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霜月への道(7)解道

 帯に挟んでいた懐刀を取り零し、砂利道に落ちた乾いた音に、ぐらりと感覚が回った。

 平衡感覚の全てが一瞬のうちに無になり、身体から力というものの全てが抜けていく感覚。

 腹の奥に駆け巡る不快感だけを異様に強く感じて、自然と呼吸が浅くなり、得も云えぬ吐き気に見舞われた。

 自分が今どうなっているのかも分からないまま、落ちそうな意識を留めるために、己の腕に思いっ切り噛み付いた。

「――――くっ!」

 痛みで戻ってきた感覚と、耳元でずっと泣き続けていた声。

 しかと片腕で抱えている重さと共に、オレは倒れていたわけでもなく立っていた。

「一体、いつまで、相手をせねばならぬのですか……」

 跳ねる声のまま、一つ一つの音をゆっくりと、目の前の狐色の着物の女へと向けた。

 何も変わらぬ能面顔と思っていたが、狐のように細められていた眼が再び、僅かにだが驚いたように開いた。

 その瞳は様々な色を重ねて作り上げた混沌とした黒。先ほどの空虚な黒とは違い、風が吹きぬけ竹林の光加減が変わるのと同じように、様々な色を含んでいた。

【ぬしらは此処を通りたいのかえ】

 喋った……のか?

 赤く薄い口元は依然、弧を描いたまま動いていない。なのに、しゃがれた低い老婆の声が、微かに聞こえてきた。

「オレは后守十斗と申します。主の命により、先んじて参上致しました」

【ぬしらは此処を通りたいのかえ】

「……ですから」

【ぬしらは此処を通りたいのかえ】

 変わらない律動のまま、問い重ねられ、考えた。

 音を出さず沈黙すれば、声も聞こえなくなった。

 声も聞こえなくなればまた、能面顔に戻る。

 これは……厄介すぎる門番というところか。

 霜月本家へ辿り着くにはまず、此処を通らなければならない。人を拒む聖域としても、既に此処は霜月の前庭……家に用のある人間に対して、全てがこうあるのなら……恐ろしいな。

 僅かに浮かんだ下らない事に、自分自身で溜息を吐き、肩から力が抜けた。

 ものは試しという言葉もある。通るためにまず試してみるべきだな。

「灯里様……」

 延々と泣き続けていたせいで、しゃくり上げるだけになっていた灯里様の背を叩き、注意を引くと頭を激しく横に振り拒絶を示した。

「灯里様、オレも怖いですか?」

 もう一度注意を向け、訊ねれば、今度も激しく頭を横に振った。

「なら、お顔を上げてください」

 しゃくり上げながら、ぎゅっと強く握り締められていた手が一度だけ更に強く握り締め、ゆっくりと顔を上げてきた。

 頬を微かにくすぐる髪を撫でつけ、抱いたまま顔を見れば泣き腫らして真っ赤になっていた。

「な、に……?」

「いえ、一つ困った事に気が付いたのですが、よろしいですか?」

 宥める手を止めず、真直ぐに向けられる菫色の瞳を見つめ返して、力を抜いて笑いかけた。

「灯里様が泣かれたままですと、この道を通ることが出来ず、大和たちに逢えないのです」

「ふぇ……な、なんで?」

「怖くてこの道を通りたくない。帰りたいとずっと思っていませんでしたか?」

 自分を棚上げしている事はあえて触れずに、尋ねた。

「なんで、わかったの?」

 ひくひくと、肩を震わせたまま見上げた瞳に、不思議そうな色が宿っていた。

 そして、女は無表情のまま、こちらを見ることも無くただ前を向いている。

 やっぱり、そういう事か。

 人を拒むという言葉自体に、囚われすぎていた。

 霜月は咒を得意とする家系。

 単純にそう考えればよかったのだ……

「大和たちに逢いたいですか?」

 声を出せば女がちらりと、混沌とした黒い瞳をこちらに目を向けてきた。

 それを確かめながら、灯里様に尋ねれば、自分の着物の袖で顔を何度も拭い、声を出そうと深呼吸を繰り返すのが分かった。

「ぅん。にーしゃまにあいたい……でもぉ」

 泣きすぎて、上手く回らない舌のまま一度は頷いたが、明らかに後ろを気にしているように言葉を濁していた。

「大丈夫ですよ」

 そう言いながらゆっくりと灯里様を地面に降ろし、そのままオレも目線を合わせるように両膝を突いた。

 砂利の感触に感覚が狂わされていないことを確かめながら、ふくらとした手と、ちょうど握手するように握り、ゆるく振った。

「こうしてオレの手をしっかり握っていて下さい。そして、大和たちに逢いたいとだけ考えて前を見てください」

「う~……抱っこ、ダメなの?」

 怖がっているのか、それとも恥ずかしがっているのか、もじもじと俯いたまま空いた手で袖口を掴み訊ねてきたが、オレはその手を放し、改めて小さな両手を包み直した。

「常々言うなと大和から言われておりましたが……“甘えてばかりで赤子とそう変わらないよね”と、仰っていましたよ」

「むぅっ! 灯里、赤ちゃんじゃないもん! だいじょうぶだもん!」

 視線を明後日へと向けて、あくまで軽く言う。

 この処、こう云われたりすると反抗心と言うのか、むきになって目の前のものに集中してくれる。

 泣いていた赤さとは違う朱色で頬を染め、膨らました灯里様に内心侘びを入れれば、灯里様は眉をきりっと立てて女を睨みつけていた。

 それを機に、能面顔の女はこちらへ顔を向け、先ほどと同じように、唇一つも動かさずに問いかけてきた。

【ぬしらは此処を通りたいのかえ】

「いいや、オレたちは……」

 最初から通り抜けるための、答えはすぐ傍にあった。

 緩く首を振り、思わず浮かんだ苦笑いを隠して、オレたちは互いに手を握りながらただ前を見据えた。

「にいさまたちにあうのっ!」

「主たちの前に赴くだけ」

 全身全霊の灯里様の叫び声にかき消されたまま、オレ自身の向かうべき先を告げた。

【綾之峰の子よ、(あかつき)の子よ……通るが良い】

 遠くに、響くように消えていく老婆の声を、更に掻き消すように風が吹きぬけ、強い音を立てて葉がさざめき立てたと思えば再び景色が変わっていた。

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