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すり合い専屋

 紀代隆様の部屋を退出し、草刈殿の姿を探し、綾之峰様が引き受けてくださった庭にいるかと思い見に訪れたが、どちらの姿も見当たらなかった。

 誘われ奥の部屋へ行かれてしまったのなら、探しに行くにも躊躇いがある。

 中廊下より奥は御剣の居室が連なる。それ故に立ち入れず、昔勝手に厨近くに向かい、通りすがった侍女に草刈殿の所在を尋ねた。

 帰る旨を伝えれば、呼んでくると言われ、玄関先で待つと直ぐに草刈殿が侍女に案内されて戻って来たが、なにやら不機嫌そうな表情になっていた。

「何かあったのですか?」

「……何でもない!」

 明らかに眉を釣り上げて言うのだから、嘘には違いないが尋ねようにもどんどん先を行かれてしまい、結局は聞けず仕舞いだった。

 まあ、歩く速度が落ちたオレが、先を行く彼女に追いつくのに苦労してしまったのが原因なだけだが。

十貨専屋(じっかせんや)に行きたいんだけど、良い」

「構いませんよ」

 やっぱり怒ったままで、道を歩き、十貨の(のぼり)が並ぶ小間物問屋へ突進していく。些かその空気に押されて、道往く人が端に避けて行くのも見えた。

 十貨専屋は様々なものを十貨均一で売買している。同じ通りの屋敷側近くには、五十李専屋(いさりせんや)など、もっと値が張る物を扱う店もある。

 小間物問屋と言う事もあり、女性が多く、あまり中に入る気はなかったが何故か、裾端を引っ掴まれて入る羽目になった。

「身の回りの物くらいもう少し揃えておきなさいよ」

 何故か鼻息荒く言われてしまったが、何てことは無かった。

 家には寝に帰るだけだからと、損料屋頼りにこれと言って何かを買うことに拘りもなかった。

「助けてもらったお礼、してないし」

「寝ている間に十二分に世話になったと思っていますが? そんな気にされても」

「あたしが! あ、あたしが気にするのっ。選んだら教えなさいよ」

 思わず声が大きくなったせいで、周りの人からの視線を一斉に浴びた草刈殿だったが一気に言い終えると、一番女性が集まっている端切れを扱っている場所に向かっていった。

 さて、困ったものだ。厚意からとは言え正直、欲しいものが無い。

 敢えて言うなら白雛の手入れ用具だが、それは相模刀具で済ませているし、十貨で収める事もできない。

 一応、刀油などもあるが……元からか分からないが、濁りが見えると怖くて使えんしなぁ。

 色々と適当に見て見るがやはり、欲しいと思うような物が無い。

 中をくるりと回って、竹筒の中に幾つも差し込んであった簪が目に留まる。

 ――女の子が綺麗に着飾る姿を見て褒めるのも一つだけど、たまには選んでちょっとだけ口を出すのも楽しいんだよ。

 などと以前、大和が言っていたな。

 目に付いたものを一つ取ってみる。

 枝垂れ鈴蘭の小さな花がついた一本簪。

「あ、可愛いわねそれ。でも、誰かに上げるような物ならあたしは買わないわよ」

 手に幾つかの端切れを持って戻ってきた草刈殿からの言葉だが、はっきりと言われて笑うしかない。

「残念ながら、そういう相手は居りませんよ」

「でしょうけどね。丈合わせであんだけ慌てたぐらいだし」

 思い出されて笑いを堪えられてしまったが、一刻も早く忘れてもらいたいものだ。

「そう言えば、草刈殿はあまり簪を使われていないですよね」

「あー、あんまり好きじゃないのよ。それより、何が欲しいか決まったの?」

「それが全く、思い浮かばないんですよね」

 急かされ問われたので、正直に言えば、大きく溜息を吐かれた。

「身の回りの物くらい揃えなさいって言ったでしょ。茶碗とかそういう物を選べって言ったの」

「あぁ! なるほど」

「なるほどって……あんた、一人暮らし初めて、どのくらい経ったと思ってんの?」

「半年程、ですかね?」

「……それだけ経っていて、どうして炊事道具が一つも増えないのか不思議だわ」

 完全に呆れたと言う草刈殿に返せるものは何も無く、思わず頬を引っかいた。

 好意甘えだが、古竹さん繋がりで飯に関してはかなり世話になっているからだろうな。

 料理屋チドリには特に。

 後は久弥を介してだが時川殿たちにもか。礼を込めて、鷹狩りに行った際には久弥に託して居る。

「そうだ。お礼と言うのであれば、草刈殿が選んで下さいませんか」

 他の物もついでに眺めながら言えば、草刈殿の気配が硬くなったのが分かった。

「変なの、選んでやる……」

「ほどほどの物でお願い致します」

 この店の中、正直何に使うか全く分からない置物もあるしな。

 流石にそういった物は選ばれないだろうが……早まったか。

「そう言えば、湯飲みも無くて、持ってきたのよね。もう面倒だから一式揃えてあげるわ」

 そうだっただろうか? と考えて思い返せば、そうだったような気もする。

 これは、流石に改めなければならんか。一人暮らしとは言え、仕事道具との扱いの差が大きすぎるな。反省しよう。

「あんたって、しっかりしてるように見えて、変なトコで抜けてるわよね。ま、いいわ、外で待ってても。出来るだけすぐに終らせてあげるから」

 草刈殿にそう言われたが、もう少しだけ中の物を見てから外に出た。

 待つ間の暇つぶしに、隣近所の店の品物を外から眺めたりしていれば、屋敷を出たときとは打って変わって上機嫌で十貨専屋から出てきた。

「いい買い物できたわー」

「それは良かった。もし、オレにも付き合って頂けるなら、寄りたい所があるのですが、宜しいですか?」

 岐路の端で立ち伺えば察していただけたらしく、促すよりも先にその道を歩き始めた。

 小道を幾本か入り歩いてみるが、やはり所々で息が上がってきた。

 屋敷から出て、半刻も経っていないのだがな。

 目的地に着けば、遠慮する相手でもないと草刈殿が先んじてその障子戸を叩き、開いた。

「これは香月さん。冬臥さんの様子は如何でしたか?」

「古竹さん、ご心配をお掛けいたしました」

 戸の入り口からは直ぐには互いの姿が見えなかったが、もう一歩と中へ入れば、何時もの古竹さんの姿があった。

 心配顔から驚きながらも良かったと安堵された表情に、心配を掛けた事に深く頭を下げた。

「冬臥さん。もう、お加減は宜しいのですか」

「それなりではありますが。あ、着物、有りがたく頂戴いたしました」

「とりあえず、お二人ともどうぞ上がってください」

 古竹さんの勧めの言葉に甘えて、草刈殿は畳みに上がったがオレは痛む足もあり、縁に腰を下ろさせてもらった。

 通り土間から奥方様がお茶を運んで来ると、古竹さんが盆を受け取り、やはり良く見知った穏やかさを滲ませて、茶を勧めてくれた。

「しかし、二人ご一緒に来られるとは思いもしませんでしたよ」

 意外だと含んだ言葉に、「そう?」としれっと返したのは草刈殿だ。

「今、一緒に頭領代理に会ってきたのよ」

 だが、合わせて彼女が告げれば、流石に古竹さんは苦い顔を見せた。

「十重さんの事ですか」

 念のために問われた言葉に、オレ達は頷いた。

「はい。我々が謹慎中の身であるという事も改めて」

「そうでしたか……」

「それと、頭領代理より草刈殿に手当ての心得を教えておくように言われてしまいました」

 先ほどの仕返しでは全くないが、紀代隆様に言われたことを伝えれば古竹さんはまた、口元を緩く綻ばせた。

 だが、草刈殿は明らかにむっとした視線をオレに投げつけ、「あたしも、そう思ってるって言ったじゃない」と唇を尖らせたまま古竹さんのほうに向き直った。

「言われて見れば、確かめた事がありませんでしたね」

 古竹さんや十重殿は長年の経験もあり出来る。オレも紀代隆様に手解きは受けて出来る。

 だが、草刈殿の手を借りて傷の手当をしたことは、一度も無かった。

「あの時のあれは仕方ないでしょ! 混乱しちゃってたんだし……それに、いっつも、十重さんがやっちゃうから……」

 両手を畳に叩き付け、古竹さんに勢い良く詰め寄ったが、尻すぼみに小さくなって元の位置に戻ってきた。

「おやおや。結さんからも、教わっていなかったのですね」

 その名を言う時、優しさに悲しいものを混ぜた瞳が向けられていた。

 しかし当人は言われた言葉に、微かに赤くした頬を誤魔化すように両手で擦っていた。

 ちょっとだけ、またキツい視線を向けられるのかと身構えてしまった事は黙っていよう。

「小さい時に、教わった……んだけどね」

 弱々しく呟かれた言葉は完全に拗ねていた。

「だから、本当は古竹さんに教えて貰おうと思って、来たのよ」

「左様でしたか。ですが、それでしたら、頭領のお内儀様の方が香月さんには合っていると思いますよ」

 朗笑して見せた古竹さんと、草刈殿からの確かめるような視線を同時に頂いたが、オレは首を捻りたかった。

「なんでそんな不思議そうな顔を、あんたがしてるのよ」

「いえ、どうにも……母が、言われる程の腕の持ち主なのかが分からなくて」

「自分の母親の事でしょ。傍で見てなかったの?」

 あっけらかんと言われたが、まあまあ、と古竹さんが草刈殿を宥める。

「お内儀様が活躍されていたのは随分と前ですから、冬臥さんが知らないのも無理は有りませんよ」

「そうなの? でも……」

 途切れた声に僅かに険が篭った。

「そうだとしても、どうして会いに来なかったのかしら」

 その一言に草刈殿の不満がありありと浮かんでいた。

「例え、オレの居場所を知っていたとしても……あの方は決してオレの元には訪れないですよ」

 重たくなりすぎないように笑いながら言ってみたが、今度こそジロリと睨まれた。

「そう睨まないで下さい。古竹さん、今日はこれでお暇致します――帰れる体力が尽きてしまうのも怖いですから」

「冬臥さん。くれぐれもお気をつけて」

「はい」

「何かあれば、鷹を遣わしてくだされば、直にお伺いしますよ」

「其処まで心配なされずとも、平気ですよ」

 冗談とも本気とも付かない古竹さんの申し出に思わず苦笑してしまった。

「道場の方も稽古禁止を言われてしまいましたし、今は療養に努めます」

「是非そうしてください。体調が戻られましたら、また鷹狩りをご一緒いたしましょう」

「あ、ですが、鷹の世話等には伺いますよ。そうでなければ、賃借料滞納で追い出されてしまいますから」

「そんな事にはなりませんよ。鼓雀(こがら)も冬臥さんの事を気に入っているようですから」

「えぇ、いいなぁ。あたしの所の大家さん、節季払いにしてくれてるけど、その分、期限に凄く厳しい」

 羨ましいと言い切られ、思わずそうなのかと古竹さんを振り返ってしまった。

「残念ながら他の処は分かりません。もし、移りたいのであれば話をしておきますから、香月さんも遠慮せずに言って下さいね」

「大丈夫よ。今のところ慣れてきたし」

 乾いた笑いを浮かべていたが、纏う空気は本当に大丈夫だと伝えてくる。

 それを皮切りにオレ達は立ち上がり、近くの道まで古竹さん夫婦に見送って貰った。

 大通りを歩いている時に、昼八つの鐘が鳴った。

「もうそんな時間になってたんだ」

 朝五つの鐘を聞いてから出掛けたが、大分時間が過ぎていた。

 草刈殿と並び歩き、行きと同じように途中で休みを挟み、ついでに買い物をしながら家に着いた。

 買ったものを置いてもらえば、本当に茶器類をそろえて貰っていた。

「なにやら申し訳ないですね」

「久弥くんが来たときにでも、お茶の一つでも振舞ってあげれば? とりあえず簡単に作ったら帰るわ」

「あ、いや……流石に其処までしていただくわけにも」

「良いわよ。ほんとに簡単にしかやらないし」

 土間に立ち、得意の風を使って竈の火を起こすと、以前オレがもらった乾燥菜っ葉を幾つか手にした。

 作っていただいたのは、豆腐の吸い物、刻み菜のおろし鈴菜、薬膳粥の残りを卵で炒めたもの。

「それじゃ、あたしは帰るわ」

 そう言いながら、草刈殿が仮止めした着物を風呂敷に包んでいる最中に、がらりと戸が開いた。

「冬臥先生、晩飯もってきたよー」

 何時ものように風呂敷を片手に久弥が訪れたが、草刈殿に気が付いた途端にくるりと踵を返した。

「お邪魔しましたー」

「来て早々に帰るのか?」

 思わず呼び止めれば、久弥は戸の影から此方を伺っている猫のようになった。

「やぁ……だって、せっかく草刈さんが晩飯作ってくれたみたいだからさぁ」

「あたしはもう帰るわよ。久弥くん、いつも通りで何も問題ないからね」

「そうなの?」

「そうよ」

 久弥に返しながら草刈殿が忘れ物が無いかと確かめ、風呂敷を抱えあげた。

「あぁ、草刈殿」

 見送りがてらに立とうとしたが、疲れで上手く立てなかった。

「無理しなくて良いわよ。それと、明日は仕事で時間取れないから、明後日に連れて行って貰っていい?」

「分かりました、迎えに上がります。家は魚河岸裏でしたよね」

「え、あたし、あんたに家の事言った記憶無いんだけど」

 ……しまった。和一殿(ひと)から聞いた話とはいえない。

「十重さんから聞いてたのかしら。まあ、魚河岸裏の火消番所の付近だから、あたしが此処に来た方が早いでしょ」

「二人でどこ行くの?」

 オレ達のその話しには食いついてきて、久弥が部屋の中に入ってきた。

「あー……」

「オレの実家だ」

 言い躊躇う草刈殿に気が付かず、明かせばまた、久弥が壊れた人形のように踵を返した。

 さっきから何をしているんだ。

「ちが、違うからね!」

「ぉうわっ!」

 慌てて久弥の手を取って、力一杯に引き止めた草刈殿から何故か、ギロリと睨みつけられた。

「いや、間違ってないですよ……?」

 少しは軟化して貰える様になったかと思ったのに、振り出しに戻った気分だ。

「まあ、手当ての基礎を教えて貰いに行くだけだ」

「そう! それよ。教えて貰いに行くだけよ!」

「え! 良いなぁ。そういう事ならオレも冬臥先生の実家に行ってみたい」

 案の定言って来たが、それだけは出来ずに首を横に振った。

「済まんがそれは出来ない。今回は影の勤めの一環で行くからな。第一、時川殿の許可も無く連れて行けるか」

 そう言うと「うえぇ……いつか連れて行ってくださいよぉ」と未練をたっぷりと残しながら、諦めてくれた。

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