酒の席で
「お口に合いましたやろか」
オレの為にと、酒を持ってきて頂いた女将からは逃げられるわけもなく、とりあえず一口、勧められるまま舐めるだけにした。
潰すと宣言を受けて、そのまま素直に飲むと思ってはいないだろうが、女将の手前全く手を付けないのも申し訳ない。
薦めた傍ら笑顔で待っていたのは、躊躇っているのを見透かされていたんだろうな。
だから、頭領は女将の席を外させるような事を言わなかった。時間を掛けて潰す気だ……
「初めてなので、なんとも。すみません」
「ええんよ。したらお父はんの方、一口含んでみたら、良う分かると思いますよ」
やんわりと言う女将さんの言葉に、頭領は待っていたと言わんばかりに、自分の猪口を女将を介して渡してきた。
仕方ないから最初の一口と同じように、少しだけ含んだ。
全然味が違う上に、良くこんな辛くてキツイの呑めるな。
女将が持ってきてくれた酒の方が確かに、素人のオレでも飲みやすい事だけは分かった。
「それで、その気はないのか?」
「ありません。その理由は述べなくてはなりませんか」
その合間に道場の件を問い掛けなおされ、微かに暑くなった体を自覚しつつ返した。
「女将さん。もう一本頼む」
頭領はさっさと空けた徳利を振って、退出を促した。
「門弟の中から使える人間を見つけて、育てるのもお前の役目だぞ」
「先を見据えて必要とあれば精進いたしますが、最もその役目に適しているのは師匠ではありませんか」
道場を継いで后守としての守り手を育てるのであれば、出自抜きで紀代隆様の方が良いに決まっている。
「師匠ねぇ。まあ、表役目を育てるのならな。それで問題は無い」
ククッと笑って続きは無く、追加の酒を持ってきた女将が、料理も一緒に運んで来たのを確かめていた。
最初のつまみが塩で揉んだだけの胡瓜と、小鉢一つに丸々と入っていた葉丸玉漬け。今度は、白身魚の煮付けときんぴら。
続いて入ってきた仲居がお櫃を持って来て、茶碗に炊き立ての米をよそってくれた。
頭領は遠慮なく食べ始めていたが、オレは手を付けられなかった。
「どうした、食わんのか?」
「頂きますが、話が終ってからでもよろしいかと思いまして」
「飯を食いながらでも話しは出来る。腹の減ったままで酒を飲めば胃が荒れるぞ」
話を聞いてさっさと逃げようと思ったが、そう簡単にはいかないか。
しかし、頭領の話も一理ある。飯は飯として頂かねば作り手に失礼……だよな。
「ま、続きだがお前一人では罷りならんこともある。それは現状においてもお前は実感しただろう」
「それは、彼の方の件を示されているのでしょうか」
「それ以外にもな」
何事も無いように言われ、流石に頭に来るものがあった。
「あらあら、祝いの席でお小言なんて止しておくんなさいな。折角、腕によりを掛けて作ったのに、眉間に皺を寄せとったら、味も半減してしまうやろ」
「良いのいいの。料理美味いし、また来るよ」
もそもそと、機嫌悪く箸を運んでいたが、確かに料理は美味い。
お茶が欲しいところだが、美味そうに酒を煽る頭領が、それを見事に止めてしまう。
「魚の後に飲んでみろ。一層美味さが際立つぞ」
喉を鳴らして笑う頭領に、しぶしぶともう一舐めしたが……たしかに、美味い。
味がこうも変わるとは……
「気に入ったようだな。女将さん、何時かこいつが一人で来るようになったらよろしく頼むわ」
「あらあら、どうせなら二人でもええのよ」
「こいつ絶対、俺とは来たがらなくなってるから、そこは諦めた」
「なんや分からへんけれど、今日が終いにならへんようにして欲しいとこやねえ」
そう言った女将は外から呼ばれた声に応じて、明るい声を返して退出した。
「お前の我が侭は聞いているつもりだ」
だから、俺にも言う権利がある。そんな前置きをして手酌で注いだ酒を煽った。
「オレが紀代隆を連れて来た様に、いつかお前の助けになるものを探してこい」
酒を流すように言われ、返す言葉より、飲み込んでしまった酒の熱さに咽そうだった。
「それが女ならなお良し!」
「あんた一遍死ねば良い!」
反射で暴言を吐いてしまったが、待っていたかのようにバカ笑いされて、平静に収められるわけが無い。
「いやぁ、笑った笑った。ふざけるなと来るかと思ったが、親を捉まえて死ねば良いときたか」
なじられた気もするが、合間合間にまだ笑いを堪えて、肩を震わせている。
「琴世が傍に居なくて良かった。聞いてたら、悲しい顔をするのも分かっているしな」
「仕向けたのはそちらでしょう」
頭領の徳利は確実に五回は代えられた。どれだけ酒に強いんだ……あの人はッ。
「空いたみたいだな。女将さん、そっちの分持ってきて」
「まだ、ありますのでご心配なさらずに」
気が付かないうちに強い口調になっていたのは、酔いもあったのかも知れない。
女将が席を外す合間に、本題を差し込むところはやはり、あまり人に聞かせられる話しではないと分かる。
女将がいる間は、つまみに手を伸ばして、細かに感想や酒や料理の追加をしている。
「だがなぁ、理解できない世に身を置くのは不義を招きやすい。せめて、心置きなく家を空けられる伴侶を持つ望みくらい、預けたいだろう」
ふっと真顔で言われ返せず、まともに杯を傾けて飲み込んだ。
「その点では、琴世は良い女だ。慣れぬ勉強を続けて、家を守りながら表役目も十分果たしてくれた。同じ女を捜すのは無理だろうがな」
「……どう、返せと言うのですか」
「褒めろ。お前の母はそんな素晴らしい立役者の一人だ。俺を知る者が琴世を褒めてくれるのが一番、幸せを感じられる」
俺が人である実感をくれる。
最後の一言は、殆ど聞き取れなかった。
「冬臥。もしそんな女に逢えたなら、遠慮なく連れて来い」
くっくと喉を鳴らして笑い、女将がもってきた新しい徳利を拝借するように受け取り、オレに向けてきた。
空いた杯を差し出すには少し抵抗もあったが、促されて顔を背けたまま差し出した。
狡い人だ――――
様々な顔を使い分けて、接してくる。
この先ずっと、どの岐路の先にもその姿を残していくんだろう。
「しかし、お前、中々潰れないなぁ」
「オレとしては、その速度で潰れていない方が怖くてたまらないですよ」
「……甘口だから、気がついて無いのか。度数は俺のよりあるんだがなぁ」
しみじみとそんな情報を与えてくれた途端、眩暈が襲ってきた。
「曉はんてば、ほんまに人が悪いわ」
「だって、からかいたくなるほど可愛いから」
気が付いた時には、行灯の明かりが揺らめいて、外の喧騒の声が大きく聞こえてきていた。
「起きたか。だが、まだ寝ておけ」
頭領は壁に凭れ掛かり、咥えていた煙管を手に移して、目を向けてきた。
「そこに水がある。たっぷり飲んだら横になれ。どうせ、歩けんだろう」
「人を、潰しにかかって……よく、言う、うっ……」
起きたら起きたで、気持ち悪い。
とりあえず、酒を薄める意味で水を流し込んだ。
「そこで吐くなよ。吐くなら外になー」
………………くそぅ、晒す醜態は全て晒した気がした。
酒の余韻で、隣の大きな声が頭に響くだけじゃなく、気持ち悪い胃にも振動で伝わってくる気がして、横になった。
全くと笑いながら、側に座り直して来た。
「琴世には知らせてあるから、気にするな」
煙管を咥え煙を細く吐き出しながら、空いている手がオレの額に乗った。
「これだけのんびりと、お前を構ったのは初めてかもなぁ」
「……」
髪を撫でる指先が少し強くなる。
酒のせいだ……顔が熱い。
「もう少し寝ていろ。次に目が覚めたら担いで帰ってやろうか?」
「その時は、自分で、歩きます」
けだるく重たい体で、口を開くのも声を発するのも億劫だし、呂律も回っていないかもしれないが……言うことは言っておく。
「そうか」
目を開けていると、視界が回っているように感じて、仕方ない。
それが言い訳だと思いつつ、目を閉じた。
「好い父親には、やはり成れんな」
寝ていた訳ではなかったが、そんな一言に身じろぎ一つする事も出来ず、跳ねた掌を受け止めた。
「あらあら、すっかり酔ってしもたようね」
静かに入ってきたのは女将か。
傍で何かをしている音は分かるが、そちらに気を向けようとすると、気持ち悪さが邪魔しに来る。
多分また、新しい酒かつまみを置いたんだろうな。
「ああ。済まないな、迷惑掛けて」
「ええんよ。あない楽しそうな曉はん、初めて見れたんやから」
「ずっと、空けてるせいで、どうして良いのか……正直わからなくってな」
「あら愚痴ですか? 珍しいもんが続けて見れるのなぁ」
「まあ、見るついでに付き合ってくれ」
一呼吸、ふぅっと言う音が零れた。
「……赤子のうちならまだ良かった。だが、気が付いた時にはあっという間に家を離れていて、戻ってきたと思えば。背負うにも一苦労させられそうなほど、でかくなって来た」
「曉はんも同じやったんでしょう」
「まあなぁ。だからか嬉しいと思うより、どうして良いのかわからん……」
「あらあら、過保護で贅沢な悩みだこと」
「そう、か。女将さんからしたら、そうなのかもな」
「ええではおまへんやろか。分かれへんなら分れへんなりに、見守って、時に手を差し伸べてあげれば」
「時折、この家業が恨めしくなる」
ことり……と音が聞こえた。
「この立場でなければ、もっと自由だったのではないかとな」
「あらあら、ほんまに、贅沢で、ずるくて困ったお方だわ」
「ん。褒められたとしておこう」
「したら、これはどないしますか」
「ああ。忘れていたな。馴らすまで時間も掛かるし、誰か頼む」
「手隙の人、出しときます。ほな、ゆっくりしてったらええからね」
僅かな衣擦れの音が遠くなるのを聞き届けて、殆ど無意識のうちに体を捩った。
離した指先が躊躇いを見せて、乱暴に撫でていった。
「誰に似たんだかなぁ……」




