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后守曉

 ほぼ二週間ぶりに戻ったのは御剣の屋敷ではなく、后守の……自分の家だった。

 輝政殿を家に送り、大和たちと共に町には戻ったがオレたちの帰りを待ち構えていたかのように、お館様と父上……頭領がいた。

「早い戻りだったな。よし、十斗、家に帰るぞ!」

 その一言で挨拶らしい挨拶も出来ず、正に首根っこを掴まれて戻って来た。

 正直言えば、何が起こったのかは分からなかったが、そのままの流れで、荷物を家に置いて連れて行かれたのは道場。

 そこで迎えてくれたのは師、紀代隆様だった。

 オレたちが霜月本家にいた間は道場で師範代として、門下生達の指導に当たっていたという。

 今日はもう門下生の人たちは居ないらしく、居るのはオレ達だけ。

 そんな広い道場の中で、初めて父を相手取り、組み手をするのは楽しい。

「旅の疲れでへばってるかと思ったが、なかなか。紀代もちゃんと指導してたみたいで安心したぞ」

「頭領のご子息の指導、最初は戸惑いましたけれどね。十斗が素直で助かりましたよ」

「そりゃあ、俺と琴世の子供だからな」

 互いに笑いながら、さらりと何か言われた気もするが正直、まともに会話を聞いている余裕はなかった。

 頭領の浅黒く、しなやかに伸びる腕を躱せば、その避けた先に予見していたかのように師の振り下ろす木刀の先がある。

 真剣想定なのはもちろん、木刀を下手に受け止めれば切り落とされるという判断になるが、必死に避けていたオレはその想定を失念したまま、不自然な体勢で手の甲で弾き飛ばしてしまった。

「あっ……」

「褒めた途端にこれか? セァッ!」

 呆れた声とは裏腹な鋭い蹴りを軸足に受け、床に背中から落ちた。

「ぐっ」

「よいせっと」

 痛みと詰まった一瞬で、腕を取られ間接が軋んだ。

「まーったく、お前は素直だなぁ。真剣だろうと木刀だろうと止まったら意味が無いだろ」

「だ、からっ、て! く、すぐるな!」

 身動きできないことを良い事に、人の体を好き放題にしてきた。

 痛みとくすぐったさで、正直、情けなくて、泣きたくなった……

「はぁ、はぁ……ホンットに、いい加減にしてください!」

 割合長い間、くすぐられ続けて笑いすぎとで体が重だるかった。

「いやぁ、だって今だけしか出来ないからつい、な!」

「反省しろってんだ!」

 全く悪びれない父上に、心の底から言い放った。

「十斗もやはり、家に戻れば相応になるなぁ」

「……うぅ」

 師に笑い声交じりに言われ、返事ができなかった。

「さぁて、腹も減ってきたし、稽古はこれで終わり! 紀代、話がある。十斗、お前は帰っていいぞ」

「はい。ではな、十斗」

「お疲れ様でした。紀代隆様」

「あれ、俺には? 俺には言ってくれないの?」

「……」

「あれ、怒ってる?」

「怒ってなんかいません。呆れてるだけです」

「もっと酷かった! うわーん、琴世に言いつけてやる」

 本当に、いい加減だな!

 思わず声に出しそうになるのを我慢して、一礼してこの場を後にした。

 とは思っていても、苛立つのは一時的なもので、別に父上の事が嫌いなわけではないし、あんなふざけた態度もまあ、使い分けてると言うか殆どオレ達にしか見せないし。

 ただ、そのせいで素直に尊敬しきれないんだが。

 道場から家が離れているため、少し歩く。道場で汗だくになった首元を手拭で拭きながら、思うのは一つ。

 早くさっぱりしたい……

 そんな欲求を満たしたい為に、急ぎ足で家に戻った。

「ただいま戻りました」

 家の扉を開け声をかければ、母の声が返ってきた。

「おかえりなさい」

 食事の支度をしていたのが良く分かる割烹着姿で、出迎えてくれた。

「あら、曉さんは一緒じゃなかったの?」

「はい、父上は紀代隆様と何かお話があるようでしたので、先に帰れと」

「まあいいわ。湯屋に行くのなら早く行ってしまいなさい。久しぶりに腕によりをかけて作ってるのよ」

 その言葉にオレは返事を返し、また急いで行って戻ってきた。

 夕餉の用意を手伝ってみたが、途中で部屋で勉強してきなさいと言われてしまったのは、別の話にしておこう。


 久方ぶりに食べた母上の料理は、やはり美味かった。

 だが、それで満足して休みを堪能する。と言うわけには行かなかった。

 ま、何かしらあるからこそ、いきなり家に連れて来られたんだろうが……

 満面の笑みで本の束を積み上げていく母上に、思わず逃避したいと溜息が零れた。

 食事のあとの雑学などは確かに師から賜るが――母上自ら指導を買って出た薬学など覚えきれな――いや、眠気を抑えきれるだろうか。

「あなたに女姉妹がいたのなら良かったのだけれどねぇ。必要最低限に他の土地の物も覚えておきなさい」

 それが講義開始の挨拶だった。

 勉強自体は、まあ嫌いな方ではないが……やはり、こう体を動かしているほうが好きで、気が緩んでいると言われてしまえばそれまでだが、腹の満ちた今ではどうにも、手が止まってしまう。

 それ故に朝一で、短く早めに講義を切り上げた、と言う母上の文句は正直、全く記憶になかった。

「十斗、居るか」

 呼ばれた声に、母上の残していった本から目を離せば、師の姿があった。

 本を置き、師の座る場所を作りながら姿勢を正したが、座るつもりは無いと手を振って丸い字でオレの名が書かれた手紙を差し出してきた。

「そう畏まる必要は無い。預かり物を忘れていてな、お前が行って直ぐに手紙を預かっていた」

「手紙ですか? ありがとうございます」

 渡された手紙を受け取った。しかし、誰からだろう?

「頭領たちには見つからぬ方が良いだろう」

 微かに細められた瞳に、一層疑問が浮かんだが、過ぎった顔にまさかと手紙を広げた。

 音もなく、席を外してくれた師に感謝しつつ。


 ―― 十斗へ

   はじめて書く手紙だから読みにくかったりしたらゴメンね。

   何度か、神社に足を運んだんだけど、会えなかったから手紙です。

   いきなりだけど今度、引っ越すことになったんだ。

   はじめて、すさで出来た友達だから、ちゃんと会って話したかったんだけど。

   残念。

   お姉ちゃんも、仕入れのたびに出るんだって。

   だから、あの夜が最後になっちゃったね。

   本当はもっと、みんなで遊びたかったけど、ごめんね。

   楽しかったよ。ありがとう。


                        朔耶 ――


 手紙を読み終えた後は、ただ、そうか……と言う、我ながら味気ない感想しか浮かんでこなかった。

 多分、もう少し色々と思ったんだろうが、その一言しか出なかった。

 手紙、仕舞っておかないと。

 えっと、あー……そうだ、本が途中になってたんだったな。

 手紙を仕舞う間に自分が何をしていたのか、すっぽりと抜け落ちてしまっていた。

 何故だろう。やる事はあるのに、手が付かなくなってしまっていた。

 本も眺めるだけな気がして、始めの方へ頁を戻したが何処まで見て覚えたのか、さっぱり分からなくなっていた。

「おーい、十斗ぉ! いるかー」

 返事も待たずして部屋の戸を開けたのは、振り向かなくてもわかる、父上だ。

 あれから随分時間が経ったかと思ったが、陽はまだ空の頂に掛かったばかりだった。

「なんだ、随分不景気そうな顔して? まあいいや、とりあえず話があるから付いて来い」

「はい」

 笑っていた顔も、途中から后守頭領の顔になっていた。大事な話しらしい。

 オレもそのまま、後を付いていくように部屋を出た。

 家を出て道場へ向かう道と同じ。何も言葉を交わさず、ただ足早に歩く頭領の背中を追いかける。

 向かったのはやはり道場で、けれど敷地に入っても道場を横目に更に奥へと進んでいった。

 奥は、物置になっている蔵と井戸があるだけのはずだった。

「十斗、この先は他言無用。決して人に見られるな」

 物置蔵にはいれば、中は道場で使う様々な道具があったが、オレも大抵の中の物は覚えている。

 しかし、頭領は奥の棚の前で手招きをしてくる。

 束になった茣蓙(ござ)を無造作に立て掛けてあるだけの、その場所でしゃがむと、棚の奥を示した。

「隠し戸、ですか?」

 知らなかった。初めて教えてもらったその場所は、棚の一角の陰にあった。

 棚の下は土台の石が見えていただけで、なおかつ、普段は茣蓙や火鉢など普段使わぬ物が置いてあるせいで、気にもしなかった。

 だが、その隠し戸の石は本物の石によく見える偽物だった。

 少し触っただけではビクともしないが、両手で少し力を入れれば簡単に持ち上がる。

 見た目に反した軽さがあった。

「隠遁扉だ。中は直ぐ縦穴になっている。怪我するなよ」

 入れと促され、頭領が作る隙間に、体を捻じ込むように中に入った。

 確かに、縦穴になっているらしく地面の感触を確かめる事は直ぐに出来なかった。

 穴としての深さも注意を受けていなければ、確かに怪我をしそうな……それなりに深く、僅かに傾斜もあった。

「大丈夫か、十斗。真下にいないだろうな?」

 声を潜めながら尋ねられたので、オレも見つけた横道に入り返事を返した。

「暗いのは怖いか」

「大丈夫です」

「そうか。ならそのまま進んで行け」

 突き放される声に、少し緊張した。

 初めて知った場所で、真っ暗で何も見えない道。

 壁の位置を探し、天井の高さを確かめておく。

 何も見えない真っ暗な道だが、目が慣れてくれば見えてきた。

 細い通路をひたすら歩いて、歩いて、歩いて。

 突然、広い場所に出たように指先が壁の角をつかんでいた。

 足元を確かめて、ゆっくりと前へ歩く。

「着いたか。なら、そこで少し腹括って待ってろ」

 後ろにいたはずの頭領の声が、反響のせいかも知れないが……前から聞こえた。

 何時の間に抜かされたのか、全くわからなかった。

 重たい物が引きずられる音の次に、遠くで何かを漁っているのか、小さな物音が聞こえた。カッカッと短く石を打ち合わせる音に続き、小さな炎の揺らめきが灯ったが、煌きは微かに隙間から零れているようだった。

「こちらに来い」

 その声は、隙間から投げかけられていた。

 通路は更に奥へ続いていたが、必要な場所は今、頭領が立っている場所。

 人一人が通るには十分な隙間が、頭領の手で開かれたいた。蔵にあったのと同じ隠遁扉。

 頭領の手にある光源が、空間の陰影を濃くして今立っている場所が、洞窟を少し整えた程度の部屋だと言うのが分かった。

 オレが中に入ったのを確かめてから、頭領はそのまま、幾つかの行灯に火を移し、灯りの量を増やしてから、手元の火を消した。

「この場所が、お前のもう一つの部屋になる。覚えて置け」

 事も無げに言われた一言に、オレは何も返せなかった。

 ただの隠し部屋じゃない。此処は牢か。

 さっと血の気が引いたのがわかった。一瞬のうちに体温を奪われたような寒気を感じて震えた。

 オレと向かい合う位置にいる頭領が、己の側にある扉を軽く叩いて示す。

 黒く塗りつぶされ、威圧感を与える鉄扉。鍵も横嵌めの鉄製の閂があり、今も封をするようにしっかりと嵌められていた。

冬臥(とうが)。これからお前がこの部屋の主だ。好き勝手にしろとは言えんが、俺に断る必要は無い」

 静かに告げられ、初めて聞く冷たい父の声に、全身が粟立った……

「安心しろ、今は誰もいない」

 手にしていた燭台を置き、ゆっくりと側にあった脚の長い机に寄り掛かり、よく見知った笑みを向けてきた。

 けれど、目の前にいるのは后守一族の長でもなければ、守り手である后守の頭領でもない……

 ただ一人の影担いの男。

 喉を湿らせ、震える指先を握り締め、浅くなっていた呼吸を整える。

「落ち着いたか」

「……はい」

「では、改めて告げよう」

 机から体を離して目の前に静かに立った。

 自然と膝を突き、頭を下げる。

「表役目は申し分なし。今より冬臥の名を授け、影になり、世に跋扈する魑魅魍魎共を排斥すべく精進せよ」

「……」

 直ぐに返すべきはずのただ一言が、でなかった。

 魑魅魍魎共……何も知らなければ、ただ舞い上がって返事を返せた。

 けれど、兇人と呼ばれる大和を討つ気は無い……

「返事はどうした」


――ああいう時は、嘘でも良いから彼女が満足する言葉を言えばよかったんだ!


 促されて、主の叫んだ声が蘇っていた。

「ありがたく頂戴いたします」

 やはり、我が侭で自分勝手だ。

「冬臥。お前の人生はお前のものだ……一族全てをお前一人に背負わせるつもりは無い。遠慮なく頼れ」

 新しい名を授けたはずの父の掌が、頭の上で数度跳ねた。

「それと、俺や琴世より早く逝くことも許さんからな。せいぜい精進しろよ」

「はい」

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