咎の紋
すごい……そんな声すらも思わず忍んでしまうほどの前庭。
右側には小さな滝を抱える瑞々しい緑鮮やかな庭。左側にはしっとりとした風情をもつ巨石を抱えた枯山水。その中央を双方共に馴染ませるように、幅広く取られた砂利道に飛び石が敷かれていた。
奥には松や紅葉などに隠されるように、竹垣で仕切られ屋敷が見えた。
「おしろよりおっきぃ」
ほぅっと溜息を零した灯里様の顔を見れば、興奮しているらしく瞳が輝いて見えた。
しかし、陽環城より広いとは……流石だ。
「姫様に十斗。待たせたな」
笑い声を隠さずに輝政殿の声が後ろから聞こえ、前庭に見惚れていたオレたちは、幾ばくか弾かれたように振り返った。
「相も変わらず見事な庭だ。して、十斗……道はどうだった?」
「はい、予め大和と共に、輝政殿の屋敷に行っておらねば延々と迷わされておりました」
「そうかそうか、お主は父と違い、観察眼も中々あるようで安心した」
そう言って大きく笑う輝政殿に、浮かんだ疑問を問いかけようとしたが、その前に灯里様が頬を膨らませた。
「もう、こわかったんだよ! あのみち、きらい!」
「姫様にはやはり、あの道は早かったようですな。あの道は狐道と申してな、人を欺き、恐怖を呼び覚ます道……正しき道は狐の背にあり、怖いと思えば思うほど道は長く、狐は恐れを呼び覚ます顔となるのですよ」
「う……?」
灯里様の頭を撫でながら輝政殿が教えてくださったが、当人はきょとんとした瞳を向けて首を傾げていた。
「なに、十斗と一緒であれば怖くはなかったはず」
「ん~~? うん。こわかったけど、ずっと手にぎってくれてたよ」
はっきりと言われると、何だかこそばゆいな。
あんなに長い間迷ってたし、もう少し早く、気が付けばすぐに此処に辿り着けていたわけだし。
「輝政殿、失礼ながら大和とみちる殿は?」
一息ついて、ふと見回すが輝政殿と一緒にいたはずの二人の姿がなかった。
「二人は一足先に屋敷に居るよ。さて行くかの」
「おじーちゃん、こっちの手、ぎゅっていい?」
「おぉ、よろしいですかな」
そう言って灯里様は、自身の空いているもう片方の手で、輝政殿の手を握り、飛び石を飛び跳ねながら歩き始めた。
この姿をみちる殿が見たらきっと、渋面になっていることだろう。
屋敷の客間に通されはしたが、そこには大和の姿だけがなく、先に居たみちる殿が滝のある前庭を見ながら、くつろげる様に茶の用意をしていた。
「みちる殿、大和はどちらに?」
「彦様はお屋敷に着かれてから直ぐに、お呼びが掛られまして……」
「そうですか」
やはり相当な時間が経ってしまっていたのか……
ご当主様に会われる前に着替えさせるつもりだったが、間に合わなかったか。
「さあ、姫様はこちらに」
「はーい」
歩く旅ともあり、着物の裾や足元に汚れが付いてしまっている。
それを、ご当主に挨拶へ行く前に奇麗にする予定だったんだがな。
「十斗、お前の部屋はその向かいだ。大和の部屋はその隣に用意してくれた。まずは荷物を置いてきてはどうだ」
「はい、では失礼致します」
輝政殿に促され、部屋を移動すれば、こちらの部屋からは前庭は見えずとも、張り出している紅葉があり、秋にはとても奇麗に染まることが窺えた。
幾らか惜しいとも思ったが、緑の若々しく芽吹き始めた葉もまた力強さを感じるものがあった。
しかし、着いたならば、いつまでも見惚れるわけにもいかない。
荷物を解き、衣文掛けに大和の着物を引っ掛けしわを伸ばし、汚れが無いか仔細を確認する。
それが終われば、他の預かっていた荷物を確かめ、後で大和に渡せるようにしておく。
後は、屋敷の中を確認させてもらいたいが……流石に、誰も居ない中で動くのは礼を欠くな。
『十斗』
はっきりと呼ばれたその声に、オレは戸を開くが廊下には誰の姿もなかった。
姿がないが間違いなく、大和だけの声が聞こえてきていた。
この屋敷の中では普段持つべき識を持たない方が良いのか? などと思わず考えてしまった。
『ああ、ごめん。そこには居ないから……代わりに式紙が居るでしょ、ついて来て』
「いるが……大和、だよな?」
『妖でも狐でもないから安心して』
彷徨わせた視線の先。足元は尾の長い鳥の式紙がいて、小さな羽根を動かし移動し始めたので、オレも従い歩き始めた。
屋敷の中もまた広い。真直ぐに続く廊下に沿うように緑があり、中庭もまた、小さな池を持つ和庭。
その池の前に、鶯色の単着物を着た大和が、池に正面を向けて立っていた。
ただ、その後姿を見ただけで、背中を駆け抜けたものに、嫌な予感を感じていた。
「直ぐに着いたみたいでよかったよ。灯里は、大丈夫?」
「ああ、今は部屋でみちる殿たちとご一緒のはずだ。しかし、直ぐなのか? かなり時間が経っていたと思ったが」
「狐道はまやかしだもの、別れてから半刻も経ってないよ」
「そうなのか?」
含み笑いをしながらも微動だにせず、背を向けたまま池にいる鯉たちを眺めている大和に不安が増す。
「大丈夫? 声、上擦ってるけど」
「……気のせいだろ」
指摘されるまでもなく分かっていた。唾を飲み込み、調子を整えて言うが、笑う大和はやはり振り返らない。
「君が感じてる予感、合ってるよ」
「予感など……何を」
言葉だけの否定、けれどゆっくりと振り返られて、逆に気が落ち着いた自分が居た。
いつもの暗紅色の瞳ではなく、鮮血色の忌み色を湛えていた大和の姿に、不思議と強張っていた肩の力が抜けた。
「鏡を見なくても分かる。自分の瞳がどんな色なのか……深紅に染まってるんだよ、見える世界全てが」
ぽつりと哀しそうに呟いた大和に、掛けるべき言葉など浮かびはしなかった。
「同時に、気持ち悪いくらいに反する感情がぶつかり合って、それが余計に冷静でいられる。ねえ、十斗」
「…………」
まるで請うように紅い瞳を向けてきた大和に、なんと無しに続く言葉が浮かんでいた。
「本当に、平気なの?」
初めて忌み色を見た、あの山中からの帰り道に聞かれた言葉。
浮かんでいた言葉と同じ。オレはまた、しっかりとその紅い瞳を見つめていた。
「くどい。何があってもお前の傍にいる。それだけじゃ満足しないのか?」
「そりゃあ……ねぇ。だって僕たちは人間だもの……嘘を付く生き物だよ」
「なら、どうすれば信用する? オレは后守であると同時に、お前を友だと思っている。信じていて欲しいと思う相手を裏切るような真似はしたくない」
「齢を重ねれば、その思いが揺らぐ事もあるよ」
くすりと笑い口元に寄せた手。そこから微かに袖に隠れて見えたものにオレは思わずその手を取っていた。
「大和。この腕はどうした?」
思わず語気を強く問いかければ、一瞬にして機嫌を悪くしたように、掴んだ手を振り解かれた。
「関係ない」
「こんなもの、今まで無かっただろう。どうしたと聞いてるっ」
振り払うその声の低さがいつもの大和らしくないが、此処で引けるわけもない。
食い下がり、もう一度掴み上げ、今度はその袖位置をずらし目の前に晒し出した。
大和の左腕、ちょうど手首と肘の中間位置にあった紋様。
上下に互い違いに波打つ二つの線は、内側でぶつかりあい瞳のような形を模していた。
これは……
「何故、今のお前に咎の紋が刻まれている!」
出来うる限り声を抑えながらも、叫び睨みつけていた。
この紋様は咎人に刻まれるべきもの。どんな事があったとしても、大和に刻まれていてはいけないはずのもの。
「っ、ぃたい……放して……」
その苦しそうな声に、不承不承ながら力を緩めれば、大げさなまでに溜息を吐いて、再び振り解かれた。
「君と初めて逢った時から刻まれていたよ……何せ、僕は忌むべき色を身に宿す者なんだから」
「まさかっ……」
ずっと世話をしていて気が付かなかった等と言うことは無い。
この紋の刻まれている場所には、今まで何もなかった……
「大丈夫だよ、別に君の目がおかしいわけじゃない。これ、本当は荒神封じの紋様であり、咒なんだよ」
「荒神封じの咒……」
「そう、荒神の力が強くなればなるほど、この紋が色濃く浮かび上がる。この場所に反発して、僕の内側で荒神の力が暴れようとしてる。それをこの咒で押さえているんだ」
「……ちょっとまて、それはおかしくないか」
呟きながら眩暈がした。
「この聖域で荒神が暴れるなど、あるのか……魔を払うのがこの聖域所以だろう」
「妖のような低級なものならね……でも、よく考えて、神の力が増すのが聖域。荒神だって元を正せば……国創りの神だよ」
「そ、そうなのかも知れないが」
「神を善悪に分けたのは、人間だよ。十斗、もし封が破られたら……灯里を傷つける前に僕を止めてね」
そう呟かれた言葉は、何時もと変わらない、大和そのままの穏やかさだった。
こんな風に穏やかな時ほど、こいつはただ独りで覚悟を決めてしまう。
真摯に向けられる瞳の奥にある強い光を見て、初めて気付かされていた。
あの時と同じ……
他者へ壁を築き上げる言葉だとしても、オレには付いて来れるのかと問う言葉に聞こえる。
「お前が理性を失ったとしても、そんな事にはなるまい」
「……そこだけ自信持って言われるとは思わなかった」
「お前が灯里様を大事にしているのは、オレが一番知っているつもりだ。文句は聞かんからな」
「うん、ありがとう」
何時もの繕うような笑みではなく、安堵を窺い知ることが出来る笑み。
「そう言うわけで、十斗」
そして、続く言葉と浮かんだ笑みに、オレは安堵を憶えるよりも先に、冷や汗を感じた。
何かを思いついた邪気のある笑み……あぁ、端から見れば、こちらの方が無邪気に笑っていると見えるだろう。
だが、ワザとらしく細められた瞳と、持ち上げられた口角が、先程とは違う嫌な予感を窺わせた。
「変なところで勘がよくて助かるよ」
「な、何をする気だ……?」
「そう脅えなくてもいいじゃない。大丈夫だよ……多分」
「おい、多分って何だ! 大体何をさせる気だっ」
最後に微かに付け加えられた言葉を投げ返すと、大和は小首を傾げた。
「何も……僕は、何も知らないもの」
ふっと浮かべた嫌な笑みと、向けられた紅く輝く瞳と共に、影が空を覆った。




