面にでもなってくれれば可愛げが在ると思うけどね」

「男に可愛げを求めるなっ」

 くすくす笑い逃げ出した大和を追いかけるように、オレも走って階段を上り始めた。

 長い階段は雪で滑りやすくても、オレたちには関係なかったらしく、あっという間に階段を上りきりっていた。

 御剣のお屋敷とよく似た造りの霜月家だが、広さは恐らく半分もない。

 玄関前に広がる庭先で雪かきをしていた老人に大和が先んじて声を掛け、オレも深く一礼をし用件を伝えた。

 そして、案内されるままに室内に入り、奥の間へと通された。

「どうぞ、お通りなさい」

 柔らかな女性の声に老人が片方の襖を開き、奥へ進むように促した。

 立ち上がり進む大和に倣おうとしたが、その前に大和に止められてしまい崩した足を正した。

「少し待っててね」

「はい」

 静かに頭を下げ大和を見送ると、老人は何事もなかったように襖を元の位置に戻した。

 これでオレからは中の様子を窺い知ることは出来なくなった。

「外は冷えたであろう。良ければ一服なされ」

「いえ、お構いせずに……」

 いつの間にか老人は盆を己の側に置き、オレを静かに眺めていた。

「そう畏まる必要は無い、后守の子よ。この寒空の下を歩いてきたのであれば身も冷えたであろう? 守人が風邪を引いて寝込んでは世話がない。それともこの隠居の茶は苦くて飲めぬと?」

「あ、いえ……そう言うつもりでは」

「ならばこの輝政の誘い、受けてくれるか?」

 一瞬、老人……輝政殿の表情は確かに笑みを浮かべていた。

「し、失礼いたしました!」

 条件反射というべきか、オレは輝政殿に対し深く頭を下げ謝辞を述べた。

 分家といえど霜月家の前当主。気がつかなかったのはオレの落ち度。

「后守の子よ、名はなんと言う?」

「はい。名は十斗と申します。輝政殿とは知らず、大変な無礼を……」

「子供がそう臆するでない。十斗、楽にしてよい。今日は子が二人も訪れるとアヤメに言われておってな、楽しみにしていたのだ」

 アヤメ様とはこの霜月家の現当主。霜月は術に長けた力を持つ女性が当主になることが多い。

「ほれ、今日のおはぎは中々の自信作だぞ」

「……え、と……これを、輝政殿お一人で?」

 茶と共に添えられていたおはぎを目の前についぞと輝政殿を見つめ返していた。

「なに、隠居ともなればする事がなくてな。時間ばかり余って仕方がない」

 豪快に笑い、自分の手元においていたおはぎを頬張り、オレに食ってみろと言わんばかりの視線が向けられていた。

「では、いただきます……」

 恐る恐るというか、恐れ多くて少し手が震えていたのは今でも憶えている。

 一口頬張れば、少し強い小豆の甘みが広がり……甘いものが苦手なオレには少々、甘過ぎた。

「どうだ。少し甘めにしてみたのだが、美味いか?」

「はい……」

 流石に一口食っただけで茶を飲むのは些かはばかられ、もう二口と小さくおはぎを口に入れてからゆっくりと茶を啜った。

 少し苦い茶が、口の中を覆っていた甘みを中和してくれた。

「お前は礼儀を心得ているな。甘いのが苦手ならそうと先に言っても良かったのだぞ」

「も、申し訳ありません……おはぎ自体は嫌いではないのですが、少し、甘かったです。あ、でもお茶は美味しいかったですっ」

 慌てて取り繕うように告げたものだから、大和と話をしているような口利きをしてしまっていた。

 しかし、輝政殿は愉快そうに笑い新しい茶を入れてくれた。

「ところで十斗。灯里姫様のご成長振りを、この老体に聞かせてはくれぬか?」

「はい。オレの知る限りでよければ」

 そして、足を崩せと促され正座から胡坐へと崩し新しい茶を飲みながら、輝政殿に灯里様のことを話していた。



「十斗、お待たせ」

 直ぐに済むと思っていたオレの予想に反し、何杯目かの茶を空けた所で大和が戻ってきた。

 すっかり油断していたオレは慌てて、茶器を置き大和を迎えた。

「翁は相変わらずですね……いいよ、十斗そんなに慌てなくても」

「なに、子供のうちから自由性を奪うのは主義に反するのでな。アヤメは何と?」

 笑い方の似ている二人にオレはまた正座し、大和を待った。

「ええ。直ぐに紙者を送って下さいましたよ。式紙なら明日にでも本家に届くでしょう、と」

「……まあよい。別れた道のこと、とやかく言う筋は老体には在りはせぬ。それより、どうだ? おはぎでも持っていくか?」

「翁の手作りですか。少し甘そう……灯里が喜ぶかな」

 一目見ただけで大和は少し顔をしかめたが、浮かべただろう綻ぶ表情に直ぐに小さく笑った。

「頂いていきます」

 大和が言うと輝政殿も小さく笑い後ろに控えさせていた重箱を前に出し、椛色の風呂敷で包み上げていた。

「さて、見送る前に……十斗。お前の刀を貸してもらえぬか?」

「はい。こちらでよろしければ……」

 取り出したのは護身用で持ってきていたあの懐刀。長刀は扱えないわけではないが紀代隆様が側にいるときしか、持たせてはもらえない。

「手入れもしっかりとされている、刀として良き主に恵まれたようだな」

「ありがとうございます」

「日が落ちるからな、念を入れておこう」

 輝政殿は鞘から刃を抜き出しはせず、懐の中から幾重かに折りたたまれた紙を広げた。

「破邪の咒。よかったね十斗、妖を切り払う咒だよ」

 広げられた紙には紋様が描かれ、不思議な文字が幾重にも折り重なるようにあった。

 咒も術も、オレにとってその違いなど分からなかったが輝政殿が案じてくれたことだけは理解できた。

 オレと大和は輝政殿のなぞる文字を見つめ、ふっと手が離れると懐刀を持ち、オレに渡してくれた。

「十斗……后守の子よ」

 そっと懐刀をオレの手に置いたまま小さな声で輝政殿が囁いていた。

 その言葉の意味それは遠くない先に知った。

「頼んだぞ」

「はい」

「二人とも、また遊びに来なさい。今度はみたらし団子でも食わせてやる」

 最後に向けられた輝政殿の哀に満ちた瞳。

 言葉の意味を考え、理解しようとしていたが……この時のオレには、経験が足りなかった。

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