近しい面影
ふと気が付けば夕闇が色濃く空を染め上げ、店角に下げられた堤燈が幾つも灯され始めていた。
結局、はたはたも見つからず、まだ探そうと駄々をこねる灯里様を大和と宥めながら館へと戻り、大和はそのままお館様に会いに行った。
オレも本当なら、師に今日の事を話さなくてはならなかったが、隙を見ては、逃げ出そうとする灯里様から目を離すわけにはいかなかった。
「じゅっと……」
「ダメですよ」
文字通り戸の前に座り夕餉の支度が終わるまで、みちる殿に読み書きを教わる灯里様の言葉を遮った。
「まだなんにもいってない……」
「姫様、お喋りをなさらずに」
「むぅぅ……」
ぴしゃんと言い聞かせるみちる殿に、灯里様は不満を露に頬を膨らませて、紙に何かを書き殴っているようだった。
もちろん、その度に怒られてしまうのは灯里様なのだが……
それから程なく、外から呼びに誰かが来る足音が聞こえた。
「十斗殿は居られますか?」
小さく戸を叩き囁かれるような声で呼ばれ、オレは静かに部屋を出た。
「かえ殿」
「今、よろしいですか?」
戸口の前に立ち、小さく体を折ったかえ殿にその用件が何であるか、微かに頭の中には浮かんでいた。
「此度は私の不手際で大変なご迷惑をお掛けいたしました」
「いえ……それより、はたはたは見つかったのですか?」
訊ねると、かえ殿はゆるく首を横に振り、姿が見えなかったことを教えてくれた。
「あの傷ゆえに外には行かぬと思い、庭で遊ばせていたのですが、それから程なく姿が見えなくなってしまい。それで、あの……姫様は如何なされておりますか?」
「探すと駄々を捏ねてはいましたが、今はみちる殿に読み書きを教わっているところですよ」
「そうですか、あのお方の下でなら、姫様も勉学に勤しんでいただけるようですね……少しばかり安心致しましたわ」
苦笑めいて小さく口元を隠して笑うが、直ぐに視線が逸らされてしまった。
「最後の最後で、皆様にご迷惑をお掛けしてしまう事になって……どうして、こう、そそっかしいのかしら」
「そうですね。繕い物をして自身の袖と縫い、気づかずに外まで出掛けられたり、厨で鍋の熱さに驚いて配膳の皿を割ったり。他にも色々ありましたね」
「じゅ、十斗殿っ……それは言わないでくださいな」
「ええ、もちろん冗談です」
慌てて辺りを見回し、誰かに聞かれてはいないかと確かめてから、少し恨めしそうに睨まれてしまった。
しかし、それでもかえ殿が落ち込んだまま、屋敷を後にするのを見送るのは忍びない。
「灯里様とて、かえ殿には笑顔でいてもらいたいと思っております。オレが言うのも可笑しいですが、今の灯里様が居られるのも、かえ殿のお陰だと思っています」
「もう、そんな事ばかり……十斗殿も一体何処で覚えていらしたのですか?」
「本心ですよ。それに、はたはたの事は後ほど、また探しに行くつもりですから、ご心配をせぬように」
「……本当に申し訳ありません」
そう言ってまた頭を深く下げたかえ殿だったが、面を上げたときには優しい笑みがあった。
「さあ夕餉の支度も整っております。姫様をお連れ致しませんと、彦様が待ちくたびれてしまいますね」
「はい。お呼びしてまいります」
灯里様を呼ぶために中へと入り声を掛けると、勢いの良い声が返ってきた。
「姫様! 片付けはきちんとしてくださいまし!」
みちる殿の声に、戸を開けたばかりの灯里様は、くるっとオレに背を向けた。確かに机の上には紙も筆も全てがそのままに、片付けられてはいなかった。
「みちる、キライ!」
叫んで少ししてから振り返り、灯里様は頬を膨らませたまま向き直り、オレの後ろで待っていたかえ殿を見つけて、嬉しそうに走り寄っていっていた。
「かえがやっぱりイイっ! みちる、きらい……ぶぅ……」
「あら、灯里様。私とて、約束をきちんと守ってくださらない方はお嫌いですよ」
そう言ったかえ殿は灯里様と同じ目線になり、くるりと灯里様に部屋の中を見せるようにした。
「約束、憶えていらっしゃいますよね? 私と共にいたときはしっかりと出来ていらっしゃいましたでしょう。それに、先日新しい約束も致しましたね?」
「……ふみゅぅ」
どんな約束なのかオレには分からないが、かえ殿がもう一度灯里様と目を合わせて笑いかけると、灯里様は小さく頷いていた。
「まずはお片づけから始めましょう。ちゃんと出来たらお約束通り、かえと一緒にご飯を食べましょう?」
「……はぁぃ」
優しく灯里様の髪を梳くようにしてから、ゆっくりと立ち上がっていた。
「十斗殿、お先に行ってください。貴方まで遅れて行かれては彦様が心配しますよ」
「では、恐れながら先に失礼致します。灯里様、大和ともにお待ちしています」
声を掛けると灯里様は頷いて、かえ殿の手を握って急かすように部屋の中へと戻っていった。
「失礼致します」
声をかけ、中からの返事を聞き戸を開いた。
「あれ? 灯里は一緒じゃないの?」
予想通りの第一声にオレは頷いた。
「灯里様は今、かえ殿とご一緒に片付けをされている。もうすぐ一緒に来るさ」
「そっか。かえが居なくなると灯里も寂しがるよね」
含みのあるような言い方で暇を潰すためなのか、読んでいた本にまた視線を落として呟いた。
「みちるだっけ? あの新しい侍女とはどうなの、平気そう?」
「……オレからは何とも言えん。ただ手は焼いているみたいだ」
「へぇ……灯里が人を嫌うなんて珍しいね。まあ、僕らがどうこう口を出す事じゃないけどね」
「まあな。それにオレが言えることは、大和の敵に回るような事がなければいい……」
小さく笑った大和の瞳の色を窺いながら言うと「そうだね」と、また笑って返ってきた。
まったく、何処までが本気なのか……
「ところで話は変わるけど、来週くらいに出掛けるから空けておいて」
「それは構わないが、何処へ行くんだ?」
「霜月の本家」
「そうか、わかった……って、本家にかっ!」
いつもの様に、分家に行くかのように、さらりと言ってのけた大和に思わず怒鳴り返してしまえば、うるさいな……と耳を塞ぐ仕草で返された。
「翁からのご要望だって。断れないでしょ?」
「輝政殿から本家へのお誘いとは、珍しいとしか言えないが」
「まあ……」
歯切れ悪く肯定を示し、オレには聞こえぬ何かを呟いていた。
しかし、一体何の用事で本家にオレたちを……?
考えてみたが思いつくことは何もなく、程なくして灯里様たちが姿をお見せになった。
三人揃い食事をする事も少ないが、今夜はかえ殿が最後のお勤めとあって灯里様たっての希望で席を共にした。
何時もと同じ大和の部屋で四人が揃い、最初で最後の夕餉の時を過ごす。
食事の最中、灯里様の興味があったのはやはり、新しい生活を始めるかえ殿の身の回りの話しで、先に聞いていた事のある話は少々、自慢げに灯里様自身が、いつ聞いたかを教えてくれた。




