彼の時思い先ずるは
大和と剣合わせを始めた。
切っ先だけの往なしあいに、踏み込まれた一閃を受け止める。
「珍しいね、香の匂いがする」
「事情は後で話す」
一瞬だけ顰めた表情が見えたが、のんびり話しなどしてる訳もなく、鍔迫り合いを離れて、左腕を開けて誘う。
しかし、誘ったにも関わらず、肩で息をする大和は気がついた様子もなく、距離を取ったままだった。
「はぁ、はぁ……っくぅ」
息が大きく乱れたと思えば、がらんと木刀を落として左腕を押さえて蹲った。
「大和ッ」
「双也様!」
慌てて駆け寄れば苦しそうにしがみ付いて、それでも完全に倒れまいと踏みとどまっていた。
「ごめん。紀代隆……灯里が来たら、お願い……」
俯いたまま、外へ向かおうとする大和に習い、付き添う。
道場の影、屋敷からも見えない位置で壁に寄り掛かり、ずるずると落ちていった。
「今、水を貰ってくる」
「うん……」
急いで水を持って戻ってきた時、大和は完全に倒れこんでいた。
「大和ッ!」
近づけば体自身がが脈打つように、酷く伸縮を繰り返し、脂汗が滲んでいた。
部屋で休ませなければと、担ぎ上げれば真紅に染まった瞳が見えた。
「ご、めん……離れて」
まるで喘息のような荒い呼吸の最中、か細く言われた言葉に少なからず、動揺してしまった。
抱えた腕を、よろめきながら放され、倒れかけた背中を、軽く支えるだけしか出来なかった。
「参ったね、君の手が、借りられない、ってのは……」
詫びる様に呟かれて、また頼りなく離れられた。
「歩けるのか」
「なんとか、部屋に、行こう」
這うように、ゆっくりと体を引きずりながら歩く大和の背中を見ることしか出来なかった。
「何があったのか、少し分かったよ……」
「どういうことだ」
「松香だよね。その香りの下から、血の臭いがした……それに、多分、反応したんだと思う」
溜息のように大きく息を吐き、落ち着いた大和が、布団の中から左腕を見せた。
荒神封じの咒が青黒く浮かび上がり、瞳はいまだ、鮮血色を強く宿していた。
「あの人は、それ以上に煙草の匂いがするんだけどね」
咒を仕舞いながら小さく笑うが、それも弱々しく見えてしまった。
「頭領の事か」
「うん。何があったの……ただの妖退治だったわけじゃないみたいだね」
やはり弱々しく問う声に、今度はオレが溜息を吐いてしまった。
「ああ……伊那依と言う、男を殺した。仲間も一人失った」
平静を勤めたつもりが、完全に愚痴を言うような物になっていた。それでも、紅い瞳は真っ直ぐに射抜きに来る。
「……そう。その男が、僕の代わりになったわけだね」
「大和!」
「違うなんて言わないでよ。君は、僕の事を殺せなかった。でも、兇人が居る限り、他の人を守る為に、その兇人を葬らなくちゃいけない。君は、何時かの僕の代わりに、その人の命を絶ったと言ったんだ。そういう事でしょう」
一瞬前の不調も押し隠して、一気に言われてしまわれ、諦めて頷いた。
「ああ、そうなるな」
「慣れなくて良いよ。むしろ慣れないで欲しい。曉さんや父上たちは仕方ないと言うだろうけど、僕の事まで仕方ない事になんかしないで」
「そう言うつもりは無い……」
「例えどんな極悪人で、人に消えて良かったと言われる様な人間だったとしても、君だけでも慣れないで、悩んでてよ」
そう言った大和の顔は少し、意地悪く笑っていた。水をせがんだくせに、起き上がることに手を貸そうとすれば、それを制される。
「匂いに慣れれば平気だから。ごめん」
「お前が謝るな……」
謝られる謂れなど無いのに、言わせた事が歯痒くて辛い。
「荒神や妖に憑かれただけでも、謂れの無い責め苦を受けて、尚堕ちる人はいるんだから……でも、そんな人は許さなくてもいい。簡単に負けて、全て周りのせいにするのも間違ってる。
荒神といえど、誰かを守るために仕える者なんだよ。だから、その伊那依の男の事は忘れないで。そして、この先、力を手に入れて酔うだけの奴らに会ったら言っておいて。“可能性を摘んだのは自分自身だろ”って」
「大和……お前は、その伊那依と言うのを知っているのか」
「知ってるよ。でも教えない、自分で調べてみたら。答え合わせくらいには付き合ってあげるよ」
突き放しながら言われた言葉は柔らかく、向けられた暗紅色の瞳には、少し赤が強く混じっていた。
「十斗。悪いけれど、少しそのまま此処に居て」
布団の中に潜り込み直しながら言われ、立ち上がりかけた足を元に戻した。
「オレがいて、平気なのか」
「言ったでしょう。匂いに慣れれば平気だって……慣らすから居ろって言ったの」
「昔は、直ぐに出て行けと言ったくせに」
初めの頃を思い出して言えば、大和はそんな事あったっけと、すっとぼけた。
あったと返せば、また少し赤みを増した瞳を向けてきた。
「良く覚えてるね」
「端から驚かされていたからな。お前には」
昔話と言うにはまだ早い気もするが、懐かしい話を思わず交わし、久弥の件も伝えておいた。
やはり、灯里様の一件に触れれば、互いに緩めていた気が思わず張っていたが、互いの進展など昨日の今日であるわけもなく、努力することだけを改めて伝えた。
その折に、部屋の戸が叩かれた。
侍女かと思い戸を開ければ、みちる殿に茶を持たせた灯里様だった。
「えへへ。にいさまのお見舞いにきたの! あれぇ、じゅっともケガしてるの?」
「かすり傷ですよ。ご心配には及びませんよ、灯里様」
「むぅ……」
不満そうな表情を浮かべられたが、みちる殿がいる手前で呼び捨てに出来る訳が無い。
「姫様」
「あ、うん。おへや入っていい?」
何時もなら飛び込んでくるのに、促され、改めて伺われたので、形通りにオレも分かっている返事を聞きに言った。
それでも、部屋の中には、みちる殿から代わりに茶を受け取り、灯里様だけを通した。
布団からまた起き上がり、灯里様の髪を梳きながら愛でる大和の姿もまた久方ぶりに見たな。
「にいさま、だいじょーぶ?」
「大丈夫だよ。ごめんね」
「んー、でも、おばあちゃんのお家のときより、だいじょーぶだよ」
「あぁ。本家に行ったときは本当にごめんね。心配したよね」
そう言えば、あの時は半日程は会って居なかったか。
二人の会話を聞きながら、茶を差し出して置いた。
「あうぅ、じゅっと……あつぃ」
恨めしそうな声に、思わずあっと声を上げてしまった。
「十斗」
完全に忘れてしまっていた。
これもまた久方ぶりに聞く、大和の抑えて怒る声にすまんと返事を返した。
「灯里の肌は弱いんだから、気をつけてって前から散々言ったよね」
「す、すまん。完全に、失念していた……」
「あーうー……のめない」
何気ない灯里の止めの一言に、隠すこともなく落ちた手刀は、昔より断然に威力が上がっていた。
「にゅ? じゅっと、たたいちゃダメだよ。にいさまも、ちゃんとねないとダメなんだよ」
「平気だよ。ちょっと寝足りて無かっただけだから」
「そーなの? あんまり、遅くにねたらダメなんだよ」
「気をつけるよ」
相変わらず大和はさらりと嘘を吐く。灯里は二人で交わした指きりが終ると、今度はオレに向き直った。
「じゅっと、今日はじゅっととけーこ、ないの?」
「申し訳ありません」
「ぶぅ」
「大和の世話をしなくてはいけないからな。それに、この後は勉強の時間だろう」
まるで瞬間芸のように表情を変えられ、言葉を直して伝えれば、何故か少し勝ち誇ったように胸を反らしてきた。
「ちがうよー。このまえからお花のけーこなの」
「そうか。何時か見せてもらいたいな」
「うん! かあさまのお花のおせわ、がんばるの!」
輝く菫色の瞳を向けて気合を入れていたが、ふと思い出したように懐に飛び込んできた。
「あ、灯里?」
「んー、やっぱりじゅっとからだったぁ」
大和の奴、遠慮もなく笑いながら睨んで来てたが、灯里の続けた言葉に納得したように吐息を零した。
今まで一度もつけたことの無い、松香の匂いを確かめる為に、飛びついてきたのだろうな。
「ともかく、誰彼構わず飛びつくのは止めておけ」
引き離して、座り直させたが灯里からは、何でと尋ねられた。
「恥ずかしいんだよね、十斗は」
「どんな助け舟の出し方だ! 全く。灯里も家人相手なら止めやしないが、見ず知らずの相手に抱きつくなよ」
「じゃあ、じゅっとならいいよねぇ」
「本人が恥ずかしがっているんだから、止めてあげるのが優しさだと思うよ」
無邪気に言ってくれる灯里に、何か違うものを含ませたのは大和だ。
「そーなの? でも、いい香りなのに、お薬の匂いもしたの。ほかにもケガしてるの?」
「少しな。気にするな」
「いたくない?」
「大丈夫だ」
何時もの癖で伸ばしかけた手だったけど、弾かれた一瞬を思い出して、隠してしまった。
「灯里、そろそろ行かないと先生が来るんじゃないの」
「うん。いってくるー」
退出を誘導された事には気が付いて無いだろうが、それでも灯里は立ち上がって頭を下げた。
「にいさま、じゅっと、元気だしてね」
そう言ってオレ達の真似をしたのか、小さな手が頭に乗って跳ねた。
見送ろうと戸の側まで付き添えば、灯里が先に廊下に出て、大丈夫だと制した。
「じゅっと、ケガ、気をつけてね」
「あぁ、ありがとう」
いつもの様にはやはり手を出せず、袖の中にしまったまま答えた。
「うん」
部屋に戻れば、大和が起き上がったまま、複雑そうな表情を向けてきていた。
「横になってなくて良かったのか」
「大丈夫だよ。でも、さっきの姿とかホント、曉さんに似てきたね」
「思ったのだが、最近、良く頭領と比較されてないか」
「だってしてるもの。憧れて、背中を追うだけじゃ困るし」
「ああ、そうかよ」
「でも、そんな風に不貞腐れるのなら、それはそれで弄り甲斐になりそうだ」
冗談めかして言うが、どちらだろうと遠慮して欲しいものだ。




