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師の話

 紀代隆様が后守のお役目に就く、一年と少し前。

 既に、后守流護身術道場の師範となっていた頭領の門下生として入門したばかりの頃と言われたから、およそ十年程前の事だ。

 紀代隆様は都の近くにある町の商家の生まれだったと、この時初めて聞いて、知った。

 兄が居り、継ぐ立場ではなかった事もあり、手習いの一つとして道場に通い始めたという。

 元から体を動かすのも、勉学も苦では無いと言われ、読み書きに苦労しない立場でもあったため、実家を出て近くの兄弟子の家で読み書きを教える交換条件で、家々を転々としていたそうだ。

 最初のうちはまだ初心者とあり、兄弟子達の教えを請いながら護身の術を身に着けていたと言うが、幾月か経っての頭領――いや、師範と言った方が良いのか、その見学試合の時、(偶然だったんだがなぁ、と笑っていたが)兄弟子達に勝利したそうだ。

 当然、と言うのも可笑しいが、初心者から中級者になるかどうかの相手に負けた兄弟子達が良い顔をするわけもなかった。

 ましてやその時、師範の思いつき同然の一言で、後日大変な目に遭われた。

 師範曰く、「そいつに剣術も仕込んでおいてくれ。次の試合、楽しみにしておく」だそうだ。

 話を聞きながら、オレは思わず頭を下げてしまった。

「だが、お陰で俺は今、こうして后守としてお前の指導に当たり、恐れ多くも、双也様の指導にも携われた。悪いことばかりじゃない」

 その試合の日までの仕込みは、伏せていらしたが、想像するに陰湿なものが多いようだった。

 当時の師範代の一人もそれに加担していたらしいが、師範の言った期日の試合で、紀代隆様は辛勝一つ、敗を三つ記した。

 最初の一つは華を持たせよ。二つ目は絶対に、あの人のお思い付きとしか思えない本人との合わせ。そして、師範代から辛勝を奪い取り、尽きて最後。互いに回るはずが無いと思っていた兄弟子とだったが、倒れて仕舞い、ほとんど記憶は無いと笑っていた。

「頭領の無茶振りは流石に慣れたが、あの時は本当に驚いた。『つまらんから貸せ』と言って、いきなり試合だったしな。それに……」

 途切れた言葉を待てば、少しだけ翳った瞳を見せた。

『お前たちがどれだけ叩き込んだかよく分かった。だが、やり方が気に食わん。仕上げた褒美だ、追いはせんから今すぐこの場から消えろ』

 そう言ったらしい。

「嬉しかったと同時に、清々した気持ちが無かったわけではない」

 言葉こそ軽く言われていたが、歪む唇を押さえて苦く笑っていた。

「分かるような気は、致します」

「それから直ぐだ。『家を出る気があるなら付いて来い。お前に、相手してもらいたい奴が居る』と、そう云われた」

「それが、オレですか」

 窺いながら呟けば、曖昧な頷きが見えた。

「確かにお前のことだった。だが、その前に一人、相手をした方が居る」

「オレも知っている方でしょうか?」

「知っているも何も、頭領自身だ」

 興味本位で尋ねた事を、少しだけ聞かなければ良かったと後悔したオレに、また笑っていた。

「それも影担いの役目の中でだ。『あの連中に付き合いきれたのだから、俺の相手をしろ』そう言う、無茶な言い分で一週間だ」

 その一週間を乗り切り、紀代隆様は后守となり、少し経ってからオレの師匠となったと言うことだった。

 北の修練地に赴くまでの間に、表役目の事を覚えたと言うのだから……改めて凄いと思ってしまった。

「其れでいきなり、お前に修行をつけろと言った、頭領の言い分を聞きたいか?」

「……その、言い分というのは」

 余り良い予感はしないが、教えて頂けるのであれば、聞いといても損も無い。

『次期御当主への稽古付けのとき、加減出来るようになるだろうから、俺の子を練習に使って構わん。影担いとして育てるにも、キツくやって欲しいくらいだ。遠慮なくやってくれ』

 きっと、豪快に笑いながら言ったんだろうな。

「流石に俺も、自分の子を練習に使えとは言えんと思った。だが、お前の素直さに助けられた」

「素直に、喜べません……」

「喜ばなくて良い。だが、お前の面倒を見ながら、俺自身も成長が出来た。其れは間違いない」

「…………」

「誰でも初めてであれば、手探りだ。双也様がこの家を継がれた後は、お前は真に影となる。その時、一人で全てをこなそうとすれば、後任がいなくなる。お前の代で全てを終らせる訳には行かないだろう。お前の子が出来るまで、何かを任せられる相手が居ればまた違う。

 それに、認めて欲しいと思える相手から認められた時、何物にも変え難い物を得られる」

「それは、確かに……そう思います。ですが」

「俺は門下生から后守になった。それは俺にとって誇れることだ。それに、久弥はお前の話を良く、俺に聞きに来るのでな、少しばかりだが役目の事も話してある」

「そう、なのですか」

「ああ。あいつの勇気を無碍にしてくれるな。っと、此れは俺の我が侭だな。だが、一手合わせくらいしてやってくれ。それで、あいつが諦めればそれで良いではないか」

 そう言うものなのだろうか? 疑問には思うが、確かに手合わせしてみて諦めればそれで事が済む。

「分かりました。いずれ近いうちに、道場に立ち寄らせて頂きます」

「ああ。楽しみにしておこう」

 笑った師の話を聞き終え、改めて大和の部屋へ向かった。

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