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解けゆく係り

 朝餉の支度が出来たと呼びに来るまで、オレは師の部屋から一歩も動けずにいた。

 師は何も変わらぬと告げてくれたが、それが容易な事ではない事くらい解っているつもりだ。

 大和とて、それは同じともいえる……兄妹と言えど血の繋がりの無い二人が常に共にいる事は、灯里様のこの先を問われれば可笑しな事と言える。


 オレは、交わした約束すら守れなくなるのか……

 ……椛様……


「十斗、勤めは勤めだ。何時までもそうせずに、責を果たして来い」

「……はい」

 心が疲れると言うのは正にこの事なのだろうな。

 居るべき場所から突然投げ出されたような不安定な感覚のまま、戸を開け冷たい空気を一身で受けていた。

「一人で二つの宝を守るのは難しい。それは誰しも同じ。今は敷く道があるが、時が来ればどちらかを切らねばならない。その事を忘れるな」

「…………」

 背中に投げかけられるような師の呟きに、オレは緩く首を振っていた。

 そんな日など来なければいい。

 共に歩み続けられる道だけを……求めていたい。

 我儘と言われようと、それ以外に何を望めというのか。

 オレにとって、大和も灯里様も共に大切な主で……友達で、兄弟のようにかけがえの無い存在だ。

 今ほど后守である事が疎ましく思うことは、無いのだろう。

「……灯里様を起こしてまいります」

 そう告げて、オレは礼も忘れたままに戸を閉めていた。

 陽の光が差しはじめてもまだ踏みしめる廊下は冷たくて、急ぎ足になる侍女たちの挨拶に、のろのろと会釈を返すしか出来なかった。

 遠くでオレを心配する声も聞こえたが、聞こえる今すらもそれは煩わしいとさえ思ってしまう。

「あ、おはよう。十斗」

「……大和、おはよう……ざいます」

「ちょっとこっちに来な」

 何も知らず眠たそうに欠伸を一つしてから、大和がいつものように笑いながら声をかけてきたが、やはり気の上がらぬオレは相当らしく、直ぐにオレの手を引いて部屋の中へと舞い戻った。

「十斗、何かあったの?」

「何もない」

 目を合わせることも無く答えたが、それで納得するわけも無く、ただ無言で話せと訴えてきていた。

「本当に、なんでもない……灯里様を起こしてこないと、かえ殿たちに怒られるから」

「そんな顔で“何も無い”と言われても説得力に欠けるよ。君は表情に出やすいんだから、もう少し繕うことを憶えた方がいいよ」

 溜息混じりに言う大和に、オレは小さく相槌を打つだけに留めたが、それでも大和は「僕には通用しないけどね」と付け加えていた。

「でも、后守が主の前でそういう表情を出すのは本当に良くないよ。灯里にだって心配されるよ、それじゃあ」

「……分かってる。灯里様の前ではそうならない様にするさ」

「それって僕の前じゃ如何でもいいって聞こえるけど?」

「そう言うわけじゃないっ」

 些か荒くなった語気に、はっとして大和の表情を窺い見たが、変わらず静かに笑っていた。

「灯里のことで何かあったんだね」

「…………」

「僕でよかったら話し聞くよ?」

「大したことじゃないから……気にしないでくれ」

「友達として相談に乗るって言っても? その様子じゃ、紀代隆に相談できないんだろ?」

 指摘に思わず視線が彷徨った。

「分かった……後で、話す」

「その返事を待ってたよ。引き止めて悪かったね」

 ここで折れたのは、大和相手だったからなのかも知れない。

 言ったところで何も変わることが無いと分かってはいたが、分かっていたからこそ言う気になったともいえた。

 オレは大和の部屋を出てようやく本来、向かうべき場所へと向かっていった。


 離れの外の戸の前に立ち数度、戸を叩き中からの返事を待った。

 小さな返事の声と少し遅れて戸が開き、オレは音を立てぬように中へと入っていった。

 部屋の中央では、灯里様が寝返りを打ちくぅくぅと寝息を立てていた。今朝方の怒り顔も何処吹く風か。

「灯里様、朝餉の用意が整いましたよ」

 膝を付き灯里様の小さな身体を少し揺さぶった。いつもならこれで起きてくださるのだが、今日はそうも行かず起きる気配はなく、くったりと規則正しい寝息が途切れることがなかった。

「灯里様っ」

 もう一度声をかけて見たが、やはり起きる気配はなかった。

 今朝傍に居た侍女はかえ殿だ。彼女に目をやり確認すれば、どうぞご遠慮なくと、にこやかに返って来た。

「では失礼致します、灯里様ッ」

 これで起きなければ仕方ない。

 オレは大きく一言声を掛けて、上掛けを跳ね除けた。寒さで身震いして目を微かに開けたのを見逃さずに、体を抱き上げて座らせた。

「ふぇ……もぅ、あさ……?」

「灯里様、おはようございます。朝餉の用意が整いましたのでご用意を」

「ふにゅぅ……じゅっとぉ……」

「はい、こちらに居ります」

 片手で目を擦りながら、もう片方の手が宙を彷徨ったのでオレはその手を取った。

「おはよぅ」

「おはようございます」

 一生懸命に起きようとしていても、押し寄せる睡魔にはまだ勝てそうもなく、頭がふらふらと振り子のようになっている灯里様に、かえ殿が水を絞った布を持ってきていた。

「はい姫様、お顔を拭きますよ」

「うぅ……っ! つめたぁい」

 目元と布で丁寧に拭われ、菫色の瞳がはっきりと見えた頃にオレは掴んでいた手を放し席を立った。

「それでは、後をお願いいたします……」

 短い日課ではあったがこれもまた、今日で最後にするべきだ。

 鬱々とした表情が浮かぶ前に早々に引き上げよう。

「じゅっと、まって! いっしょにいくの!」

 先に出ようとしていたオレを呼び止め、灯里様は急いで着替えを始めてたので背を向けた。

「姫様っ、そんなはしたのうございます」

「だってぇ! おいてかれるの、やっ」

 流石にかえ殿も叱咤の声を上げ、それに抗議している灯里様の声を背中越しに聞いていた。

「外にてお待ちしております」

「うん、まってて」

 恐らく無邪気に顔を綻ばせているのだろう。

 大和に話した後、改めて灯里様に今回のことをお伝えせねば……

 後を考えれば、やはり気が重たい。

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