伊那依(3)対面
明かりが見えた場所と、悲鳴の上がった場所は少し、位置がずれていたらしい。
遠目で光源が視認出来るほど近づいたが、悲鳴を上げた主らしき人影は見えなかった。
「血の臭いがする」
云われて、注意してみれば枯れ葉の燃える匂いに混じり、すんっと鼻に鉄錆びの嫌な臭いが付いた。
「古竹と結は周囲を頼む。坊ちゃん、行きますよ」
「十重さん、あたしが行くよ」
応じかけたところで、草刈殿が割って入るように、オレ達の間に立ったが、十重殿はその草刈殿の頭を掴んで後ろに下げさせる。
「駄目だ」
「でも……」
「駄目だ」
躊躇う素振りを見せた草刈殿に強く重ね、下げさせると、もう一度オレに声を掛けてきた。
「坊ちゃん。如何様なれど、油断するな」
低い声で釘を打たれ、静かに歩き出した。
ゆっくりと歩き、見えた光源は、裂かれて地面に落ちた提灯の残り火だった。血の臭いも確かにあるが、死体らしきものは側に無い。
他の草木に炎が移る前に、十重殿が近くの枝を折って、松明を作り残っていた火は踏み消した。
新たな明かりで地面を照らすがやはり、近くにそれらしいものは無い。
「オレが持ちます」
「いえ。坊ちゃんには相手をしてもらいます」
「分かりました」
明かりを今まで持たなかったのは、実に単純な話。
その光源を目印に妖が寄ってくるからだ。炎の明かりの側には人が居る。ただそれだけ。
囮が十重殿になってしまうが、それならオレは、やるべき事をやるのみだ。
十重殿の明かりに照らされる地面を探しながら、血の痕を探し出し、どちらに向かったかを確認する。
無言で、仕草だけのやり取りで確認し、血の痕があった方向を後ろにして、提灯の落ちていたその先へ進むことにした。
十重殿の数歩先を進み、明かりを持つ十重殿の更に後ろに古竹さんと草刈殿が付いてくる。
先陣を切って歩くのは、付いていくよりも神経が磨り減る。
血の痕を探し追いかけ、同時に妖にも警戒しなくてはならない。
「坊ちゃん、落ち着いて。後ろにはワシらがいる」
「……はい」
いつの間にか浅くなっていた呼吸を、何度も吸い直して、また歩き始めた。
どれだけ歩いたか分からなかったが、短く「ギャァッ!」と、途絶えた悲鳴は先から聞こえた。
後ろを振り返れば、皆が頷き返し、一気に走り、その場所に出た。
「――うっ」
間伐を行ったばかりの少し開けた場所。生々しい臭いに、足が止まった。
臭いの元がどこかと探そうとした一瞬、強い音を立てて、何かが闇に紛れていった。
タチトカゲとは違う、もっと大きな影だった気がする。
「だ、れか……いてえよぉ……たすけてくれよぉ……」
泣き呻く声は紛れも無く、人の声。
誰か居ると認識した時、一直線に走っていた。
「坊ちゃん! 迂闊に近づくな!」
十重殿の制止の声の意味を、まだ理解していなかった。それ故に、オレは一つ大事なものを失った。
だから、その時は「でもっ」と声を上げて反論してしまった。
近づいて見えたのは、同い年くらいの男。
獣の罠に掛かり、足に食い込む虎挾を外そうと、必死にもがいていた。
よく見れば、それ以外にも体中に傷があり、血が流れていた。
「大丈夫か!」
虎挟に手を掛け、力を込めるが、固い。
「ああ、人だ……はやく、早く外してくれっ。さっきから変なのがいるんじゃ!」
怯えた声に、先に走った音が舞い戻って来た。
複数の足音に混じり違う異音。駆ける音ではなく、這うような音だった。
「クソッ、坊ちゃん! それが伊那依だ!」
叫ばれた声の直前。飛針が投げつけられ、男と共に躱すのに気を取られていた。
同時に、目の前に塞がる様に下りた、黒いオオトカゲのようなものが咥えていた物に、意識がいっていた。
まるで塵を捨てるように、血の気を失った指先だったものを吐き捨てていた。
早くしないとっ。鋭く噛み付く虎挟に隙間が出来ると、男は足先が傷付くのも構わず抜き出した。
「冬臥君っ」
草刈殿の警告に、白雛に手を掛けた。
「あ、あああああああああああ!」
悲鳴に目の前に迫ったオオトカゲに、刀を振り抜いたが、大きな体に似合わぬ速さで後ろに跳び退り、かと思えば直ぐさま、押し潰そうと飛び掛ってきた。
「秋牙ッ!」
古竹さんの叫んだ声に、光玉の閃光が辺りを眩しく照らしだした。
闇に慣れた目に閃光が焼き付け、視界を失った。
「ギャアアッ」
秋牙の羽ばたく音に甲高い声が響く。それが秋牙の声なのか、それとも別の者か分からなかった。
ズンッと地面が揺れたことで、オオトカゲが地面に着いた事だけしか分からなかった。
「うあぁぁっ! 来るな、来るなッ!」
混乱した男の暴れる腕に、あちこちを叩かれ、掴んでいた手が離れた。
網膜に焼きついた光が落ち着くにも、まだ時間が掛かる。今、オオトカゲに襲われたらひとたまりも無い。
「冬臥君、左へ!」
草刈殿の声に咄嗟に、指示された方向へ大きく飛び離れるが、見えない分、躊躇っていた。
右半身に襲う、太い衝撃に流された。
「グッ――」
受身を取ろうにも、どちらが天地か侭ならなず、強く地面に打ち付けられたまま、勢いに転がされた。
「冬臥君!」
「坊ちゃん!」
まずい。今の衝撃で白雛が――掴んでいたはずの重さが、消え失せた。
「あれは見えて無いようですね。秋牙、援護を!」
くそっ、まだ戻らない……
「な、なんじゃ! お前はっ!」
目を瞬かせるがまだ、ぼんやりとした輪郭だけしか見えてこない。
「まだ伏せてて!」
近づいてくる草刈殿の声に、上げかけた頭を下げ、其の上を掠るものがあった。
「冬臥君、大丈夫!」
「なんとか、生きてます」
肩を掴まれた細い手の感触を感じた頃、ようやく視界が戻ってきた。
「先程の方はッ」
戻った視界で確かめるが、側には先程の男の姿は無く、白雛は直ぐ側に落ちていた。
そして男の代わりに、オオトカゲと対峙する十重殿と古竹さんの姿が見えた。
「まさか……」
「違うの! 冬臥君、待って!」
立ち上がろうとしたオレの袖を掴み、制止をかける草刈殿に、思わず片膝を落とした。




