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霜月への道(3)影追い

 裏口へ走れば、ブラド殿に言われた通り二つの黒い影が、入り口の中へと滑り込もうとしていた。

 ぐっと身を低くし、地面を爪先だけで後ろに流すように走り、加速する。

「誰か来たッ」

 見張りをしていたのは女なのか、少し高い声でもう一人の背中を中へと押しやり、立ち塞がるように勝手口を背にした。

 躊躇いも戸惑いも互いにあるわけも無く、オレは手にしていた木刀を構え、対する顔を隠した女も幅の広い短刀を抜き身に構えた。

 一分の隙もない構えに、無傷で押し通るのは無理と覚悟を決め、最後の間合い詰めで、地面を前へと蹴った。

 互いに声も無く得物を鋭く振るった。オレは横薙ぎに腕を狙い、女は心臓を狙ったのか、鋭く前へと突き出してきた。

「――――っ!」

「コドモっ!」

 右肩に走った熱い感覚を唇を噛み締め堪え、女がひるんだ一瞬に追撃を加えた。

 しかし、そう簡単にはいかないらしい。

 短刀から手を放すとそのまま防御へ転じられ、追撃を流されたが、女は予想外の相手にどう対応するべきか考えあぐねたらしく、攻撃に転じることがなかった。

 ならばと隙を見て中へ飛び込もうとしても、出入り口を背に回りこみ進路を遮られる。

「冗談ッ、コドモなんて聞いてないしっ」

 少しクセのあるぼやきを聞き流し、踏み込む為にもう一度攻撃を仕掛けた。

 これで通らなければ、次の策を考えねば。

 一足飛びで後ろに距離を開き、左手に触れた宿の物を投げつけた。

 女は投げつけられたものを手で難なく弾き落したが、次の瞬間には、突き込ませた木刀の柄に、息を詰まらせたように前屈みに崩れ落ちた。

 小さく呻き、膝を落とした女の脇をすり抜け、宿の中に飛び込んだ。

 もう一人の影は何処にも無く、オレは後先も考えずに二階へと駆け上っていた。

 明かりも無い、暗い廊下を照らすのは頼り気無い月明かりだけ。

 先に入った人影も見当たらず、とりたて不審な物音も聞こえなかった。

 もしや、部屋を知っていたのか。有りえない事ではないだろう……あれだけの人数を集めることが出来るのであれば、元からいくつかの宿に人を割けば良いだけ。

 周囲を見回しても誰かがいる気配も無い。それとも読み取れていないだけか……

 可能性は捨ては置けず、足音を忍ばせ、部屋へ戻るように奥へと廊下を歩く。

 突き当たりの一室。その戸の前で一度立ち止まり、辺りを窺うように後ろ手で戸を開き中へと入り静かに閉めた。

 そして、音を立てぬように窓障子を開きその外へ出た。

 冷たい風に傷が触れるたびに声を押し殺し、数秒ほど待つと、戸が開かれた音が聞こえた。

 部屋を知っていたわけではなく、オレの後を付いて来ていたのか……

「クソッ!」

 ドカドカと足音を殺すことも無く、男が苛立ち開いた窓に近づいてきた。

「消えやがったッ」

 オレの姿を探しに来たのだろう、手摺(てすり)に浅黒く太い腕が掛かり忌々しげに吐き捨てていたその言葉。端々に聞きなれない音が混じり、蘇叉の人間では無いだけが分かったが、誰が何の目的でこの宿を襲撃して来たのか分からない。

 本当に、あの男達の仲間だとしたら……思わず入った力のせいか、男が身を乗り出そうと僅かに頭が窓から見えたとき、その腕に赤い雫が数滴落ちていった。

「血……?」

 不可解そうに呟き上を覗き込もうとした一瞬には、オレは勢いをつけて男の顔面に飛び降りていた。

「……!」

 悲鳴を上げるよりも必死に落下を逃れるように腕を突き出し、手摺の土台を掴んだのか、男の身体がガクンッと大きく揺れて、一階の屋根の上で留まった。

「何を遊んでるの君は?」

 まさしく、忽然と沸いた冷たい声にオレは驚き、室内へと視線を向けた。

 部屋で灯里様と共に休んでいるはずの大和が、その身を影に潜め、鮮血の瞳で問いかけてきた。

「起きていたのか……?」

「そりゃ、あれだけ騒がしければね。最も、あの子は熟睡中だけど」

 少しばかり含んだ笑いを浮かべたであろう大和は、その場から動かず、まるで、男がどの位置にいるのか分かっているように眸を動かした。

「クソッ、違う場所か。なら、何処だ……」

 明らかに腕に力を込め、移動しながら、よじ登ろうとしていた。

「君を乗り越えた瞬間、僕は容赦しないよ」

「分かっている」

 どちらに向けられた言葉ではなく、オレと侵入者に対して向けられた言葉。

 闇に沈む大和の気配に、知らず知らずのうちに、冷たいものが背中を駆け抜けていた。

 最も、大和に手を出させる暇は与えない。

「くっ」

 屋根の上に立ち、オレは突き立ったままの幅広の短刀を、肩から引き抜き構えた。

 当然のように、右肩からは血が多分に流れ、構えた左腕が異様に震え、眩暈を覚えたが、後ろに立つ殺気といっても差し支えぬ大和の気配に支えられるように、這い上がる男を見据えた。

 しかし、男もオレが短刀を抜いた時点で、何を狙っているのか気が付いたようで、自らその手を放し地面へと滑るように降り立った。

 追うべきか、追わざるべきか。

 逡巡するよりも先に、軽く肩を竦めたような溜め息が消えると同時に、大和が踵を返したらしい僅かな衣擦れの音が聞こえた。

 後は任せたと背中で語り、悠然とその身を部屋から消した大和と入れ違いに、砂利を踏みしめる音があった。

「よし、お前で最後だな?」

 わざととも取れるよな、逃げる男の前から野太い声を掛けると、取り逃がした男が僅かに後退ったのが見えた。

 翳った月のせいで、建物の影に沈んでいた大柄な影が二対、一層深い闇に溶けた途端に、鈍い音が二続きあった。

 終わったのか……?

 そう過ぎった瞬間、身体から力が抜け景色が斜めに流れていった。

「おいっ! とっ、とと! セーフセーフ」

 全身に走った衝撃に相まって、右肩に再び焼け付くような痛みが走り、苦痛の声を上げた。

「あぁ、ヒデェな……」

 オレの傷に釣られるように、ブラド殿が顔をしかめて呟いた。

「だ、大丈夫です。この程度なら……」

「バーカ、こういう傷でも舐めてるとヒドイ目にあうんだって」

 微かに肩を竦めたブラド殿は、先ほどまで共にいた裏庭にオレを抱えたまま戻り、井戸の側でオレを下ろした。

 受けた傷口を露にすると井戸の水で血を洗い流し、傷口に太い指先をあてがった。

「申し訳ありません」

「毒はないみたいだな。んじゃ、いつもので良いか」

 どこか一安心というように呟いたブラド殿は、何処からか取り出したのか、鉄製の薄い水筒のようなものを取り出した。

「我慢しろよ」

 それだけを言い中身をひっくり返し、傷口の上に流し込んだ。

「――――――――っ!」

「お、よく我慢したな。偉い偉い」

 子供をあやすように頭を軽く撫でられたが、違う。

 あまりの痛みで声が出なかっただけで、思い切り閉じた瞼の裏が濡れたのも感じた。

 必死に声を抑えている間に、手早く包帯が巻かれ、最後に大きな掌が傷口の上にふれた。

「サニーギッ」

 触れられていた手の先から暖かな風が傷口を撫ぜ、痛みが引いたのに気が付き顔を上げた。

「丁度打ち止めか。良かったな、十斗」

 そう言ったブラド殿のもう片方の手の中には、色を失った魔魂石があった。

 便利なものだと頭の片隅で思い、少しばかり肩の具合を確かめた。

「それにしても、あの連中は一体なんだったんだ?」

 明らかにオレに問いかけていた。しかし、どう答えればいいものか。

 ブラド殿の瞳は些かの好奇心を伴って、真っ直ぐに向けられた。

「適当に調達したハンターって訳でもないぞ、ありゃよ」

「彼らの目的はわかりません。ただ、オレには護らなければならない方がいる……分かるのはそれだけです」

 その答えに、彼は少し目を丸くして軽く肩を竦めた。

「まあ、ただの偶然ってのもあるだろうしな。たまたま、お前さんのいう人以外が目的で、同じ宿になっていたって事もあるわけだし」

「…………」

 ブラド殿はそれ以上追及する気はないのか、大げさに両手で膝を打ち鳴らし、立ち上がった。

「明日早いんだろ? “こういうのも縁だ”とか言って用心棒がてらに稼ぐのもいいかと思ったがなぁ。やめておくか。立ち入られたくない事情を抱えてるみたいだしな」

「申し訳ございません……」

「いいさ。最初に言ったとおり、宿がなくなるのが困るってのもあったしな。ゆっくり寝ろよ」

 差し伸べられた腕を掴み、立ち上がると褒めたように頭の上でブラド殿の掌が跳ねた。

 こういう子供扱いを受けることがあまりなく、返答に窮してしまった。

「あ、そうだ。モノのついでに聞いてみていいか?」

 思い出したように呟き、手を放したブラド殿にオレは一つ頷いた。

「この国って、何処でも神様を祀ってたりするモンなのか?」

「そうですね。土地神様を祀られている処もありますから、大陸の方にはそうお見えになるでしょう」

「どうりで、何処もかしこも祠があるわけか。蘇叉が出来てから一番古い祠とかの話とか知らないか? もしくは、そういう古い文献みたいなのを調べられる場所ってないか?」

「ブラド殿は、学者か何かなのですか?」

 見た目にそぐわぬ質問に、思わず問い直し、慌てて手を横に振る羽目にはなったが。

「あ、いえ。別に他意はなく」

「構わんさ、まあこっちじゃハンターなんて言っても、旅行者とあんまり変わらないみたいだしな」

 笑いながら言うブラド殿に、既に何度かオレと同じような質問を、他からもされたのだろうと推測を立てた。

「平たく言えばお宝探しの旅さ。蘇叉はバラストとかと違って、多神教って聞いたからな、まあ、それに付随するようなお宝の話を拾い集めてるのさ」

「なるほど、では京寺至(きょうじし)に向かわれては如何でしょう? 西の土地には蘇叉古来からの文献が数多く眠ると云います。此処からならば一度、都に行き船を利用してください」

「おうおう、って何で? あの山を越えりゃ直ぐじゃないのか?」

 月の明かりに仄かに影をなす天嶮(てんけん)、蓬莱山を見やりブラド殿が不思議そうに呟く。

「あの山は険しいだけではなく、我々にとっては神の山とも呼べる土地で、人の出入りを禁じております。それ故、西に行くには都から出る定期船を利用するんですよ」

「なるほどなぁ。その逸話探しも面白そうだな。いい話が聞けたよ」

「いえ、この程度のことであれば。ブラド殿にはすっかり世話になってしまいましたし……」

「気にすんなって、まあいつか会ったら、そん時にでも礼をしてもらえればいいさ。俺の手伝いとかな」

 大きく口を開けて笑う姿に、自然と釣られてしまう。

「その時は出来うる限り尽力いたします」

「よし、んじゃあ約束したぞ」

「はい」

 頷きもう一度、深く礼を述べた後には、ブラド殿は軽い足取りで宿の中へと戻っていった。

 オレも部屋に戻れば、既に灯里様を抱えて深く眠っている大和の姿があった。

 しかし、いつまでたっても慣れない。

 あどけない寝顔を惜しげもなく晒して寝入る今の姿と、先ほどに見せた底冷えのする姿。

 どちらが本当かと問われれば、共に偽りなどないことも事実であり、決して口外することもなく……ましてや、灯里様には見せられぬ姿。

 先を考えれば暗澹とした物事しか思いつかない。

 出来るだけ厭な方向へと思考が落ちぬように、静かに二人の布団を掛けなおした。


 願わくば、このまま――――

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