修練下の階
一度吐きはじめた嘘というのは、実に後味悪く……そして、引くに引けないものだと思う。
安心させるために、真実をほんの少しだけ隠す嘘に、灯里様は何度肩を落として心配しているのだろう。
屋敷の人の案内の下、オレたちは皐家次期当主が修練のために滞在しているという離れへと向かった。
まあ、その離れに辿り着くまでも、霜月本家の広さを痛感したわけだが。
「うちより大っきいねぇ」
同じ感想はもう三度聞いたが、その度に目を輝かせている灯里様に、案内をして頂いている侍女も言葉はなくとも、その口元を緩やかにしていたのが見えた。
御剣の離れは母屋のすぐそばにあるが、霜月本家ではいくつか離れを有しているようで、皐家を含めた神仕えの人間が住まう離れは一度、表から周らねばならなかった。
天嶮蓬莱山の裾野の奥に入り込んだように、一層と深い緑の香りが辺りを包みこんでいく中、滝の音が聞こえてきた。
樹木に阻まれていたのか、ほんの少し見えた水の流れと同時に耳を打つ音に思わず溜め息が漏れた。
「おっきい~……こんなにおっきいの初めて」
「オレも初めてです。北の地で見たものはもっと幅狭いものでしたし」
高さはさほどないのだが、とにかく横に広く水が流れ落ち、飛沫を上げていた。
その滝から手前に戻るように、もう一つの道がありオレ達はその道を歩いて離れへと着いた。
「少々お待ちくださいませ」
案内をしてくれた侍女が、先に離れの中へ入っていったが、これを離れと呼ぶべき物なのだろうか……?
普通の民家二軒分の広さがあり、後で聞いた話ではあるが、同じ広さのものが滝を挟んでもう一軒あるということだ。
「御剣様、后守様どうぞこちらへ」
色々と灯里様ともども圧倒されっぱなしだったオレたちに、先の侍女が中へと招きいれてくれた。
一見したら宿でも通用しそうな広さを有する離れの控えの間には、白い修練着の男……広延殿がいた。
祁玲殿と同じく灰色の光をわずかに帯びた髪に、芯の通った若草色の双眸が柔らかく、オレ達に向けられていた。
「お初にお目にかかります。自分は御剣の従者、后守十斗と申します。体調を崩した主に代わりにご挨拶に参りました」
「はじめまして! 灯里です」
オレに続いて灯里様の元気な挨拶の声に、微かに笑う吐息が聞こえた。
「こちらこそ初めまして、皐広延です。どうぞ面をお挙げください」
抑揚のない静かな声だが、冷たい感じは受けない。
許しを得て、広延殿の前に大和から預かった品を前に置き、下がった。
「綾之峰さまはお変わりなく」
「はい……」
本当に簡単な挨拶をしていたが、時折、広延殿の視線は灯里様へ向けられていた。
まあ、妹君である祁玲殿と比べても遥かに年下に当たる灯里様を迎える身としては、気になるのだろうが……
ちらりとオレも灯里様を盗み見れば、どうも落ち着かない様子だった。
「あうぅ……ごめんなさいっ、ねえ、おねーちゃん来て」
オレの視線にも気がついたのか、灯里様は大きく頭を下げて、後ろで控えていた侍女の腕を引っ張って、部屋を慌しく出て行った。
「申し訳ありません」
「いえ、元気の良さなら妹も負けてませんよ」
「その様に申していただけるとは……ですが、仕える身として言うべきではありませんが、まだ緊張ゆえにでございます。どうかご容赦を」
「では、私も早く打ち解けられるようにせねばなりませんね……灯里さまは今おいくつで?」
「春に六歳になられます」
「そうですか。習わしとはいえ、私のような者に娶られると言うのも、不憫ですね」
「……その様なことは」
「良いんですよ。考えてみてください、一回り年の離れた男の相手ですよ……それに、見知らぬ家でずっと自由なく年老いて死ぬだけ。そんな分かりきった人生を送る羽目になるのですから」
「……」
「十斗、でしたね。私は家の仕事に誇りを持っています。ですが、それに相手の意思なく巻き込むのは嫌なんです」
「それは、オレには判りかねます……」
この場に大和がいないことに対してどれだけ、安堵したか。
この話を大和に聞かせられないと言うのもそうだし、この方に逢わせるわけにも行かないと思った。
「曽祖父の話を私や祁玲は幼い頃から聞いてきました。憧れがない訳ではありませんが……家を背負うと決めた自分に、仕来たりだからといって灯里さまを傍に置くのは簡単です。ですが、彼女の幸せを考えれば私にはきっと荷が重過ぎる」
「その答えは、いま出すべきもなのでしょうか。オレ……自分は、ただの従者ですが、それでも来るべき時に灯里様を幸せにしていただきたいと願っております」
「愛されておりますね。手紙伝では在りますが、あなたの主である大和殿は大層、灯里さまを大事にされているご様子でしたが、あなたを見ても同じように思いました」
「……お恥ずかしい限りです。ですが、これから先も姫様をお守りしていくつもりです」
その時が来るまで……その時が来たら、どうなるのだろう。
どちらを考えても心が浮かなかったが、戻ってきた灯里様の足音に、広延殿はまた小さく口元を緩めていた。
「しつれーします」
障子に映る影で、灯里様が立ったままで頭を下げたのがわかったが、同時に頭を打つ音が聞こえた。
しかし、気にした様子もなく再び障子を開けてオレの隣に座った。
「ふたりでお話してたの?」
「ええ。灯里さま、もしよろしければ、お近づきの証として、私と文を交わして頂いてもよろしいですか?」
「……にぅ?」
判断がつかないのか、首をかしげてオレを見上げてきた灯里様にただ一言、お好きなようにと返すだけだった。
「でも、灯里、字かくのにがてぇ」
「構いません。たまにでよろしいのです。字など書くうちに慣れますし、あなたさまのご家族のことや、その時に会った楽しいことなど私に教えていただけませんか」
「ん~……わかったぁ。でも、灯里でいいの? じゅっとやにいさまの方がもっとたくさん知ってるし、字もきれいだよ?」
「灯里さまの兄上殿とは、私の妹が文を交わしております。私だけどうやら除け者なのですよ」
「そーなの? じゅっと知ってた?」
「え、まあ……除け者なのは分かりかねましたが」
「じゃあ、灯里がおてがみ出す! よろしく、おねがいしますっ」
「ありがとうございます。修行の間の楽しみができました。こちらこそ宜しくお願いいたします」
柔らかく笑みを浮かべ、緩やかに頭を下げていく広延殿にこちらも同じように静かに頭を下げた。
「では、長くと失礼いたしました」
「おにぃちゃん、またねぇ」
手を振り先に部屋を出た灯里様を追い、同じように部屋を出ようとしたところで、オレは立ち止まり振り返った。
「先ほどの申し出、ありがたくお受けさせていただきましたが……」
「なにか?」
「その、申し上げにくいのですが、灯里様に直接お出しにならないで頂いてもよろしいですか。失礼とは重々承知ですが」
「主殿が気になりますか?」
「……ええ」
「では、あなたと灯里さまお二人にお出しいたしましょう」
「ありがとうございます」
「ですが、お話が正式に伝わった後では、灯里さまのみに出させていただきますよ」
「もちろん、広延殿のお気持ちのままに」
「……気をつけて」
そっと吐息を零すように掛けられた言葉に、オレは静かに頭を下げた。
少し離れた場所で灯里様が呼ぶ声が聞こえた。
胸の奥に広がる不安な感覚に、気づかない振りをしたまま……
追いついた灯里様は不思議そうにしていたが、何も無かったように笑顔でオレと手を繋いでいた。
「ねえ、じゅっと」
「何でしょうか?」
小さな声で握る手にほんの少しだけ、力が込められていた。
歩きながら、そのわずかに強く握られた指先で同じように握り返す。
「じょーずにできてた?」
問いかけられた言葉に思わずまじまじと、見つめ返していた。
「ねえ……ちゃんと、できてた?」
返事が遅れたことに不安を覚えたのか、もう一度言われて、ようやく頷き返した。
「大丈夫ですよ。でなければ、あのように楽しいひと時は無かったでしょう」
実際、灯里様はこの道中で見聞きしたことを楽しそうに話していたし、広延殿のお話も伺う姿勢もあった。
「うんっ。あとでにいさまに、おしえてあげよーっと」
「大和に、ですか?」
「そーだよ。だって、ホントはにいさまが行くんだったんでしょ?」
きょとんと不思議そうな顔で見つめ返され、オレは驚くばかりだった。
「そうですね、きっと驚くと思いますよ」
揶揄でもなく、きっと本当に驚くだろうな。
灯里様を皐に逢わせた事に、多少機嫌悪くなるとしてもだ。
輝政殿との約束のためと思っていたが、まさか、大和の為とは……
「でも、おみやげの中、みれなかったの」
「……見たかったのですか?」
残念と呟く灯里様の姿は、ほんの一瞬前に見えた御剣の名を背負う者ではなかった。
「ちょっとだけー」
誤魔化すように笑った灯里様に、オレは中を答えた。
「なんで、じゅっと知ってるの?」
「頭領より念を押されましたから……」
「……?」
出立の間際、父上より灯里様のご同行が告げられたと同時に、大和から渡された荷物にもう一つ追加された荷物。
それが今回の皐への土産だった。
てっきり、本家へのご挨拶の品と思っての念の押しようだと思っていたが、実際は違った。
まあ、どちらにしても茶器だ。扱いには十分注意するように言付けられていた。
「そーだったんだ」
「ええ」
「えへへ……」
中身も知ることができ、満足そうに顔を赤らめていた。
「もっとがんばるね」
「それは楽しみですね。みなも同じ想いになるでしょう」




