探りて位置
部屋で本を読み、のんびりと茶を啜っていた大和だったが、オレが入ると、面白そうな顔を隠さず向け読んでいた本を閉じた。
「お帰り。随分遅かったけどどうだったの」
「遅くなったのは、紀代隆様に先にお会いして来たからだ。少し、あの子の話を聞いてきた」
「へえ、あんなに迷惑そうな顔してたけど、思い過ごしだったのかな」
「そんな顔してたか。まあ、いきなり“お前”呼ばわりしたのは驚いたが」
「僕は別に気にして無いけど。ねぇ、冬臥先生」
「…………」
「もう冗談じゃない。怖い顔しないでよ」
遠慮の無い笑みを向けられたので睨み返してやったが、当然、本気な訳が無い。
「オレも冗談だ」
「うわ嫌だ、君も変な智恵つけた。下手な指摘はしないようにしないと」
互いに憂さ晴らしを兼ねた、下らない言い合いを少し続けてから、ようやく本題に入った。
「稽古時間を少し変えたい。灯里様の稽古時間は、他の勉強との兼ね合いもあるから余り変えられないが、少し道場の方へ顔を出してみようと思っている」
「僕としては大歓迎。紀代隆より遠慮ないんだもん。この前の痣だって引くまで時間掛かったし」
「それは悪かった。もう少し、奇麗に受身を取ってくれるかと思ったんだ」
「……やっぱり、本家に行ってから変わったよね」
ほんの僅かに眉根に皺を寄せ、嫌そうな顔を向けられたが、笑うしかなかった。
「だが稽古で手を抜く気は無いぞ」
「そう言うと思った。良いよ好きにして。僕もやる事が増えたし」
「そうだな」
少しずつ、互いの立つ位置が変わってきた気がする。
大和も今までの殆どを、屋敷の中で引き篭っていたが、お館様に付いて城に行く事が増え、オレが供に外に行く機会は減った。
表役目の仕事は少しずつ減り、代わりに影担いとして夜動く事が増えた。
生活様相もそのせいか、ズレて来ている。
「そう言えば影担いだっけ。夜中によく出てるって聞いたけど、妖退治は慣れてきたの」
「妖相手でならな。一応、こうして帰ってこれる程度にはな」
「この所、妖の数が増えてるって聞いた……」
尋ねる声音ではなかった。躊躇い、途切れた言葉と共に視線が自身の膝に落ちたのが分かった。
「何かお前自身に、関わり合いがある事なのか」
「分からない。だけど時折、鎌首を持ち上げるような感覚があるんだ。祁玲と翁に咒は掛け直して貰ってあるけれど」
心配し過ぎだと含めたつもりだったが、神妙な面持ちのまま左袖を捲り上げ、オレに向けてきた。
「薄いけど、確かに浮かぶ時がある。僕の中のモノなのか、それとも別の荒神か分からないけれど妖はまだ、増えていくよ」
言われて、注視しなければ分からない程に極薄く、そして暗紅色の瞳のままで咎の紋を浮かび上がらせていた。
「言い方は可笑しいけれど、冬臥、君は僕の最期を見届けるまで死なないでよ」
袖を直しながら言われた言葉に、オレはただ頷いた。
簡単に約束を反古する気はない。
「では灯里様の稽古の時間故、失礼いたします」
「うん。怪我、させないでね」
「分かっている」
心配する大和に応えるが、正直、何も進んでいないだけだな。
灯里の稽古はまだ手探りで、今回も受身を中心にしてしまう。
自分と比較してはいけないだろうが、習練速度は明らかに遅い。
上遠を相手にしているのなら、もう少し組み手など考えられるのかも知れないな。
「じゅっと。どうしたの?」
胴衣姿に畳の上で、大きく伸びをしていた灯里が、不思議そうな瞳を上げてきた。
「灯里様は、その、強くなりたいと思いますか?」
稽古を始めて間もない頃、紀代隆様より言われた言葉。それにオレは単純に「はい」と返事が出来た。
しかし、灯里はそうなる必要も無い。
「うー、けいこ中は、いわないっていったのにぃ」
「確かにそう言いましたが、それ程に嫌ですか」
思わず脱線した話だったが、機嫌を損ねたようで、思わず笑ってしまった。
「だって、けいこ中は、にいさまといっしょっていったもん」
「幾らオレとて、大和を蔑ろにしている気はありませんよ。ただ、染みてしまったものは中々、難しいのですよ」
「にいさまばっかり、ずるい」
しまった。どうやら本気でいじけてきてしまった様だ。
稽古中は特に、大和と比べられた上で言われるのを嫌がる。オレにもし、歳の近い兄や姉がいたのなら灯里の気持ちも、もう少し汲んでやれるのかも知れなかったかな。
「悪かった。別に灯里と大和を比べていたわけじゃない」
少しずつ決まり文句になってきている。
だが、それで機嫌を直してくれるのだから、可愛いものか。
「えへへ」
「それで、先の質問に答えてくれるか」
「ほえ?」
数分も経ってないのに、しっかりと抜けていたようだ。
「灯里は強くなりたいと思うか? それとも、稽古だけで十分か?」
「うーん、わかんない。でも、けいこ好きだよ。いっぱい体うごかすの好き!」
「そうか。なら、もう少し難しい受身を練習してみるか」
「やる!」
それでも、結局は、怪我をしないように受身の練習になってしまう。
やはり、上遠の申し出を受けるわけではないが、道場にも行くべきだな。
「思い切り良くやらないと、余計な怪我をするから気をつけろ」
見本で浮受身を見せる。今までは本当に基本的な受身で必ず足の何処かしらを畳にしっかりと付けた上、低い位置で行っていたが、これは立ち姿で前に飛び込みながら行う。
下手に首を竦めれば、身体が強張り過ぎて、余計な怪我の元になる。
「立つと視点が上がるからな。最初のうちはちゃんと補助するから安心しろ」
「うん。だいじょうぶ!」
ぎゅっと帯を締めなおし、構えからの受身を一連で行う。
「いくよ」
緊張しているのが良く分かる。普段の受身なら反動を付ける必要はないのに、こればかりは声を出してから、少しばかり時間を掛けていた。
「せーのっ」
畳を蹴って上に飛び上がったところを、掴んでいた帯を引いて背中を手で押す。
派手な音を立て畳が鳴ったが、本人は目を思い切り瞑ったままだった。
「灯里。目を閉じるな」
「と、とじてないもん」
「怖くても目を開けろ。開けて慣れるまでやるぞ」
「うん。がんばる」
大和と比べて灯里の稽古時間は短い。
浮受身の勢いが少しずつ増して、目を開けていられるようになった時にはもう終わる時間だ。
「うぅ、むずかしいねぇ」
最後にもう一度と言いながら何度も、飛び上がる。
その度に少しずつ形が良くなっていたのは凄い。途中で押していた手は早々に必要なくなり、掴む帯も正直言えば、軽く握っているだけ。
後はそのまま、灯里自身の飛び越える形で、手は放していた。
「一番実践向けな受身だからな。きちんと覚えれば大抵のことに応用が利く」
「そうなの?」
「ああ。まあ、灯里が稽古以外で必要とする事は、ないだろうがな」
護身の術として覚える程度なのだから、実践という形で役立つことは無い。
むしろ、そうでなくてはいけないのだが。
「にいさまも、ちゃんとできるの?」
「それはもちろん。稽古前には一通りの型を行ってからするしな」
「じゃあ、灯里もがんばる! 前に二人がみせてくれたけーこみたいに、できるようになりたい!」
比較されるのは嫌なくせに、きっちり目標にしているようだ。
菫色の瞳を生き生きと輝かせて宣言された。
しかしあの型稽古が目標か。覚えておこう。




