伊那依(6)寄り集まり
妖を屠った後なら何もない。ただ、怪我の有無だけ確かめて、そのまま帰るだけだった。
夜が完全に明ける前に帰ることもあった。
でも、夜が明けるまで、まだ何時間かあるのに、オレ達は何もせずその場に留まっていた。
明かりも灯さず、屠った死体もそのまま。
ただ静かに、その場に留まっていた。
「このまま、待機していましょう」
そう言われてからも、大分経っている。
白雛の手入れだけは簡単に済ませたが、念のため見てもらった方がいいだろうな。
あぁ、灯里様の稽古もあるから、その後の方が良いのか。
そんな事ばかり考えて、時折、訪れる睡魔に、何度かうつらとしてしまっていた。
「冬臥さん。起きてください」
「あっ……すみません」
うつらとしていた。では無くて、寝てしまっていたようだった。
「妖です。お願いしますよ」
「はい」
古竹さんの言葉に眼を覚ます。いくらか寝ていた分、体に圧し掛かっていた疲れの重さも無くなっていた。
「坊ちゃん。気をつけて」
「はい」
反対に、僅かに重たくなっていた十重殿の声にも、同じように応じる。
いつの間にか、空には朧月が見えた。
雲の向こう側で明るく、その存在を示す朧月。
雲の一部が晴れて、月明かりが強く差し込んできた。
「冬臥さんは、結さんと秋牙の周りをお願いします」
そう優しく言う古竹さんの表情は、後悔を滲ませて、苦しそうに見えた。
無言で頷き、言われた通りに亡骸の側に立った。
目を向けるには無残すぎて、苦しくなる。
せめて、血溜の中からでも移動させたい。けれど、手を触れるなときつく言われている。
荒神の技で息絶えた者は、妖に堕ちている可能性がある。清めも済んでいないのに触れてしまえば、それがきっかけに妖に目覚めるかもしれない。
それ以外にも、荒神を屠った後は、まだ他の場所に居る妖が亡骸を餌にしようと寄ってくる。
草刈殿や秋牙を、餌になんかさせたくない。絶対に阻止しなくてはならない。
こんなにも厭な連鎖があった事なんて……知らなかった。
それでも、おぞましい事だと切り捨てられない。
オレはまだ何も知らない。知らないからこそ覚えなくてはならない。
草刈殿を殺してしまったことは間違いなく、オレの未熟さと無知だ。
それを後悔して泣くだけなら、覚悟を見せるといって待つ人にも、支えてくれる人たちにも申し訳が立たない。
だから、今だけでも、虚勢でも良いから張らせて欲しい。
「貴女を、妖になどさせない」
地面を走る足音が増えた。
タチトカゲ。その場にいた荒神の種族に類して、その残滓を頼りに集まってくる。
火を灯せば力の弱い妖は寄り付けないが、濃くなる影の分、訪れる妖の力が強まるという。
何より、こんな山奥で無闇に火を使えば、火災となって自分たちの身も危うくなるが。
月の光に浮かび上がる黒い影に、白雛を抜き振り下ろす。
せめて、今だけの虚勢でも、応える事が出来るのなら守りたい。
眼を閉じるように一心不乱に、襲い来るタチトカゲだけを見据えて白雛を振るう。
どれだけ斬ったのか分からない。
斬った側からタチトカゲは、分かれた体を引きずって、亡骸へ向かう。
それら一つ一つが塵に帰るまで斬り崩し、光玉を爆ぜさせる。
溢れた光の中、飛び出した一匹を追いかけ斬った瞬間。
目が、合ってしまった。
光を反射する事も無い、がらんどうの瞳に絡め取られたように、背中に冷たいものを走らせていった。
恨みがましく向けられるものだけなら、マシだったのに。
心配げな視線をずっと向けられていて、視線を引き離すだけで、呼吸が一気に跳ね上がっていた。
浅い呼吸を繰り返して、震えを誤魔化しながら刀を振るう。
事実を背負わなくてはいけない。
震えて竦んでいる場合じゃない。
何度も心の中で言い聞かせ、また斬る。
夜の闇は深くなる一方で、夜明けが遠い。
一山越えて、少しばかり間隔があいた間に、体を休めるように言われたが、気ばかりが立っていている。
なのに、また嘲笑うように妖が沸いて出てくる。
朝までずっと、こんな事を繰り返すのか。
十重殿も古竹さんも、ただ作業を繰り返すようにそれぞれの場所で、妖を退けていく。
また波が収まった時、梟の鳴き声が聞こえた。
梟は二匹いた。その二匹ともがオレ達の間を通り過ぎるように羽ばたき、とさりと何かを落としていった。
「ようやく届いたか」
「ですねえ」
二人より離れた場所で座っていたが、古竹さんに呼ばれてその側に近づいた。
「坊ちゃん。これを結に掛けて、清めてやってください」
「これ、は……」
尋ねようとして、初めて自分の声が震えていたことに気が付いた。
「清め水ですよ。あと、魔除札ですね。教えますから一緒によろしいですか」
顔を落としたオレに、古竹さんの優しい声が深く、胸を突く。
草刈殿を殺してしまった事を責めることなく、顔を上げろと促すこともなくて……重たい足取りで歩くオレに合わせてくれた。
「天司神よ。邦前神よ。我らの大切な同胞をどうか迎え入れて下さい」
古竹さんは祈りを呟いてから、梟が落としていった袋を、オレの手に少し押し付けるように手渡してきた。
袋を開けば掌より小さな竹水筒と札、それと新しい綿が納められていた。
「結さん。もう少しで帰りますからね、あとちょっとだけ我慢してください」
草刈殿の手を取り、声を掛けてから、立っていたままのオレに座るように促した。
竹水筒からほんの少しだけ掌に水を取り、指先の汚れを落とすように言われ、指示されたように汚れを片手だけ落として、その手で綿を小さく千切り、水で湿らせた。
見開かれたままの瞳を閉じる時、冷たさだけでなく、魂が失せた人間の硬さにまた、震えが酷くなった。
それでもこれから先。今日のように誰かを屠り、誰かを失うのだろう。
だから覚えなくてはいけない。忘れてはいけない……忘れたく、ない。
水を染み込ませた綿で額の中心から、祈りを捧げながら、そのまま首元、両掌の順番で一度ずつ判を押すように塗り付けていった。
それからようやく、両手を重ねるように組ませ、新しい綿にまた水をつけて顔の汚れを拭い、最後にもう一度新しい綿に水の残りを含ませて、唇に飲ませるように優しく押し付け、水筒をまた袋に戻して組ませた手に掛けた。
これで終わりだという。
そして古竹さんは秋牙を、持っていたのか広げた風呂敷に包み込んでいた。
「冬臥さん、貴方のせいではありませんからね」
「こちらも終わった。古竹、少し休んでおけ」
「はい。お言葉に甘えて」
他の人の清めを終えた十重殿と入れ替わるように、古竹さんは少し離れた地面にごろりと横になった。
十重殿も草刈殿へ祈り、傍に腰を下ろした。




