荒神(1) 刻む警鐘
こういうときの大和の行動と足の速さには、舌を打つしかなかった。
オレは側を通りかかった別の侍女に頼み、師に伝える手段を選び大和を追った。
既に姿を見失った相手を探すのは容易ではないが、人々に聞けば直ぐにその方向は返ってきた。
皇城がある町は二刻ほどの距離もある。オレは先を走る大和の姿を遠くに見つけ、走る速度を上げた。
「大和! 一人で行くな!」
それでも、大和にオレの声は届かず距離が縮まる気配が見えない。
もう一度声を上げようとした一瞬、大和が立ち止まりその視線をあたりに彷徨わせていた。
左側へと道を逸れたその先は、狩猟用の山がある。そこへ大和の足が向いた。
高い柵に囲まれた山は、限られた人間が手遊びに狩りが出来るように手入れがされているが、冬と言えども山には鹿や猪が放たれたままだし、外しきれていない罠もある。
オレは近くの柵を飛び越えるように山へ入り、そこから大和を追った。
町と違い、山道は雪がまだ残り容易く足を沈めたが、この程度で速度を落すわけにはいかない。
「大和!」
雪道になれば追いつくのは容易だった。
大和の前に回る形で追いつき、その進路を断った。
「十斗。僕を絶対に、見失うな!」
「何をいきなり」
真剣そのものの大和の暗紅色の瞳に赤みが増していた。
幾度と見たはずのその赤い瞳が、光を増すように鮮血の色へと変わった。
「ま、兇人の瞳……」
「僕の、忌むべき眼だ」
搾り出すように呟いた大和は、オレではない何かを見つめて周囲を探していた。
神宿りの御子は、普通と違う色を何処かしらに宿す。灯里様の菫の瞳のように、人それぞれに場所や色は違うという。
それでも鮮血の色は忌むべき力の象徴。
荒神と同じ狂気を源とされる色。それが大和に宿っている……
忌み色を持つ子は、存在を許されない。
年月経て兇人となる。
故に、生まれ出で穢れ人と共に、
浄化の炎に晒され大御神に許し願われる。
「それでも、灯里を助ける為なら必要だから……」
そう宣言した大和の周囲の空気が変化した。寒気が走るほど、大気が怯えていた。
だけど、初めて見たその瞳はただ力強く真っ直ぐで、恐怖を感じるよりも鼓舞させてくれた。
雪を踏む音が聞こえた次には、大和が再び走り始めていた。
「大和!」
先ほどより早い速度で雪道を駆け、しなだれ、腕を打つような枝々が生い茂る道を、躊躇い無く走っていく。
まるで、何かに引き寄せられるように走る大和を追いかけるのが精一杯で、オレは異変に気がつかなかった。
大和の踏んだ雪が溶け、泥に塗れた地を晒している事に。
「っ……!」
急に曲がった大和の姿を必死に追いかけ、同じように曲がったが大和の姿が見えなかった。
一瞬で見失った。オレは跳ね上がった心臓を宥め白い雪に眼を向けた。
途切れた足跡に冷や汗が流れた気がした。
あの時と同じ嫌な緊張感が体を硬直化させた途端、また……鐘の音が響いた気がした。
遠い、警鐘の音。
早く大和を見つけないと……灯里様を見つけないと……
「大和! 何処だっ!」
響き渡る声は雪に沈んで、反響も短かった。
焦るな、焦るときはまず呼気を整えろ。師から幾度と無く言われた言葉を思い出して、何度も深呼吸を繰り返した。
冷たい空気が身体の隅々に行き渡れば、混乱していた頭が平静さを取り戻していく。
人が消えるなど、そう簡単に起こるわけが無い。
なら、大和の姿を見失った原因があるとするなら、この先だ。
大和の姿を見失った場所から、少し離れた道を歩いて、振り返るように確かめる。
崖下に刻まれた不自然な雪の滑った跡を見つけ、なだらかとは言いがたい斜面を駆け下り、下方の地面に降りて次の標を探す。
通ったと思われる跡を探し出し、追いかける。
警鐘の音が鳴り止まない。忙しなく響く低い音の間隔が短く、はっきりと聞こえるようだ。
嫌な想像だけが頭を駆け巡り始め、オレは必死に否定して走るしかなかった。
大和の声は、灯里様の声は……まだ聞こえない。
走る音も、荒ぐ息もオレのものだけ。
見失った不安が再び駆け上がり、身体を震わせる。
二人の身に万が一があってはならない。何のためにオレはいるんだ。
二人の名前を叫び、空しく還る音と響く警鐘の音が恐怖より次第に、苛立ちを覚えさせていた。
このままのオレが嫡子を守れるのか?
后守を名乗れるのか?
警鐘の音がうるさい。ウルサイ……止め、やめ、やめっ、鳴り止め!
大和と灯里様の無事を確かめればそれでいい。
何を焦る。
焦る必要なんか無い。
焦るから、警鐘の音が止まらないだけだ。
先ほどと同じように、辺りを探しながら呼吸をゆっくりと整える。
――二人とも無事で、ともに帰る。
それ以外を考えなければいいっ。