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兇人の名は

 闇い。何処までも何も見えない闇。

 天地も狂う感覚に一人、零した吐息の音がやけに大きく聞こえた気がした。

 

  兇人(まがつひと)は人に非ず。

  兇人は妖を従え、人に災厄を与える。

  兇人は荒神。

  兇人は穢れ人。

  兇人は赦されぬ存在。


 感情も何も持たず、狂い餓えた獣のように、人を喰らう存在と教えられてきた。

 忌むべき色を宿した兇人は、人に非ず獣也。

 だが、盲目に信じていることが出来なくなった。

 たとえそれが周囲に理解されぬとしても、オレには兇人全てが、人に非ずとは思えない。

 守りたいと思うもの、安らぎを与えたいと思うもの……綻ぶ顔を見たいと思うもの。

 一つでもあれば狂う獣ではない。

 一人でもその者を案ずる者がいれば、赦されぬ存在ではない。

 たとえそれが蝕まれた者の考えと言われようと、外道と(そし)られても。道は道。

 闇の中であろうと、オレの足元にある道だ。

 同時に、オレにも導となる光がある。

「如何様な試練であれど、受けて立ちましょう」

 腹に力を込め、糸を張る。

 途端に狂う感覚は失せ、しっかりと立っていた。

【あなたは恐ろしい。荒神に人の心など残りはしない……近い将来、あれは災禍を呼ぶ。これは試練などではない、あなたが居る限り、あれはあなたを盾に己の闇を育てるでしょう。それは無自覚に……あなたの想う光を断ってしまうほどに】

 途切れた声の向こう側から、小さな音が近づいてきた。

 距離があるうちに、道に砂利が敷かれている事を自分の足先で確かめる。

 さて、一体何が出るか……

 バサバサと激しい音が空から聞こえる。

 天を仰げば、仄かに白く光る鳥が大群をなし、竜巻のように回転をしながら下に向かって降りてきた。

 地面に近づくに連れ、風が強くなり砂埃が舞い上がる。

 思わず目を覆い庇い、隙間から窺えば白く光る鳥は巨大な人の形をなしていた。

【そして、あなた自身もその光を断つ側に回ってしまうでしょう】

 顔のない人型の手は重さを持って振り下ろされた。

 巨体なのは何も関係ないと言わんばかりの速さで。だが、オレも足にはそれなりの自信がある方だ。

 それに式紙ならば遠慮することもないな。

 背中に隠していた一刀を取り出し、地面から抜かれる腕を引き抜きざまに切った。

「――――ッ」

 感触が無い。そう思えば斬ったはずの場所がバラけ、再び腕の形を成していた。

 巨大な腕から繰り出される攻撃を躱すだけなら、慣れてしまえば簡単だが斬る感触もなく、時折バラけたまま身体に張り付いてくるのが面倒だ。

 平手で叩き潰すように連続で地面が揺らされ、逃げ回っていたが再度、地面が打ち鳴らされた時を見計らい、その手の上に飛び乗り腕を駆け上った。

 だが、足元が崩れ式紙が嘲笑うように目の前を舞った。その数枚の式紙を無造作に掴み捕り、地面に降りる前に破り捨てた。

 式紙一枚一枚も人型。それを破れば、地面の上で空気の流れに動かされているように微かに端を揺らしていた。

 なるほど、地道にいくか。

 式紙の腕や足を掻い潜り、切り裂き、はぐれた式紙を掴み破る。

 しかし、式の紙は特殊で、そう簡単には破るのも切り裂くのも容易ではないし、オレの体力も無尽蔵ではない。

 次第に息が上がり、集中力が落ちてくるのが分かる。

 幾度目かもわからない攻撃が空を切った。

「しまった」

 間合いがずれた。叩き付けられた腕と反対の腕に掴まれ、一枚一枚が締め付けてくる。

 軋む骨に押され、肺から空気が零れ落ちる。

 このままでは……

【今一度問います……大和が人であるうちに討ちなさい】

 ひどい耳鳴りの中、か細く問われた言葉は懇願に感じた。

 けれど、答えは決まっている。

「い、やだ……」

【なれば、問い掛けを変えましょう。兇人となった大和ならば討てますね】

「なにを……」

 静かに告げられた不穏な言葉にあわせ、式紙の一部が飛び立って行った。

【わたくしも鬼となりましょう。要を担う主として】

 天高く舞い上がる式紙が円を描き、紋様を浮かび上がらせていく。

 青く白く、光を交互に放ち、ぐるぐると回っていた。

 鮮やかな色彩を放っているわけでもないのに、神々しく……一層の不安を掻き立ててくれる。

 抜け出さなければならないのに、身体が重たく、力が上手く込められない。

 せめて、腕だけでも抜け出せれば……

 指先まで痺れて、感覚が薄い。焦れば焦るほど身動きが取れない。そしてついに、式紙たちの光が途絶えた。

 いや一瞬だけ、紅蓮の炎が翅を広げ、式紙を灰に変え落ちた。

 ゾクリと背中が粟立ったかと思えば、無意識のうちに躰が震えていた。

「行き成り過ぎて、流石に驚いたよ」

 溜息混じりに呟かれた声は、大和自身のものだ。

 さして驚いた様子も見せず、両腕を着物の裾に差し込んだまま高みの見物を決めた様相だったが……不機嫌さを隠すこともなく、冷たい視線を投げつけてきた。

「僕や十斗だけならまだしも……」

 大和の表情が明らかに失われていった。

 紅々と滾る双眸に反した氷点下の声音に、オレは向けられていた視線の先を追って、声を詰まらせた。

 いつの間にか現れていたもう一体の人型の式紙の手の上で、小さく蹲るように横たえられていた灯里様。

「環様、いくら貴女様と言えど……戯れが過ぎませんか」

 大和の声に返る音は無かった。

「灯里を元の場所に戻してください。その子は関係ない!」

 強くなった大和の声に、やはり返る音もなく式紙の掌が閉じられていく。その最中、灯里様の菫色の瞳が開いた。

 何もわからず、不思議そうな瞳だったのに……

「ふえぇええぇえっ」

 恐慌状態に陥った泣き声が響き、掌が閉じられたと同時にその声が一気に小さくなった。

「環様ッ、そんなに僕を――――」

「大和! 落ち着け!」

 煌々と紅く燃える瞳に向かい、叫んだ。

「そうだよ、大体君が莫迦正直に言うから!」

「な、なんだと……」

「ああいう時は、嘘でも良いから、彼女が満足する言葉を言えばよかったんだ!」

 普段の大和とはかけ離れた感情を剥き出しに言われ、正直、何を言っているのか分からなかった。

 だが、次の瞬間に紅蓮の羽ばたきが目の前を過ぎった。

「クッ……かはっ」

 式紙が燃え墜ち、締めていたものがなくなったが、酸素と同時に熱風を吸い込まされ、喉が焼ける。

 呼吸を必死に整える。立ち上がらないと。

 出してと叫ぶ声はオレだけじゃなく、大和にも届いているはず。

【言いましたでしょう。わたくしも鬼となりましょう、と……】

 しかし想いとは裏腹に、振り降りてきた式紙の手を避ける事も出来ず、地面へ押し付けられた。

 衝撃は激しく、吐いた物に血が混じった。

 息を吸うのもままならず、口内の嫌な味だけが広がっていく。

「十斗! ホントにっ、貴女と言う人は……」

【良く見ておきなさい。あれが兇人。人々に災いを齎す荒神の姿です】

 まるで指し示されたように、視線が大和の方へ向けられる。

 地面に視線を落とし、肩を戦慄かせている大和。その足元の闇が輝き、暗い赤色を纏って蠢き始めた。

「邪魔なんだったら、初めからこうしてくれてた方が、ずっとマシだったのにッ!」

 初めて聞いた大和の悲痛な叫び声に押されたのか、僅かに抑えられていた力が緩まった。

 けれど、オレは、抜け出すことも出来ず、大和の異変をただ見ているしかなかった。

 蠢く闇は、後翅の長い蝶を模り、大きさよりも数を夥しく増やし、左袖からは二匹の白蛇がずるりと落ちて消えた。それが荒神封じの咒の元だという事は後に知った。

 苦しそうに小さく呻く声に合わせ、大和は何も無い中空から現れたモノを掴み上げた。

 茜色の錫杖……いや、槍なのだろうか。地面に接している部分は刀と同じ細い刃が付いている。

 俯いたままだった顔が上げられ……確かにオレは自分の覚悟が揺らいだのを覚えた。

 元から白い大和の肌を覆う闇の禍々しさが、自分自身の動揺を誘うには十分すぎて……憎しみの篭った、大和の鮮血色の瞳が大きく見開かれた。

无繝双丈(むげんそうじょう)、これが……僕の忌むべきものだ」

 シャンッと、場違いなまでに涼やかな音が響き、蝶たちが羽ばたいた。

 式紙に向かい、頭上を掠めていっただけなのに寒気が止まらない。

 あの時……姿が見えなくなった灯里様を追いかけ、出会った荒神と対峙した時とは比べ物にならない恐怖。

 体が震えているだけじゃなく、立つ為の心も掠め取られてしまった気持ちだった。



 どれだけ粋がっても、ただの一度で折れてしまう程度の覚悟だったと、思い知らされた。

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