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授けの儀 ―双也―

 この日は朝からずっと慌しかった気がする。

 自分自身の朝稽古を終え、大和を起こしてからか。そこから、あちらこちらへ走り回ったような。

 披露目に合わせての新しい着物を取りに行ったり、頭領の鷹の具合が悪くなったと聞いて獣医を連れてきて、大和の稽古と灯里の稽古をこなして、使いで買い物に出たりと……

 その上で、自分の勉強もしなくてはならなくて、実家に戻って母上の講義を聞き、途中で妖話を聞いて駆けつけたり。

 ようやく取れた休憩時間に、オレは初めてぐったりと、体を上げることが出来なかった。

「というか、頭領の体力は……妖以上ですか……」

 暑さに負けた猫のようにぐったりと体を投げ出し、思わず呟いてしまった。

「見事なへたれ具合だな。飲むか」

 師匠の前で、こんな醜態を晒すまいとは心掛けていたが、心掛けていてもダメだった。

 重たい体を何とか起こして、差し出された茶を手にした。

「ありがとうございます。頂きます」

 冷たい茶が五臓六腑に染み渡る。そう感じるほどに、疲弊していた。

「まあ、呱々慧(ここえ)がただの風邪だったのは良かったが」

「そうですね。しかし、父上も自分の鷹の具合が悪いのだから、様子くらい見に来るかと思いましたけれど」

「なんだ、愚痴とは珍しいな」

「そう言うつもりでは無いのですが……」

 呱々慧は言ったように父上の鷹だ。オレの珀慧の母鷹にあたるし、歳も九つを過ぎて、老体ともいえる年齢になった。

 呱々慧は現役の狩り鷹でも最高率の妖発見者だが、昨日から様子がおかしいと言われていたらしく、珀慧の様子を見に行ったら、そのまま獣医の元まで走らされたわけだ。

 あぁ、夜になったら珀慧の様子を見に行かねば。

「頭領とて気に掛けていない訳ではない。表役目の必要が無いとは言え、本来のお役目がある」

「分かっては居ります。そのお陰で、今朝方の郊外の妖を討てたのですから」

「ならそう不貞腐れるな。そろそろ彦様の下へ行く時間だろう」

「はい。紀代隆様、ありがとうございました」

 湯飲みを置き渡して、座礼の形で頭を下げた。

「気にするな。ではな」

 さりげなく言われた言葉に、自然と深く下げていた。

 そして、大和の部屋に入れば、殆ど着替えを済ませていた。

 晴れ着はなかなかに艶やかなもので、普段好んで着ている、大人しい色に見慣れているせいで思わず感嘆の声が零れた、んだが、当人からは嫌そうな視線が返って来た。

「そう険のある目を向けてくれるな。中々、似合っているぞ」

「君から褒められても嬉しくない」

「酷い言い草だな。まあ、逆の立場としても同じだがな」

 言いながら、着物の仔細を整える。

 花橘と言われる襲色。普段からが季節感が薄い染め色を着ているから、余計に目立つ。

「君が着る時にはしっかり笑ってあげるよ」

「嫌な宣言をするな。もっとも主殿は、お館様と共にご挨拶回りに行かれるはずですが」

「……そうだった」

 今日の披露目は御剣に縁ある方々が参られるが、挨拶回りはまた別だ。

 后守はその間に、済ませてしまうのが慣わしになってきている。

「こんな目立つ格好で、陽川神社まで行って、帰ったら帰ったで宴会騒ぎとか……参るよ」

「まあ、頑張って来い」

 着付けを済ませた後、他の従者たちに混じり大和たちを見送った。

 灯里様の珍しそうな好奇心一色の瞳に、初めて、大和が迷惑そうな表情を隠したのもしっかりと見届けて。

 陽川神社への道中は頭領と師が同行する。

 だから留守番組のオレは再び慌しく、宴の手伝いに奔走することになった。


 夜。

 既に宴の席から離れて、自室の側の縁側で、苦痛の表情を浮かべている大和に薬湯を渡して隣に座った。

 宴の最中、幾度も親類縁者から振舞われる祝い酒を断りきれず傾けていたせいか、早々に席を離れたが、かなり酔いが回っている。

「もう、いやだ……本読んでるほうが、ずっと有意義」

 呂律怪しく不貞腐れた声に、可笑しくて口元が歪んだが、気づかれたらまた文句を言われそうだから、湯飲みを渡す素振りで誤魔化した。

「苦っ」

「二日酔いになるより良いだろう」

 そう釘を打てば、温くなるのを待ってから一息で飲んだ。

「灯里は……」

「覚えてないのか? 大分前にみちる殿が御寝所に連れいかれた」

 殆ど何時もと変わらぬ時間帯に大欠伸をして、お館様の背中に隠れ、はたはたのように、丸くなり寝ていた姿を思い出した。

 それを見付けたみちる殿が、御寝所に連れて行く際に、大和自身が寝際の挨拶をしていたんだがな。

「そう……」

「相当酔いが回ってるようだし、もう寝ろ」

「そうしたいのは山々だけどね。少し、酒を抜いてからにする」

 溜息ともつかない息を吐きだし、代わりの茶を差し出した。

 最初の薬湯を飲むまで、時間が空いてしまった分、茶は冷めてしまっていたが、大和には丁度良かったらしく、一口で半分まで飲みきっていた。

「こんなに飲まされたの、初めて。ちょっと、こわいね」

 ふらりと体を傾いでは、体勢を整えようとして反対側へとまた、傾ぐ。

「オレも、お前のそんな危なっかしい姿は初めてだ」

 人気が無い事を良い事に素で言うと、小さく唇を尖らせていた。

「だが良い引き際だったのではないか?」

「辞退しておくべきだった」

「祝い事で主役がいない等、面目立たずな事を言うな」

「君にまでこうした醜態晒したことの方が、もっと後味が悪いよ」

 酒も相まって、普段からは確かに想像できない答えが返って来た。

 多分、何時もならオレがこういう事を言って、大和を苦笑いさせているんだろうが、今回に限っては、オレの方が苦笑いするしかない。

 空いた湯飲みを片付けながら、さりげなく大和の側から盆を遠ざけた。

「やはりもう寝ておけ。灯里様の前で二日酔いの姿など、オレに見せる以上に嫌なのだろう」

「水と着替えだけ用意しておいて。言うとおり、寝るよ」

 気持ちを整えるように長く細い息を吐いて、一瞬だけ伏せて、開いた瞳が見えた。

「おお、双也様!」

 遠くから、遠慮の無い客人の声が掛かったことに、焦った。

 幸か不幸か、上位置にいたのはオレであり、影に隠す体勢にはすぐ入れた。

「姿が見られぬと思えば、こちらに御出ででしたか。酔いは醒められましたかな?」

「ああ、少しばかりですけど」

 あたり差し障り無い返事をしながら、当人はただ立ち上がろうとしたのだろうが、力の入らぬ身体ががくりと崩れた。

「見苦しい所をお見せしてしまい、申し訳ありませぬ」

 大和を支えるには十分に間に合った。客人から大和の顔を見られぬように担ぎ、詫びの言葉を紡いだ。

「い、いや、こちらも不躾に済まなかった」

「真に申し訳ありませんが、双也様を部屋にお連れさせて頂きます。どうぞ、楽しいひと時の続きを、他の皆様方とともにご堪能くださいませ。では、失礼いたします」

 それ以上に言葉を重ねる余裕もなく、半ば担ぎ、半ば引きずるように大和を部屋に押し込めた。

 酒に酔い、虚ろな瞳が、普段の暗紅色ではなく忌み色に変わっていた。

 今し方の「こわい」と呟いたのはこの事だったのか。

「十斗、この体勢……気持ち悪くなるんだけど」

「すまん!」

 慌てすぎたようで、胴体を支える腕の位置が悪く、鳩尾に入っていたうえで、無理矢理動かしたのだから、大和の元から白い顔が青くなっていた。

「着替えられるか?」

「なんとか」

 鮮血色が浮かんでいる事も気がついていないようで、眠そうに目を瞬かせていた。

「水と着替えだけ、頼むよ」

「後で持ってきておく」

 ともかく、寝かせてしまった方が早い。そう結論付けて、寝巻きに着替えさせて、布団の中にも押し込んでおく。

 そうなれば寝やすい体勢を探して、頭まで布団を被ってしまった。

「おやすみぃ」

 布団に阻まれた形の、くぐもった声に返事を返して、着物を片付け始めた。

 明日の出掛けるまでに着る物を用意し、今着ていた黒い着物は衣紋掛けに掛けておく。

 後は水だな。

 寝入った大和を起こさないように、静かに足音を殺して、戸を閉めた。

 そうだ、盆を置きっぱなしにしていた。

 思い出して、廊下にぽつりと置かれているはずの盆の側に、女の背中が見えた。

 晴れ着を着ているところを見ても、客人の一人のようだ。

「申し訳ございませんが、そちら、よろしいでしょうか」

 一声掛けてから盆へと手を伸ばせば、阻むように女の手が伸びた。

「このお茶、貴方が淹れたの?」

「その通りでございますが、失礼ながら、何かお気になる点でもございましたでしょうか」

「別に、こんな所に放り出してた輩がどんな人か見てみたかっただけ」

 顔も合わせようともせず、威圧的とも受け取れ兼ねないぞんざいな言葉。

 相手に悪意は無いと言い聞かせて、盆を自分の傍らに引き寄せた。

 もちろん、床から放して傷も音も立てないように注意しながらだ。

「それは申し訳ございませんでした。ご満足していただけましたか」

「そうね」

 短い言葉に、女は立ち上がり、何事もなかったように宴の席へと戻っていった。

 嫌な空気を纏う女だ。

 完全に見送ることはせず、そのまま盆を持って厨へと向かった。

 宴の忙しさは一山越えたところだが、いまだ片づけで幾人かで井戸を往復している。

「ああ、后守殿。洗い終えていない物は、こちらに下さいませ」

「お願いします」

 忙しなく動く侍女達たちの動きを避けつつ、奥の洗い場では、初めて見るほど山になっている器たちの側に、新たに持って来た茶器を置いた。

 盆は洗ったばかりだと言われ渡された布で拭い、棚の上に置いてあった水差しを取った。

「彦様は大丈夫でございましたか」

「先に薬も飲ませましたから、大丈夫ですよ」

「いえ、そうではなく……」

 酒残りを心配しているのかと思ったが、周りの幾人たちが表情を曇らせた。

 それでも、片付けの手を緩めないのは流石だ。

「姫様はまだご理解されておられなかったようでしたが、城に上られてしまえば、今までのようにご一緒には居られませんでしょう」

「そうそう。彦様は格別に姫様を大事になされているし、ご自身も、お嫁さまを娶らねばならないのですし」

「お二人とも、いきなり引き離されるようで、そう思うと可哀想で」

「授けの儀も、何もこんなに早くなくとも、せめて姫様がもう少し大きくなられてからでも良かったのに」

「そう零されましても」

 口早に不平不満を言われ、オレも苦笑いするしか出来なかった。

「ああ、申し訳ありません。后守殿、今のお話はどうか御内密に」

「ええ。それはお約束いたします」

 そう返したが、すぐに侍女たちの話は、大和に関する話になっていた。

「それにしても、今日いらした中の姫様の誰かがやっぱり、奥方様候補なのよねぇ」

「せめてお優しい方なら良いのに」

「あら、それだけじゃダメよ。元気な跡取りを生むのも大事よ」

 ……女達の話は盛り上がりを見せるばかりだ。

 よし、静かに逃げよう。

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