道義
「紀代隆様をお見かけしなかったでしょうか?」
鍛冶場から再び屋敷に戻り、お館様へのお目通りを願うため師の姿を探していた。
本来なら頭領である父上を探した方が早いのだろうが、あの人は、記憶を違えていなければ所用と言って北へ赴いていたはず。
我が親ながらに本当に忙しく、姿を見かけたのは何時の事かと思わず記憶を辿りたくなる。
「いいえ。ご自身様のお部屋には居られなかったのですか?」
「ええ……この時間帯ならいつも部屋にいるのですが」
道すがらに会った侍女も物珍しそうに首を傾げていた。
「もしかしたら、何かの御用で行き違いになっているのかもしれませんね」
「そうですね。もう一度、部屋を見てまいります。お引止めしてしまい申し訳ありません」
「いいえ、構いませんよ」
互いに頭を下げオレはもう一度、師の部屋へと向かおうと歩いていくと先からパタパタと灯里様の走る足音が聞こえてきた。
「姫様、お待ちください!」
「やぁだぁ! はたはた、みつけてから!」
恐らく離れから一直線で玄関に向かっているのだろう。オレは曲がるはずの角を反対に曲がり、正面から桃色の着物を走り崩してきている灯里様の前に立った。
「灯里様っ!」
少しキツく声を掛けると、灯里様は小さく声を上げて立ち止まった。
「じゅっと……あ、あのね」
「館の中で走り回られると、思わぬ怪我の元となりますよ」
罰が悪そうに裾をはたいて整える灯里様へ、嘆息を隠してそう告げた。
「ご、ごめんなさい……」
「后守殿……お、恐れ入ります、わたくしが、付いていながら」
「いえ、構いません。みちる殿」
遅れて声を掛けてきたのは、細く痩せた侍女のみちる殿だった。ご成婚されるかえ殿の代わりに灯里様に付く事になり、今はその引継ぎと共に灯里様のお世話をしてくださっている。
……一時、彼女がオレの跡を継いだ后守とも思ったが。やはり、思い過ごしは思い過ごしなのだろう。
「いかがなさいましたか、后守殿?」
思わずじっと見てしまっていたのか、みちる殿は必死に息を整えながら、不思議そうに尋ねてきたので慌てて首を振って見せた。
「さあ、灯里様。お部屋へ戻りましょう」
「やっ! はたはたみつけてから!」
ゆっくりと諭すように促すみちる殿に対して、灯里様は頬を膨らませて大きく首を振った。
「灯里様、はたはたに何かあったのですか?」
「はたはた、いなくなっちゃったの……」
オレが尋ねると途端に小さくなってしまった。はたはたの面倒はオレを含め数人の犬好きな侍女が順番に見ている。灯里様ももちろん、世話を進んで手伝っている。本来なら、オレが今日の面倒を見る予定だったが、使いで外に出ることが多くなったので、かえ殿に入れ替わり託したのだがなぁ。
「出掛ける前に、かえ殿に面倒をお願いしたはずですが」
「うん。ちょっとまえまで、かえとみんなで、いっしょにあそんでたんだよ。でもね、とちゅうではたはた、どっかいっちゃったの」
「みちる殿、今かえ殿はどちらに居られるかご存知ですか?」
「ええ、今その子犬を探しに町に降りられてますよ」
「じゅっと、いっしょにさがして」
灯里様はオレの袖裾を掴み、今にも泣きそうな様子だった。
「そのような無理を仰らないで下さい、灯里様。后守殿もお忙しいのですよ」
「だって、はたはたまだ、けがしてるんだよ……けが、ちゃんとなおすってやくそくしたんだもん」
「約束って、子犬が人の言う事を分かるはずはないでしょう。ねえ、后守殿……」
助けを求めるように、みちる殿の視線がこちらへ向いたが、なんと答えればよいのか。
「うぅーっ。みちる、きらい! はたはた、さがすのじゃましないで!」
完全に怒ってしまった灯里様は、みちる殿に今にも噛みつきそうな勢いで差し伸べられていた手を叩いていた。
「みちる殿。恐れ入りますが、灯里様共々オレが一旦引き受けます。かえ殿がお戻りになられたらお伝え願います」
未だにバシバシとみちる殿の手を叩くのを止めない灯里様の腕を取り、これ以上の攻撃が出来ないように抱き上げた。
「え……いえ、しかし。灯里様はまだこれからお作法の勉強が」
「これでは身も入らず、また抜け出してしまうでしょう。それに、お館様の許可が頂けましたら一度、相模刀具へお連れする予定ですので、どうかご容赦願います」
「は、はぁ……そう仰られるのなら」
叩かれ赤くなった手の平を庇いながら、みちる殿は不承不承といった様に肩を落としていた。
とりあえず、この場の一段落は着いたが……
背を向けて歩いて行くみちる殿の背中に、思い切り赤い舌を出している灯里様に、オレも軽く肩を竦めてしまった。
「むぅ、みちるきらい。いっつもいぢわるばっかり! かえのほうが、ずっとやさしいんだよっ」
「そんな風に仰らないで下さい。みちる殿も灯里様の為を思っておられるのですから」
とりなしの言葉と言われようが、かえ殿はこの屋敷から去り、みちる殿が灯里様の世話係となるのは、動かしようの無い事実だ。
「さて、と」
抱き上げていた灯里様を下ろし、自然と繋がれた手はそのままに、師の部屋に向かう事にした。
「とーさまのとこじゃないの? そと、いくんでしょ?」
「ええ。ですがその前に、紀代隆様を探さないと……」
「きよたかなら、さっきひゃくえたちのとこに、いくっていってたよ」
「鷹舎に? そうでしたか、ありがとうございます灯里様」
思わぬところから返ってきた答えに、オレは礼を述べたが……しかし、そうなると勝手にお館様に会いには行けない。大和も稽古場だし、中継ぎしてもらえる相手がいないのは困ったな。
無用と言うわけではないが、お目通りに関して父上から釘を刺されているし。
考えるオレを灯里様は不思議そうに見ていたが、いきなり手を引っ張り始めた。
「あ、灯里様?」
「おそといって、はたはたさがすの! だから、とーさまに、いいよっていってもらうの!」
決めた意志は固いらしく、引っ張られる形のまま、オレはお館様の部屋の前に連れて行かれた。
灯里様は止まることもなく、元気の良い声を掛けそのまま戸を開き、奥の部屋へと走りこんでいた。
無論、オレの手を離さずに。
「どうした灯里? それに十斗も……先から騒がしいとは思うてはおったが」
突然の乱入となってしまったオレたちに驚いた様子も見せず、静かに筆を置き、座るように促してくださった。
「お館様、申し訳ございません……」
「とーさま! 灯里おそといく!」
オレの声を遮って灯里様は、体当たりのようにお館様の体に飛びついた。
「灯里ともかく座れ。何かあったのか、十斗?」
「はたはたがいないの。おそといくの!」
急かす灯里様を宥め、視線はオレに向けられて来た。
灯里様の手が離れたその間に、深く座礼の形を取り、先ほど聞いた話を頭の中で順番に思い出す。
「先ほどより、はたはたの姿が館内より見えなくなりまして、ただ今、かえ殿が町へ下り探している最中ですが、灯里様ご自身も探したいと強く願われている次第です。
また、相模刀具の鍛冶師昇靖殿よりご要望もあり、一度鍛冶場へと大和共々、灯里様をお連れしたく願いに参りました」
「そうか。急いて訪れた理由は分かったが、曉不在ならば紀代隆を通じて願い出でるのが筋ではないか」
決して厳しい口調ではないが、お咎めの言葉はやはりあった。
「じゅっとつれてきたの灯里なの。なんで、おこるの?」
「灯里、例えそうだとしてもだ。十斗は我々に仕える者だ、上に立つものが守るべき理を守らねば他の者たちに示しが付かぬ。それは、廻り十斗自身にも返ってしまう」
「……誠に申し訳ありません」
灯里様に礼儀を守るように忠言するのも、オレたち仕える者の役目なのに、オレはそれを出来なかった。
「なに、お前自身が自ら進んで来たとは思ってはおらんよ。灯里、次からはまずお前自身が礼儀を守り、先に私のところへ来い。それから十斗を呼んでやりなさい、できるな?」
「はぁい……ごめんなさい、とーさま」
「私にではなく、十斗に言ってやりなさい」
「じゅっと、ごめんなさい」
「恐れ入ります」
小さく頭を下げ謝る灯里様を見て、お館様はどこか満足そうに灯里様の頭を一撫でしてから、膝の上から降ろした。
「灯里、十斗から離れぬようにしろ。それと皆、夕餉に間に合うようには戻りなさい。はたはたも恐らく腹が減れば姿を見せるだろう。十斗、灯里を頼むぞ」
「はい」
「とーさま、だぁいすき!」
許しの言葉に灯里様は再びお館様に抱きつき、嬉しそうな笑みを浮かべていた。




