手折り花
いつもの我儘とは違う、灯里様の叫び声に正直、驚いた。
しかし、驚いたままでいるわけにも行かずに走り、灯里様の小さな背中を追った。
「灯里様、お待ちください!」
手を伸ばせば届くだろうという距離に、すぐに縮まりはするが、怪我をさせる訳にはいかず、手を伸ばすのに躊躇してしまっていた。
「十斗、止まって」
建物の影から聞こえた声に反射的に足を止めると、灯里様は、その影から進路を塞ぐようにして立っていた大和に体当たりをするようにして止まった。
「ふわっ」
「っ……」
その瞬間の衝撃に、大和が灯里様共々後ろに尻餅をつく形で倒れたが、灯里様の頭を守るように抱いていたのは流石というべきか。
「灯里、怪我してない?」
「…………」
心配そうにして顔を覗き込む大和に、灯里様は頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。
「じゅっとも、みちるもキライ!」
更に頬を赤く膨らませ、花をしっかりと抱きかかえ直していた。
「紀代隆、後はごめん。灯里、僕の部屋に行こう」
「……うん。にいさま、ごめんなさい」
大和の提案に灯里様は頷き、立ち上がると大和の手を取って、一緒に部屋へと向かって行ったが、その途中で、大和から棘が含まれた冷たい視線を貰ったのは言うまでもない。
そして、オレは困ったような表情を浮かべていた師の前に立った。
「それで、一体何があったと言うんだ」
二人の姿が見えなくなってから、師の問いにオレは経緯を話したが、何故に灯里様が機嫌を損ねたのかまでは、分からなかった。
しかし、師には思い当たる節があったのか、小さく「なるほど」と納得したように頷いて、みちる殿と一緒にご当主の下へ行くと行ってしまった。
状況も良く分からないままだったが、大和の部屋の前で声を掛けた。
「入ってきていいよ」
思いのほかあっさりと入室の許可が下り、オレは中へ入った。
灯里様の様子を伺おうと思ったが、奥の部屋にいるらしく大和が苦く笑って首を振った。
「少しそっとして置いて。それで、紀代隆は?」
「今、みちる殿とご一緒に、お館様にお会いに行かれました」
「そう……ならいいかな」
軽く肩を落として見せた大和は静かに立ち上がり、オレの目の前で座り直し、真っ直ぐに目を合わせてきた。
いつもと変わらぬ暗紅色の瞳に、内心でほっと胸を撫で下ろしたが、直ぐに両手が伸びてきてオレの両頬をつねり上げた。
「怒ってないわけじゃないよ。理由が如何であれ、灯里を泣かせてこの位で済んでるってことくらいは覚えてて」
そう言って綺麗に笑うと、思い切り指先に力を入れてから勢い良く引っ張り放した。
「いてっ――」
最後にはつい口をつくが、確かに大和の言葉通りだと思っていた。
全くの他人が、何かの拍子で灯里様を泣かせたり傷つけたりとしたら、恐らく、その相手は日の目を見ることは出来ないだろうな。
「それで、何か言い訳はある?」
「いや。灯里様を怒らせてしまったのは事実だ……正直言って、理由は分からないがな」
師に思い当たる節があるのならと、オレも考えたが、結局浮かぶものがなかった。
なら、分からない事に対して、適当に言葉を並べて取り繕うより、率直に言ってしまった方が良い。
「そうだよね。まあ、今までしたことなかったから、僕も驚きはしたけど」
「毎日ご自身で水をあげていた花を何故、蕾も手折ってしまったんだ。今まで、一度もそのような事はなされた事も無かったのに」
大和も師と同じく、灯里様の行為に思い当たる節があるのか、困ったように笑うだけだった。
「本当に分からない? 別に花も蕾も悪戯でしたわけじゃないし、君の方が、僕より思い当たると思うはずなんだけど」
「そう言われても、あの花は椛様の墓前に……」
そこまで言いかけてようやくオレも理解した。
悪戯ではなく、純粋に灯里様の気持ちが込められた。
「確かに問うにはきつく、軽率ではあった……だが、いつもよりも早すぎるだろう」
「多分、誰かから聞いた“開ききった花”より“閉じている方が良い”って言うのを蕾と思ったんだよ」
「なるほど。それなら今の時分に手折るのも分かる気がするが、日を向かえる前に傷んでしまうな」
「だから今から行こうって話してたんだよ」
それから、大和は灯里様のいる部屋に入ったので、オレは先ほどの件を謝ったが灯里様は戸の影に隠れたままだった。
「十斗、紀代隆にも声を掛けておいて。彼も一緒なら父上も許してくれるだろうから」
「承知いたしました」
確かに師も一緒なら、オレ達だけより、許しも得やすいかもしれない。
師の部屋を訪ね、用向きを伝えれば、了承の言葉は即座に返って来た。
あとはお館様の返事次第だが、二人の外出の準備のため、一足先に玄関へと回り、はたはたを置いて来てしまっていた事を思い出した。
灯里様の部屋の前で、きちんと座って待っていたはたはたは、オレに気が付いたように一つ吠えて走り寄って来た。
はたはたを連れて、大和と灯里様の二人が揃って玄関まで来たが、やはり先ほどの件が尾を引いているのか、一瞬灯里様と目が合ったが、ふいっとそっぽを向いてしまった。
「ついに嫌われたようだね」
笑って言う大和にオレは言葉も返せず、渡された花を持った。
例の手折られた花を、みちる殿が包んでくれたと、そっと教えてくれた。
椛様は御剣縁の墓にあり、見晴らしのよい場所にある。
屋敷を出てから半刻ほど歩き、吉妙寺の朱塗りの小さな建物が見えてきた。
そして墓苑は更に奥にあり、師に花を渡して二人と共に先に進んでもらい、オレは水を汲んでから三人の後を追った。
追いつくと灯里様は、満面の笑みを浮かべて師から渡された花を手にして地面へ置いた。
墓には供養花を活けるための細い花瓶を設けてあり、灯里様はその花瓶に溜まっていた雨水を捨てて、此方を振り返った。
「十斗、貸して」
「重いぞ」
少しばかり多めに入れた水桶を大和に手渡せば、灯里様が取りやすいように向け直し、灯里様は嬉しそうに柄杓で水を掬い、花瓶の中に水を注ぎいれていた。
何時もなら花を添えるのが灯里様の役目なのだが、師に伺いを立てれば、これからは自分でやりたいと申し出たそうだ。
「零さないでね」
「だいじょーぶだよ」
鼻息も荒くという具合に、目を輝かせて一人で花を活けると、今度は慎重に花瓶を戻していた。
そして大和が墓石に水を掛けている間に、線香を用意して灯里様に手渡す。
慣れてきたらしく、きちんと火から一番遠い場所を握り、ゆっくりと供えると静かに手を合わせて目を閉じていた。
「何を報告してるのか、やけに熱心だよね」
「そうだな」
たっぷりと時間をかけて灯里様が顔を上げると、大和に前を譲り、はたはたと共にしゃがみ込んでいた。
「ねえ、きよ。ちゃんとできてたかな?」
「勿論ですよ。お父上様とまたいらっしゃる時には、きっと驚かれますよ」
「ほんと! また、あいたいなぁ」
はたはたを撫でながら呟いた言葉に、師は少しだけ驚いた目を向けたが、直ぐに優しく笑っていた。
「夢の中でお会いされたのでしょうね」
オレの言葉に師も頷いていた。
そして、灯里様が熱心だったのに対して、大和はあっさりと顔を上げ、少しだけ困ったような表情を見せた。
「そんな顔をするな、椛様は血に拘らず温かく人を迎えてくれるお方だった」
「うん……会えず、一言も言葉を交わせなかったことだけが、残念だと思うよ……」
椛様が亡くなられた後に御剣に入ってきた大和にとって、母と呼ぶこともなく、別れてしまった灯里様の母親だったお方という具合なのだろう。
近いわけでもなく、かといって遠い距離を感じることも出来ない、他人のような存在……なのかもしれないな。
大和に場を譲られ、手を合わせる。
報告したい事が沢山あったが、やはり、椛様と交わした約束を守れなかった事を謝り、それでも、大和と共に守っていきたいと新たに誓いを立てた。
顔をあげて師に最後の場を譲り渡すと、大和がそっと声を掛けてきた。
「十斗にとっては、どんな人だったの? その、椛様は……」
「オレにとっては母上が仕えていた主という感覚よりも、母上の友人であり二人目の母とも、姉と思える優しいお方だった。それと、良くオレの我侭も聞いてもらっていた」
まあその分、母上を困らせ、怒られもしたんだがな。
最後までは言わず、裡に押し留めて大和を見ると、意外だと言わんばかりの目を向けてきた。
「ねえ、どんな我侭言ってたの?」
「教えるか。それに、大したことじゃない。紀代隆様、片してまいりますね」
明らかに目を輝かせた大和に、オレは逃げるように水を持ち先を歩き始めた。
それでも、大和は諦めるわけも無く着いてきた。
「何だよそれ。大した事じゃないなら教えてくれても良いじゃない」
「お前に教えたら、しばらく言われそうだからな」
「そんなの当たり前じゃない」
「おい……」
さも当然のように言ってきた大和は、何かを思いついたかのように、後ろから追いついてきた灯里様に声をかけていた。
「灯里は何か知ってる?」
「にいさま、なぁに?」
いきなり話しを振られて、瞳をぱちくりとさせてから小首を傾げていた。
「十斗の秘密」
「なにそれ? 灯里もききたーい!」
「ほら、十斗。灯里も知りたいって。紀代隆も何か知ってるなら教えてよ」
矛先が、まさか師にまで向けられるとは思わなかった。
だが、師は先程と変わらない笑みのまま言葉を濁してくれた。
「残念ながら、其の当時は共にお役目を承る前の、稽古相手同士でしたからね」
「なんだ、つまんないの」
灯里様と口を揃えて言う大和に、思わず声を出して笑ってしまった。
「ご要望とあらば、今度口を割らせておきましょう」
「あ、それいいね」
「紀代隆様! それはご容赦してください……」
「じゃあ、灯里にはこんどおしえてー」
「灯里様までっ」
どうやら、この場にオレの味方になってくれる人は居なかったようだ。




