秋過ぎて
修行半ばで呼び戻されたのは、大和を気遣っての事だと後に思い至った。
椛様ご逝去のあとも頑なに後妻を娶らなかったお館様。
他の家と同じように養子を迎え入れたのは当然の流れだったのか、それとも大和だから迎え入れたのか理由は今でもよく分からない。
それでも、歳等しいオレたちは直ぐに肩を並べるようになっていた。
「十斗、散歩に行かない?」
「少々お待ち下さい。灯里様に新たなお召し物が届きましたので、そちらをお届けてからでもよろしいでしょうか?」
「構わないよ。僕も一緒に行こっと」
暗紅色の瞳を緩やかに細めて笑う大和は気にした様子も見せず、先を歩き始めた。
灯里様の部屋は生前、椛様がお使いになられていた部屋だ。
本来なら母屋の一角にある部屋に移られるはずだったのだけれど、その部屋は今、大和が使っている。
離れには二つ戸がある。部屋の中の寒暖差を抑えるためのその一枚目の戸を前に声をかけた。
直ぐに中から声がかかり、戸が開き侍女が迎え入れてくれた。部屋の中は男子禁制と云われ、例え大和でも入れるのは下足置き場のこの場まで。
侍女に着物が入った桐箱を渡して、中身を確認していただく。
仕立て上げられていたのは冬に合わせた朽葉色の少し厚い生地の羽織だった。
「いい色だね。灯里が着てるの見てみたいな」
それは暗に灯里様を連れて来いと言う命令。大和の人当たりは穏やかだけれど、どこか潜む棘を言葉の端々に見せる。
侍女は綺麗に笑った大和に目を向けられ、僅かに頬を染めて立ち上がった。
「ねえ、十斗。今年の雪はいつ積もるかな?」
「……さあ、早くても一月は先だと思いますが」
「積もったら三人で、雪で遊ぼうか」
「お許しがいただければ」
そう答える以外にできない質問に気を良くしたのか大和は少し悪戯めいて笑い、奥から聞こえてきた灯里様の声に更に顔を柔らかく綻ばせていた。
「にいさま、きいてきいて!」
戸からお顔を出すと同時に大和の懐に飛びつく姿に、侍女は少しばかり顔をしかめた。
どうやら作法の勉強中に訪れてしまったようだ。
大和は灯里様を一度、抱きしめてから床に降ろした。
「ちゃんと聞いてるよ。何か良いことあったの?」
「うん、かぞえうたおぼえたの」
自慢気に歌い始めた灯里様に、侍女ははしたないと小声で呟いていた。
大声で歌い始めたのだから、仕える者としての気持ちは分からなくはないが、気持ちよく歌っているのを諌めるのは少々はばかられた。
「上手に歌えるんだね。ほら、ご褒美に東山呉服から贈られてきた羽織。着てみて」
「うん」
大和は静かに促し、侍女に羽織を出させると灯里様は嬉しそうに袖を通した。
些か大きめに仕立てられたのか肩口が合わず、手などは全て袖の中にあった。
「ちょっと、大きかったみたいだね。でも直ぐに大きくなるから……大丈夫かな?」
「へーきだよ、にいさまなんかすぐにおいこすの!」
「姫様。殿方の背丈を追い越すなど、恥ずかしい事を言うものではありません」
「……はぁい」
流石にその一言には侍女も口を挟むしかなかった。
きつく含めて言う侍女に、灯里様は唇を尖らせて返事を返して俯いてしまった。
「灯里あとで一緒に遊ぼうか。だから、それまではちゃんと勉強する事。いいね?」
明らかに不貞腐れてしまった灯里様だったが、大和の一言で笑みを取り戻すと、また無邪気に笑った。
「十斗、行こう。これ以上長居すると皆に怒られる」
「はい。灯里様、また後ほどお伺い致します」
一礼し、桐箱を片付けてまた侍女に受け渡しようやく部屋をあとにした。
「それにしても、僕、追い越されるらしいね」
散歩といっても屋敷の敷地内を歩くだけだが、大和が先ほどの事を楽しそうに振って来た。
「よろしいのでは。そうすれば幾らか危機を持っていただけますし、厨の侍女たちが喜び腕を振るってくれるでしょう」
「気持ち悪くなるほど動いた後になんか、そう食べられないよ」
「稽古が無くとも量は変わっていないでしょう」
大和の食の細さは早々に知った。膳を片付ける時、侍女たちが溜息を零している事も知っている。
「本当に何時か抜かれてしまうかも知れませんよ」
「本当にそうなったら諦めるから良いよ」
「諦める方を選ばれないでください。だから余計に量を増やそうと画策されるんだと思いますよ」
嗾けた言葉もあっけらかんと受け流されたから、もう一言だけ付け加えておく。
「止める側には回ってくれないんだね」
喉を鳴らすように笑って、ふっと視線を空へ向けた。
蒼穹は高く澄み渡り、吹き抜ける風の冷たさに身を震わせたのが見えた。
「戻られますか?」
「よく見てるね」
「お風邪を召されては困りますので」
本音半分で言うと、大和が無言で視線を向けてきた。からかう様な窺うそれで。
「本当だ。変に怒られるのも遠慮したい」
「立派な本音を聞かせてくれてありがとう」
時折、こうしてからかわれる。
それが無ければ、人当たりが良いのだがな。