夜話
はたはたを連れたまま、最初に向かった場所は大和の部屋だった。
戸を叩き許しの声を待つが返ってくる事はなく、一声、改めかけて戸を開いた。
「大和?」
開かれた戸の奥にある寝所の行灯は点いたまま。オレは寝ているはたはたを下ろし、静かに奥の寝所へと入った。
敷かれた布団は触れてもいないことだけが示され、半開きになっていた雨戸からは、微かに月の光と屋敷の灯りが差し込んできていた。
窓越しに中庭と離れの戸が僅かに見え、その傍に灯された松明が怯えるように揺らめいて見えた。
「……まさか、な」
幾ら大和といえど、今時分に灯里様の部屋を訪れているわけは無い……よな。
昼の件でお館様にお会いしているんだろう。
オレはそう結論付けて、一度自分の部屋にはたはたを寝かせ、離れへと向かった。
離れの下足箱の前で、中へ声を掛けるとすぐにみちる殿が姿を現した。
「后守殿、このようなお時間に、何用でございましょうか?」
「はたはたの件で、灯里様とかえ殿にご報告をと思いまして。かえ殿は居られますでしょうか?」
「左様でございましたか。灯里様と共に今はご入浴中にあらせられます。ご用件はわたくしがお受けいたします」
「では、よろしくお願いいたします」
オレははたはたの様子だけみちる殿に伝え、深く一礼を交わした。
そんな折……というのか、一瞬だけ奥から何かがぶつかる様な音が聞こえた。
「今、何か物音が致しませんでしたか?」
「……あら、わたくしとした事が。片付けの途中でございました。それでは、こちらにて失礼致します」
小さく頭を下げ、忙しなく戸を閉められた。
なんとなく……だけど、腑に落ちない何かが……あった。
みちる殿越しに見えた部屋は綺麗で、机の上にも何もないように見えた。
気のせいなのだろうか……?
結局、確かめるすべも無いオレは部屋に戻るしかなかった。
きっと、今日一日に起こった出来事が多すぎて、気が過敏になっているんだろう。
師も戻って来ていないようだし、これでは夜稽古もないか。
このまま部屋に戻っても眠れそうに無いし……
オレは夜風に当たりながら少し庭を歩き始めた。
中庭にある小さな池の周りに黄色い小さな花が咲き、それを月明かりが薄く照らしていた。
家の周りの花は椛様が生前から愛でていた種類ばかりで、四季折々にその姿を見せては灯里様に手折られ、墓前へと捧げられる。
「じゅっとだ! ねえ、はたはたは?」
「あらあら、姫様。走っては危ないですよ」
本邸から中庭に続く廊下から、飛び出してくるように駆け寄ってきた灯里様は、そのままの勢いでオレの足元に飛びついてきた。
よほど心配していたのだろうか、少しばかり目元が腫れているように見えた。
「姫様、そのままではお風邪を召されますよ」
「……うん」
後から小走り気味にかえ殿が近づき、持っていた半纏をそっと灯里様の肩へと掛けた。
「ねえ、はたはたは?」
「大丈夫ですよ灯里様。今はオレの部屋で寝ていますから」
ゆっくりとしゃがみ、視線を合わせて告げると灯里様の表情は明らかに安心したように輝き、オレの部屋のほうへと視線を向けた。
「薬で今は寝ております……また、明日には一緒に遊べますよ」
「ほんとに?」
「ええ。紀代隆様が見つけてくださいました」
「そっか! なら、きよにありがとうっていう!」
「そう、ですね……ですが、今は外出されておりますので」
言葉が不自然に途切れてしまった。
一瞬だけ思い浮かんだ光景に、言葉が繋がらなかった。
「……じゅっと?」
「いえ、お礼のお言葉も、また明日に改められても平気でしょう」
「うん!」
にこっと明るい笑みを浮かべて頷いた灯里様はそのまま、かえ殿に振り返りオレの手とかえ殿の手を取った。
「ねえ、かえ。おちゃ、いっしょにのみたい」
「それは良い案ですね。十斗殿も姫様のお誘いをお断りする事などございませんからね」
――っ! そう言ったかえ殿の表情は、昼の仕返しとばかりに笑っていた。
確かに、灯里様からの申し出をそう無碍にする気はないが……今のは、そうとって良いものなのか?
「さあさあ姫様、十斗殿、はやく暖かなお部屋へ参りましょう」
「はぁい!」
やれやれ……すっかり安心した灯里様に引っ張られるまま、オレは離れの縁側で待つことになった。
「十斗殿、これで足りますでしょうか?」
「……えぇ、まあ。むしろ重たいくらいで……」
何故か縁側にて灯里様ともども、分厚い半纏や羽織を膝や肩に乗せているわけなのだが。
「かえ、ありがとー」
湯飲みを半纏の袖口で挟み持ったままの灯里様がお礼を言うと、かえ殿はそのまま微笑み部屋の中へと戻っていった。
「かえ殿はご一緒ではなくてよろしいのですか?」
「うん、だいじょうぶだよ」
そういって笑おうとしたのだろうが、灯里様は寂しそうな目をしながら空を見上げた。
「かえと、やくそくしたの。ちゃんと、おかたづけするって。ごはんものこさずにたべる。それから、べんきょうも……きらいだけど、がんばる! それで……」
言葉が途切れたまま灯里様は、茶を口に含んでゆっくりと飲んでいく。
菫色の瞳に映る月は、薄雲に隠れて光を雲に朧げに反射させていた。
「ちゃんと、なかないで……ひとりでもねるようになるの……」
「……それは、大変な約束を致しましたね」
当初よりかは流石に落ち着いてきてはいるが、あの妖の一件は根深く灯里様の心に影を落としていた。
眠りに付いたかと思えば、恐怖を思い出しては飛び起きて傍にいる侍女に縋りつき泣くことも未だにある。
「でも、がんばる。だって、ニコニコしてるかえがすきだもん」
「オレもです。かえ殿もそうですが、灯里様の笑顔に幸せを貰っていますから」
「そうなの? えへへ……」
少し頬を赤くして目を細める灯里様は、両膝を胸元に寄せるようにして顔をそこに埋めた。
「じゅっと、あした……はたはたといっしょに、あそぼ、ね」
「はい。ゆっくりおやすみください」
声に力が入らなくなった灯里様の手の中から湯飲みを放し、重ね着したままの姿で奥の戸を叩いた。
「十斗殿、今まで有難うございました。これからも姫様の事をよろしくお願いいたしますね」
すっかり寝入ってしまわれた灯里様を、みちる殿が床に付かせるのを見届け、かえ殿はただ深く頭を下げた。
「いえ……オレの出来る事は少ないですから。ですが、いつか灯里様と遊びにお伺いさせて頂くかもしれません」
「ええ、楽しみにしております。さあ、十斗殿もお風邪を召される前にお休みください」
「はい。かえ殿こそ、婚儀の前にお風邪を召されぬようにご自愛くださいませ」




