大晦日 後編
薄紅色の着物のあちらこちらを雪で濡らし、手にしていた小さな籐籠には布切れに混じり薬草らしい草花の陰が見えた。
年は同じか少し上くらいの、長い黒髪を綺麗に編み上げ、それを頭の上で玉簪で留めた少女。
色の白い頬には土汚れの跡が見えたが、それがその少女の色白さを引き立てているように見えた。
「ねえ、そこの君、手伝ってくれない? あたしたちだけじゃ大変なの」
快活な声にオレは一瞬辺りを見回すが、居るのはオレだけだ。
「その子犬、怪我してるの。でも手当てさせてくれなくて。さっきから子犬見つけた子も、どうしていいのか分からないらしくて。だから、手伝って!」
そう言いながら、少女は子犬の後ろからジリジリとにじり寄る様に、間合いを詰めていくが、抱きとめようと飛び掛った瞬間、子犬は驚いて飛ぶように逃げてしまった。
見た目に反して豪快な捕獲方法だな。
「そんな風に追いかけたら、犬だって逃げたくなりますよ」
「じゃあ、どうするのよ?」
「期待はしないでくださいね」
桜色の唇を尖らせ、新たに汚れてしまった着物を払いながら立ち上がった少女に、オレは藤細工から預かった籠を渡して少し離れながら子犬の視線がこちらに向いているか確かめた。
子犬の近くでしゃがみ込み、口笛を吹いてみれば注意を引くことに成功したようだ。
子犬の元々の好奇心が刺激されたのか、ゆっくりと近づいて来てくれた。
ただ、あと一歩のところで足踏みされてしまう。
薄茶色い毛並みに、ふさふさの上向き加減の尻尾が左右に揺れていたが、後ろから聞こえる少女の立てる雪の音に、耳を忙しなく動かしてしまっていた。
「動かないでいただけますか」
制止の声をかけて、注意を引きながら、オレもじりじりと距離を詰めて、手を思い切り伸ばせば、掴まえられそうかと言う距離まで来た。
もう少し待ってみれば、子犬の方からまた一歩と近付き、ようやく冷えた鼻っ柱が手の甲にあたる所まで来てくれた。
こちらに興味があるようで、幾度も鼻を鳴らして指先の匂いを嗅いできた。
試しに背中を撫でると嫌がる様子も見せない。
「そのまま大人しくしててくれよ」
声をかけながら、子犬を抱き上げると確かに前足に傷があった。それだけじゃなく、首元にも血が滲む傷や背中などにも傷があった。
野良同士の喧嘩で出来たような怪我にも見えない。
「手当てをするのなら、どうぞ……」
「え? あ、あぁ……そうね。ありがと」
小さい礼の言葉を聞きながら、傷口を少女に見せると慣れた手つきで汚れを落とし手当てを始めた。
「ほら、痛くないから暴れないで」
優しく声をかけ、目立つ傷には薬とともに布で押さえ、小さな傷は薬を塗っただけになった。
処置に当たる手は凄く早い。あっという間に、手当てを終えていた。
そして、少女も子犬の頭を撫でようと手を伸ばした途端、先ほどまで追い掛けられていたのを思い出したせいか、逃げようと暴れだした。
「もう! 折角手当てしてあげたのに」
恩を仇で返されるよりはマシとは思うが、少女は頬を膨らませてから小さく笑った。
「ありがとうね。あ、そうだ! さっきの女の子にもう平気って教えてあげなきゃ……大丈夫かなぁ」
怒ったかと思えば笑い、笑ったかと思えば心配そうにころころと変わる表情。
眺めるつもりはなかったが、再び視線が合いオレは慌てて逸らした。
「君は見てない? 小さい女の子だったんだけど」
「いえ……見かけてはいませんが」
問い掛けの言葉に、視線を逸らしたままで答える。
「そっかぁ、大丈夫かな。なんか方向音痴そうだったんだけど。一緒に探してもらってもいい? なんだか、心配で」
「構いませんが、その、女の子の特徴は何か憶えていますか?」
「そうねぇ、ちっちゃい子で……あ、瞳が綺麗な菫色だったわ。あ、ほら、丁度あそこにいる子みたいに!」
少女が嬉しそうに林の奥から顔を覗かせた幼女を示して、手を打った。
「あ、じゅっと……」
そして幼女……否、灯里様はオレを見つけ顔て罰の悪そうな表情を浮かべた。
今朝方の一件もあり、灯里様に付いたはずの、顔も分からない新しい后守に恨み言を言いたくなった。
「あれ、知り合いなの?」
「……ええ、まあ」
灯里様の名をこの場で呼んで良いのか躊躇ったが、此方の事情を知らない少女は嬉しそうに笑顔を浮かべて、灯里様の元へと駆け寄ると頭を撫で回していた。
「お兄ちゃんに会えてよかったね。子犬もちゃんと手当てできたから、もう安心していいよ」
「うん、おねえちゃん、ありがとう!」
「大した事ないよ。君もありがとうね! はいこれ、お使いの途中だったのに悪かったね」
「いえ……あの」
「ホント、助かったわ」
少女は短い礼だけを述べ、こちらが名前を聞こうにも、その前に姿を道の彼方へと消してしまった。
その姿が完全に見えなくなってしまったのを確かめてから、子犬を地面に下ろした。慣れない包帯や薬を嫌そうにして毛繕いしながら解こうとしていたが中々、きっちりと巻いてあるらしく簡単には解けないようだ。
「灯里様」
「……ご、ごめんなしゃい」
よもやあんな事があった後で一人で館を抜け出していたとは……呆れた溜息しかつけなかった。
「後で皆に怒られるでしょうから、オレからは特には言いませんが……あまり心配させないで下さい」
「うん……でも、あのこがきて、ケガしてたのに、どっかいっちゃったから……」
流石に灯里様もしゅんっと項垂れていたが、子犬が足元に擦り寄ってきたのを見て、嬉しそうにその頭を撫でていた。
「灯里様、申し訳ありませんがその子犬をお屋敷に連れて帰る事はできませんよ」
「え! なんで、ダメなの? どーして?」
本当に連れて行こうとしていたのか、驚いた表情でオレを振り返った灯里様の瞳が潤んでいた。
「お館様に御赦しを頂けなければ、飼う事は出来ません」
「じゃあ、とーさまが“いいよ”っていえば、へいき?」
「ええ。それまでは、オレが保護しましょう」
子犬に縋りつくように見上げて問われしまい、無碍にも出来なかった。
「うん!」
満面の笑みを浮かべた灯里様が、子犬を抱き上げようとしたが、あちこちに傷があるのを見て、伸ばしていた小さな手を子犬の上で彷徨わせていた。
「オレが連れて行きますよ」
戸惑っていた灯里様の代わりに子犬を抱えて、急いで屋敷へ戻ろうと、走り始めたその小さな後姿を追った。
……やはり名前ぐらいは、聞いておくべきだったかな。
「じゅっと、はやくはやく!」
僅かに浮かんだ事も、先を急ぐ灯里様に急かされて途切れさせた。
「そんなに急がれると、また転びますよ」
裏門を潜り屋敷に戻ると、灯里様は迷わずに、お館様の部屋へと駆けて行ってしまった。
完全に置いて行かれたオレは、子犬を連れたまま途方に暮れかけていれば、かえ殿が丁度、水を汲みに外に出てきた。
「あら、十斗殿。おかえりなさいませ」
「かえ殿、遅くなり申し訳ございません」
子犬を抱えたまま空いた片手で、頼まれた物が入っている籠を手渡して、最初に頼まれた用事を終わらせる事が出来た。
「いえいえ、問題ございません。それより、その犬はどうされたのですか?」
「ええ、外で、怪我をしていたようなので」
「あら本当……でも、お館様は動物が苦手ではなかったかしら?」
「もしもの時は致しかたありません。飼い手が見つかるまでの間、実家で預かって貰うように致します」
「まあどちらにせよ、その泥に汚れた足は洗って来ていただかないと……今なら、浴場は誰も使っていないはずですから、今のうちに洗ってきてくださいな」
「はい、そうさせて頂きます。有難うございます」
礼を言ってオレは急ぎ、子犬を連れて浴場へと向かった。
子犬は憔悴していたのか、かなり大人しく、巻いてもらった包帯は申し訳ないと思いながら、一度全て外して、手早く目立つ汚れ落しを済ませた。
その間に、かえ殿が拭く物と薬箱を持ってきて下さり、濡れた毛をよく拭いて、傷口を舐めないようにまた包帯を巻いた。
子犬の餌になるような物をかえ殿に頼み、オレの部屋へ連れて行った。
結局、灯里様の説得の元“怪我が治るまでの間”と言う事でどうにか一段落着いた。
さて、新年を迎える最後の時間。
子犬は侍女たちに任せる形になってしまったが、オレたちは仕度を整えて参拝への道へと付いた。




