霜月への道(6)偽り道
灯里様は両手でオレの左手を取り、ビクビクと後ろを時折振り返りながら歩いていた。
何度、声をかけ気にするなと伝えても、だってと首を振ってしまっていた。
よほど怖い相貌なのかと興味すら覚えてしまうが、まずはお屋敷に辿り着かねばなるまい。
しかし、辿り着くと言っても咒が掛けられているのなら、どう辿りつくべきか……
――妖避けの咒なんてどうでも良くなるほど、聖域は人を拒む。
ふと思い出した大和の言葉。分家に初めて行った時に呟いてた言葉。
つまり、そういう事なのか……?
半ば疑念を持ったまま、オレは歩みを止め後ろを振り返った。
広がる竹林に流れる風は変わらず穏やか。しかしながら、せせら笑うように冷たく感じる。
「じゅっと……?」
立ち止まり振り返ったまま動かなかったオレに、灯里様が不安げに手を握り締め、足元へ擦り寄ってきた。
「なるほど、こう云うことか」
しっかりと今まで歩いていた道に背を向け、目の前に新たに広がっていたものに、自然と力が篭っていた。
静かに広がる竹林。その竹林を隔てる苔むした石垣はオレの頭より一つ半ほど低く、緩やかな上り坂へと続いていた。
そしてその上り坂への手前、ちょうど石垣が途切れるその場所に、くすんだ狐色の着物を着た、能面のように生きた気配を感じられない女が立っていた。
恐らく、その女がずっと灯里様が仰っていた“怖い女の人”なのだろう。
無機質なまでに指先一つとも動かさず、風にすら腰にまで届きそうな黒髪一房も舞わない異質な者。
「灯里様、先ほどから仰られていたのは、あちらの方でしょうか?」
「みえるの……? じゅっと、みえるの?」
手を握り返し、問いかければ驚いてオレの前に回ってきた。
「あの狐色の着物の方が、先ほどから仰られていた方でしょうか?」
「うん……」
もう一度問い直せば、またピタリと陰に隠れるように捉ってきた。
「あのひと、こあい……」
「どう怖いと思いになられるのですか?」
確かにあの異質さは、幼い灯里様には怖く感じるだろう。けれど、告げられた言葉にオレは返す言葉を一瞬失った。
「だって、おかおのはんぶんが赤いんだもんっ」
そこまで叫ぶように言った後、緊張の糸が切れたように大泣きし始めてしまった。
けれど、そんな筈はない。
今も動かずに立つ女の表情は何一つ変わらず、蒼白さを窺うことは出来るが、赤くなど染まってはない。
オレと見ているものが違う? いや、そんな筈は……
他を見回しても、オレ達の視界に映る女は、その人、ただ一人。
「――――ッ!」
目を向け直そうとしたその瞬間、遠くにいたはずの女が、目の前で歪な笑みを浮かべ、泣きじゃくる灯里様の顔を覗き込んでいた。
咄嗟に、距離を取ろうと体を離そうとしたが、足が竦んだかのように動かなかった。
転ぶまでは行かないにしても、灯里様の視界を遮るように崩れた体制のまま自分の羽織の袖で隠し、女を睨んだ。
しかし、女はこちらへは意にも介さず、口元を歪め、声なき声のまま、覗き込む形のまま笑っていた。
上半身を揺らし笑っているのに、組んだ手から下は、先ほどと変わらず動かない奇妙さ。
人を拒むにしても、悪趣味が過ぎる。
灯里様を抱き抱え、女の視界からも隠すように立ち上がり見下ろせば、女は螺子が切れたようにまた能面に戻った。
……何なんだ、此処は。
輝政殿や大和には申し訳ないが、本当に帰りたい……
苛立ちよりも何よりも、奇怪さに気分が悪くなる。
変わらず泣き続ける灯里様を宥めつつ、少しずつ女との距離を取れば、空虚な黒い瞳から順にゆっくりと追いかけてきた。
やばい、本当に気持悪い。
互いに離せない視線。向けられる、奇異さが鳩尾に溜まる嫌な感覚。
妖や荒神を相手取ったときとは違う、完全に異質としか言いようのない空気。
五感が狂わされ、まともな思考の元に動いているのかも、分からない。
耳元で、大きく泣いているはずの灯里様の声も聞こえない。
しっかりと抱いているのか。護れているのか?
そんな疑問が浮かんだ瞬間、女がまた笑った。
狐のように細められた瞳と共に赤く薄い唇が弧を描く。まて、先はそんな気になるほどの赤みがあったか?
ひたりと、頬に冷たく細長い指先が触れ、ゆっくりとなぞる様に降りてきた。
……まて、まてまてっ。
ありえないことに、背筋を冷たいものが駆け抜け身を震わせた。
どう云う事だ……
瞬きの間の変化は、酷く不愉快で奇怪なものだった。
あれほど怖いと云っていたはずなのに、灯里様が泣きじゃくり、しがみ付く相手はその女。
何故、そこにいるっ。
何故、そこで泣いている。
なら、此処にいるのは何だ。
此処に、居るのは……
ほんの僅かな混乱だったとは思うが、それでも長く感じるのはやはり、感覚が狂わされているせいなのか。
恐る恐ると先の女のように、合わせたままの瞳からゆっくり、壊れた玩具のように振り返れば、抜けた力と共に情けない声が自分の口元から零れていた。
けど、それ以上に、何も、身動きが取れなくなっていた。
自分の後ろに立つ者の姿も見えぬまま、姿も見れない誰かの指先が伸びて来た。オレの頬を再び二度撫ぜ、動かせた視界、ほんの微かに端に映った短い黒髪に、ただ困惑した。
「あ――――」
恐怖を感じたまま、音にもならなかった声。恐怖を振り切りたくて、懐に収めてある物を、振りかざすよりも先に、震えていた手の甲に思い切り当った。




