一歩一筆
よく、覚えておこう――
反響するように呟いた言葉と、手にある刀の重さ。重なった一瞬のうちに、飛び起きるように目を覚ました。
灯里を見送った後、また大和と少し話をしていたが、張っていた糸が完全に緩んだせいか、気が付けば部屋の片隅を借りて寝てしまってたようだ。
浅くなっていた呼吸を整え、背筋に伝わる冷たい汗と、張り付く布地を剥がそうと体を動かせば、全身が強張ってしまっていたらしく、解すのに少し苦労した。
「おはよ。昼までもうちょっと時間あるから、もう少し寝てたら」
「いや、いい……お前こそ大丈夫なのか」
「大丈夫だよ」
ほら、と言って向けられた腕も瞳も、いつもと変わらぬもので、寝ぼけた声では返せなかったが頷いた。
「やっぱり寝てくれば? 君のそんな寝ぼけ顔なんて初めて見たよ」
「そう言ってもいられんが、合間を見て寝ておくさ」
大きく体を伸ばせば、少しは眠気が飛んだ。
「倒れないでよね。とりあえず、僕も父上の所に行って来ないといけないし」
「お館様は今、屋敷内に居られるのか」
「ううん。登城してるから、追いかけないと行けないんだよ。ま、お昼食べてからにするけどね」
「そうか」
おどけて言う大和に思わず笑いかけたが、オレは昼の席は外すことだけ伝えて部屋に戻った。
改めて自分の物に着替えながら、背中以外の手当てを直し、頭領に出す手紙に自分の近況予定を書き出しておく。
他の事は書かず、それだけを書いて手紙筒に入れて、庭先で珀慧を呼び出した。
いつものように差し出した腕に止まるかと思えば、一度通り過ぎて手紙を落としてから、空でくるりと旋回して腕に止まり、珍しく褒めろと催促するように鳴かれた。
声をかけながら用意した手紙筒を足元に括り付け、先に落とされた手紙を拾い袖に収めた。
珀慧を寄越せと言ったのは頭領自身だ。
近くにいるのか遠くにいるのか分からないが、代わりの鷹では面目立たずだ。
「さて、何処にいるか分からない相手だが……いけるか」
問い掛けてみれば、任せろと強く鳴かれた。
「珀慧。頭領の元へ頼むぞ」
大きく振りかざして高く飛ばせば、何度か迷いを見せて空を回っていたが翼を強く打ち、西へ向かっていった。
西――あの時、頭領に届いた手紙も西からだったな。
思い出してしまえば、震えていた。あの感触と冷たさ……
ダメだ。思い出して震えてる場合じゃない。
言い聞かせながら、動作を加えて思考を振り払う。
ここから少しは、自分の時間にできる。止まってられない。
先んじて向かうのは昇靖殿の鍛冶場だ。白雛自体、特に損傷はなかったが一応預けたのち、道場へ向かった。
稽古の声に溢れる熱気はやはり、この場でしか味わえない。
時川殿の指導する声に、年少組の応じる声が響く。
「あら、おはようございます」
「おはようございます」
庭に向いていた時川殿に声を掛けられ、その場で礼を返す。
「今日は見て行かれないのですか」
此方に歩み寄る時川殿につられて、久弥もその影から顔を覗かせて、期待した眼差しを向けて来ていたが、緩く首を振った。
「はい。蔵のほうに少し」
「冬臥さん、おれも手伝うっ……じゃなくて、お手伝いいたしますか!」
「大丈夫だ。どうぞ、御気に為さらず稽古を続けてください」
最後は時川殿へ向けて言えば、彼女は小さく頷き返して、久弥を連れ戻すようにまた稽古に戻っていった。
見送っていれば、久弥が此方に小さく自分を示して、蔵を何度か指し、後で行くと言いたげだったが、重ねて不要だと、此方も声を出さずに示した。
だからと言って、例の地下部屋に用があるわけではない。
蔵の戸を開け放ち、明かりを取り込んで、奥へ進む。
置くに行けば行くほど古い物が積み重なり、埃も積もっているが一角だけその埃が薄い場所がある。
横積みされた本の束の中で、差し挟まれた形で置いてあった一冊を抜き出す。
背表紙は無く、几帳面に書かれた表題は“覚書”とだけ。
ただ、中の物まで几帳面に書かれているかどうかは、また別問題だった。
様々な人が書いた妖に関する覚書。
覚書があることは紀代隆様から聞いていたが、実際に手に取り中を見るのはまだ二度目だ。
如何せん、本があるらしいとだけ聞き、最初の一度目は探すのに殆ど費やして、最初の数頁の達筆さ加減に日を改めようと思って、忘れてしまっていた。
今思えばそれも原因の一つか。
風を送るように頁を捲り、目を進めていけばこの土地周りだけでなく、様々な土地の妖に関連していそうな物が書いてあった。
その多くは土地に住まう動植物に憑くのが多い……が、なんだ。
文面の書き始めに、誰が書いたか記してあるが、后守と后神がある。
后神の記しは後ろ側、新しい物へ近づけば無くなっていて、見慣れた頭領の文字もあった。
いや、違うな。
良く見直せば、最初のうちも后守しか見当たらない。中ほどで后神と書くものが居り、其れもまた後ろへ向かい無くなっている。
昔には他の流派と言うか派閥でもあったのか?
まあ、今調べたいのは別だ。
荒神憑き、妖憑きと称される者達すべてが伊那依の呼び名を持つのか、其れを確かめたかった。
幾つか冊子を捲り、関連しそうなものを数冊選び出す。
それ以外にも哭纏に関していそうなものも。
本を適当に捲りながら読み進めて行く。蔵の中といえど、採光用の窓のお陰で場所を選べば読める。
一冊目を読みながら、次の物をと手を伸ばせば、誤って近くの本ごと落としてしまった。
しまったと思いつつ、拾い上げれば、押し伸ばされた白い羽毛がはらりと落ちた。
誰かが栞代わりにしていたんだろうな。
適当な頁に挟み直し一番初めに戻ったが、横に走る異国の文字で書かれていた。
……読めるわけ無いとは思いつつ、後ろに向かい進めれば、訳したものか、それとも自分の考えを書いてあるのか、見慣れた蘇叉文字があった。
目を通せば、荒神憑きの文字があった。
「とーがさーん、いますかー?」
呼ばれる声に思わず振り向けば、棚の影に、久弥の小さな影が中に向かい伸びていた。
気がつけば、かなりの時間が経っていたようだ。
「冬臥さーん?」
「あぁ、奥にいる」
返事を返し、その一冊だけ懐に差し挟み、他の本を拾い上げ戻した。
「こんな奥で何してたんでしょうか?」
入ってきた久弥を制し、外に向かえば奴も同じように外に出てくる。
「調べ物だ」
蔵は特に鍵らしいものは無いが、外から閂を嵌めれるようになっている。
上から乗せるだけの簡単なものだし、鍵もそれ以外に無い。まあ、金目の物になりそうな物は全く入って無いから良いのだろうが、時折、閂が外れたままになっているのも、良くあることだ。
「何調べてたんですか? おれも手伝いますっ」
「大した事じゃないし、ただの勉強ついでだ。稽古は終わったのか」
「うん! カナデねーちゃんとこ行って、今度は晩飯の手伝いしてくんだ」
尋ねれば、ササッと周囲を見回して、他の人間が傍に居ないことを確かめてから事も無げに言ってきた。
言葉だけ聞いていても、久弥の方がしっかりと働いて生活している気がするな。
「一人で妹を抱えて、頑張ってるな」
「そうかなぁ。でも、カナデねーちゃんに沢山、助けてもらってるよ。それに、師範とか、たまに様子見に来てくれるし」
「頭領がか?」
あの人が知らないと言う人間がこの町に居るのか、逆に不安になってきた。
「うん。本当にたまーに、顔見て直ぐ帰っちゃうくらいだけど」
「久弥ぁ! あんた置いて帰るよー!」
「あ、待って! 今行くってば! あ、そうだっ。冬臥さん、明日は道場に来られますか」
時川殿の呼ぶ声に応じて、駆け出した足を慌てて止め、振り返ってきた。
「そうだな。都合付けよう」
返事を返して、時川殿と互いに礼を交わした。
夕餉の前まで大和は、戻って来ないはずだと記憶を辿りながら、白雛を引き取りに相模刀具店へ戻り、支払いの際に、届いた手紙を袖に仕舞っていたままだったのを思い出した。
鷹舎への道すがら、手紙に目を通せば、旅の途中に寄せてくれた朔耶からだった。
船に乗り南に渡るとあり、“場所は良く分からないけれど”とあったが、貝が名産で美味いらしいと、筆が走ってたのでなんとなしに向かう場所は白烏口だろうなと思った。
この辺りでは献上品ともなる、貝装飾にも使われる虹珠貝の産地としても有名だが……かなり遠いところへ行くのだな。
手紙をしまいこみ、見えた鷹舎の脇道に入り、古竹さんの姿を探した。
高い笛の音に併せて訓練をしている古竹さんの姿が見え、少しほっとした自分が居た。
昔から鷹舎でよく見ていたその姿が変わらずにあったことに、妙に安心してしまっていた。
古竹さんが訓練しているのはまだ幼い鷹らしく、片足に長い紐を付けているのも見て取れた。
「こんにちは」
「おや、冬臥さん。こんにちわ。今日はどうされたのですか?」
「手紙を届けて頂いたので、確認に」
普通の手紙届けが高いという理由で、鷹を薦めてしまった手前、些か罰の悪い顔つきで古竹さんに告げてしまった。
「おやおや、そうでしたか。中でどうぞお待ちください」
鷹舎の傍らに待ち小屋がある。中は六帖程、元は不寝の番をする者の為に用意された小屋だったが、今では棚を備え手紙届けの録を付けたりなども、此処で行うようになっているそうだ。
「お待たせ致しました。冬臥さん宛てに預かった物でしたね」
棚の中から一冊を取り出して、頁をめくり止めた。
「届け元は蓬莱元町からですねぇ。おや」
そこで言葉を切られ、口元が柔らかく弧を描いていた。
「駄目ですよ。私用で鷹届けを他の人に教えてしまっては」
「申し訳ありません」
「この方以外からは、返送しますからね」
くつりと笑い古竹さんは、さてと、と零して佇まいを直した。
「蓬莱本町からなら二李掛かりますが、冬臥さんは確か、御自身の給金を貰わぬ身でしたねぇ」
「はい」
思案顔にふむりと顎を撫で付け、部屋の中へ視線を巡らせていた。
「この後の予定は何か入っておいでですか。帳面整理を手伝って頂きたいのですがね」
「帳面整理ですか?」
「はい。些か溜まってしまいまして、今からでも宜しいですか?」
「分かりました」
先に立ち上がった古竹さんが、棚の一角に置いてあった箱を取り出して目の前に置いた。
箱の中には無造作に紙切れが入っており、一番底に帳簿が見えた。
「頭領の元へ珀慧を飛ばされましたか?」
「はい。こちらに立ち寄る前に」
帳簿のつけ方を教えて貰いながらの問い掛けに、返事を返せば、頷くのが微かに見えた。
「それならば良かった。“忘れているのなら伝えておいてくれ”と頭領からも言付かっておりましたので」
「火急の感じでしたでしょうか?」
「いえ。あれから少しは休まれましたか」
オレの問い掛けには緩く首を振り否定し、続いた言葉に小さく体が揺れてしまった。
「一応は」
「そうですか、それは良かった。あぁ、いえ、責めているつもりはありませんよ。むしろ、短くても寝られたのなら良かった」
「ありがとう、ございます……」
「無理はなさらずにしてください」
心配させているのだろうな。だが、それ以上古竹さんが言葉を繋げることも無く、訓練に戻ると言われ、席を外されてしまった。




