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伊那依(5)影担い

 浅はかな返しをしたのかも知れない。

 それを後悔と思いたくないが、ただ、そう思ってしまった。

 それでも目の前で起きたことには、解りたくも無い、渦巻いたモノがあった。

「お前は助けに来たんじゃないんかっ!」

 金切り声の叫びに、オレは音が鳴るほど乱暴に白雛を握り直していた。

「荒神に襲われていた訳では、なかったのだな」

 取り返しのつかない事をしてしまった。

 その想いだけが、吐く息一つすら重たくしていた。

「お、おれは、ただ。帰りたいんじゃ! なのに、お前らが……お前らが、悪いんじゃ! おれは、ただ母ちゃんとこに戻りたいだけなんじゃ!」

 ひぃひぃと涙を流し叫ぶ声に、躊躇いが指先を振るわせた。

 きっと、虚勢を張っていただけかも知れない。

 何時も小さく笑みを作り、他人と距離を図りながら、その時が来ないことを願いながら、時折淋しそうに真っ直ぐな背を向ける。

 もし、逆の立場だったのならオレは……

 きっと、目の前の男のようになっていただろう。

 自分の置かれた状況を恨み、だらしなく泣き叫んで……あの時のように立ち上がる事もせず、地面を這う様に逃げただろう。

「おやおや。おかしな話ですね」

 開く距離に、立ち止まったままのオレに、僅かに嘲笑の混じった柔らかい声が聞こえた。

「坊ちゃん――」

 肩に置かれた大きな掌が強く促す。

「あなたが仕出かした事ももうお忘れとは、いやいや。恐ろしい」

「な、なんじゃ! 何がおかしいんじゃ!」

 食って掛かる男の声の中、十重殿の言葉を聴き頷いた。

 静かに後ろを向いて歩き始めた十重殿を、何も知らぬ者が見たらどう思うのだろう。

「あなたの言うお母ちゃんは、あなたが目覚めた最初の日、」

 オレ達を残すように静かに、それでも怒りを隠さず、後ろへ向かい歩いていく。

 妖落ちした北の后守たちの躯の下に。彼の様な有様にされ、想いを喰らわれ、ただ、人を襲う躯の妖――瞿鎧(くがい)となってしまった彼らの元に。

 影を担う。

  必要な時が来れば討ちましょう。

 オレは、そう答えた。

 その相手が偶然、あいつでは無いだけの事。

『兇人を葬るのは咎ではないのですよ。人として居られるうちに引導を渡すのは天司の御神の慈悲……荒神となれば人ではなくなり、ただ、人を喰らう悪鬼となる』

 環様、やはりそんなのは詭弁だ。

 貴女様方はこれから先も、そう言って皇達を御守りするのでしょうが。

 これはやはり、悪逆無道の行いだ。

「あなたと、あのオオトカゲで喰らい尽くしたのでは無いのですか」

「そんな、そんな嘘じゃ! お前達はまたそう言って、おれを騙そうとするんじゃ!」

 男の叫ぶ声に、二度目の闇の輝きを見た。地の底から這い出る蠢く闇は、怯えを越して憤怒の表情で此方を睨む男の足元に絡みつく。

「冬臥さん、無理なら換わりますよ」

 何処までも優しい古竹さんの申し出に、オレは首を振った。

 十重殿が向かった方向から、潰れた蛙のような嫌な悲鳴が断続的に上がっていた。

「呪いを施せば直ぐに帰れると言うたのは、お前らじゃったのに! おれは、それを信じたんじゃ!

 なんで、帰してくれんのじゃ! 嘘吐きはお前らのほうじゃッ」

 闇の輝きに赤色が混じり、男の肌を染め上げる。あれは絶望なのだろうか。

 帰してくれと叫ぶ声が、オレには全く変わって聞こえていた。


「邪魔なんだったら、初めからこうしてくれてた方がずっとマシだったのにっ!」


 鮮血に浮かぶ瞳も、闇に染まる肌も同じで。

 一度見てしまっていたから、躊躇うのか――

 なら、オレの名の如く、冬に臥せてしまえば良い。深々と音を吸い込み、静寂を齎す雪深い冬に。

 闇の中からずるりと蠢くオオトカゲの紅い瞳が、真っ直ぐにオレを睨みつけてくる。

 重たい足音を立て、十重殿たちが初めに倒したオオトカゲが放った飛針を吸収するようにしながら、這い出してくる。

「言いたい事は、それで全てだな」

 怒りと後悔で白雛を振るわないように心掛け、呼吸を細く整える。

 そんな勝手で振るってはいけない。ただ、ひたすらに受け止めるしかない。

「お前が一番、酷い奴じゃ……助けに見せかけた、一番酷い奴じゃ」

「そうだな。よく覚えておこう」

「お前も母ちゃんみたいに……喰っちゃるわ」

 こんな役目なんぞ他の誰かに託して、眼を瞑り逃げ回る方がどれだけ楽なのだろう。

 けど、時間が欲しいと我が侭を言い放った側から、覚悟一つ見せずにあの人と対峙出来るわけが無い。

 こんな世の中が間違っていると、言い放って逃げ出したいのに。

 踏み止まらせるのは、やはり、今まで支えてくれた人たちの存在だ。

 自己満足だろうとなんだろうと、無邪気に笑う顔を守りたい。

 飛び掛る為に、身を縮めたオオトカゲの一瞬をきっかけに、図々しくも、また神に願う。

 力を貸して欲しい――ではなく、ただ大御神の名を呟きながら、一閃した。

 手に伝わったのは、巻き藁を切った感触とは全く違う、厭なモノだった。

 熱く咽返りたくなるほどの臭いと、血飛沫が体に纏わり付いた。

 これでもう、怖いから嫌だと逃げられないな……

 白雛に付いた血を拭い、重たい溜息を吐いていた。

 今日、確かにオレは二人の人を殺した。

 一人は志を共にした大事な仲間。もう一人は、何時かに訪れるかもしれない主の代わりに。

 それでも、外道と誹られようと、守れるのなら歩いていこう。

「恨み晴れぬのなら、またオレの前に現れろ」

 ただ、喰われるのだけは御免だがな。

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