年の瀬の凶兆
新たな一年を迎えるため、オレたちはその準備に追われていた。
后守家、実家の掃除は……母達に任せることになるが、本邸の掃除はそうもいかない。
大和の部屋の掃除と書庫の本の虫干し、障子張替え……そのへんは、オレと師が受け持ったのだが、前回の虫干しより明らかに本の量が倍には増えていた。
読書好きと言うのは知っていたが、いつの間に部屋の片隅が埋もれるほどの量を集めたのか、少々疑問に思う。
「どうしたの? 十斗、頭抱え込んで?」
「いや、どこから手を付けろと?」
「んー……多分、その手前から始めれば終わると思うよ。大丈夫、大晦日までは後五日もあるんだから」
「……大和、この場合は“五日しかない”と思うんだが」
大和の部屋は二間続きだ。そのうちの片部屋の半分が本で占領されていると言う光景ならば言いたくもなる。
「ほら、十斗。早く始めないと直ぐに時間がなくなるぞ」
「はぁ……」
溜息とも解らない返事を師に返し、手早く虫干しを始めた。
学問関係の本は以前と変わらぬ量だったが、代わりに増えていたのは大陸言語の本や伝奇小説などだ。
確かに、伝奇小説などは面白そうとは思うが、大陸言語を読むのは苦労しそうだ。
それならば近場で手に入る本の方が数倍マシ。
「気になるなら貸すよ? こういう小説が嫌いじゃなければ、だけど」
小さく笑いながら大和も数冊の本を傍らに置き、頁に風を送っていた。
「嫌いじゃないけど、訳しというのは……苦手だな」
「そんなに文法が変わってるわけじゃないから、十斗なら直ぐに慣れるよ。今度、そっちの言語読解の本も貸すよ。ほら、これなんかかなり解りやすいよ」
そう言った大和は側に置いてあった本を手に取り、広げて見せた。
主体となる文法の説明の横には単語の意味が記されていた。確かに、わかりやすそうだな。
「お二人とも、手が止まるようならば一仕事頼んでしまいますよ」
苦笑交じりに師が諌め、庭を掃くために用意していた箒を払えば、パッと舞った雫にほんの僅かにオレの方へ気配を向けた。
「十斗……お前は、最後の手入れを怠ったな」
にこりと笑った師に、オレは思わず冷や汗が流れていた。
「雪解け後は、箒が傷みやすいから気をつけろと言っただろう」
「……はい。申し訳ありません」
軽い仕置きを受けたのは大和が奥にある本を取りに行った一瞬。
それでも、大掃除の三分の一を終えたオレたちは昼食を兼ねての休憩に入った。
「十斗、見てたよ。また紀代隆に怒られてたね」
「……見てみぬ振りをして欲しかったんだが。それより本当にお館様達に付き添いしなくて良かったのか?」
「いいよ。だって、養子の僕が居ても神名木が困惑するだけだろうし。実際、受け継ぐのであればまた違うんだろうけど」
「あ……」
これだけ長い時を共にしていたせいか、つい大和が養子として入ったのを忘れていた。
御剣家は代々男が当主を継いで行くが、正妻であった椛様の御子は灯里様だけ。
後妻を娶らず大和が居なければ、御剣は……どうなっていたのか。
……しかし、それを言うなら何故、お館様は養子と言う手段を取ったのだろうか?
父上と同じ歳と聞くし、まだお若いのだから新たな奥方様を娶り、その方が男児を生めばそれでも良かったのではないのだろうか?
まあ、オレが考えても詮の無い事なのだろうが。
「どうしたの、僕と二人での食事は物寂しい?」
「そんな事はない! というか、こうしている事自体がまずおかし……いや、なんでもない」
共に膳を並べている事自体は何もおかしくは無い。おかしくは無いのだが、それがオレの部屋と言うのがおかしい。
「だって、広間は父上が居ない今のうちにって大掃除の途中だし、かといって厨近くに居たら十斗がまたみんなに怒られ、それもまた面白かったかな?」
「やめてくれ」
「冗談だよ。でも、灯里が居ないのはちょっとつまらないな。夕方には帰ってくるって話だけど……何気に初めての外だからね、父上が下手に甘やかしてないかが心配だよ」
確かに、お館様は灯里様に対しては些か甘い。
しかしそれを言えば大和に対しても同じように言える気がする。
今回の本の一件然り、外出もオレが居ればよいと……霜月分家までも認めている。
オレはこの家しか知らぬから他の武家などがどうなのかは解らないが、大事な嫡子をそう簡単に表に出してよいのか……
「十斗、考え事すると直ぐに表情に出るよね。気づいてる? 凄い難しい顔してる」
「そうか? 気をつける……」
「見てると面白いけどね」
怒りたいところだが、それも大和に何処まで通じるのだろうか。
食事を終えたオレは大和の空いた膳を持って、一足先に部屋をあとにした。
膳の片づけを済ませ、少し急いで今度は大和の部屋へと向かった。
ある程度の下準備を済ませておかねば、あの部屋を二、三日で片付けきれる自信は無い。
それに灯里様の部屋の片付けの手伝いもある。家具など女手では運び出すには荷の重たい物を運ぶよう言付けられていた。
……最後の年だ。師の手を最後まで煩わせる訳にはいかない。
まだ、蔵の掃除も残っているし。
「后守の! 后守殿、お待ちください!」
呼び止められ、振り返ると息を切らせて小走りに近づく侍女が居た。
記憶違いでなければ、お館様たちと一緒に出掛けたはずの一人だ。
「如何なさいました? そのように慌てられて……」
「あぁ、十斗殿……紀代隆殿はご一緒ではないのですか?」
荒い息を整える事も無く、途切れがちに尋ねられたが食事を共にしてはいない。
緩く首を振ったが、恐らく部屋に居るはずだ。
「紀代隆様に火急の用とお見受けいたしますが?」
「それが、それが……姫様が、行方知れずと……わたくしはどうすればっ」
混乱している侍女はついに泣き崩れてしまった。
オレは、その突然の知らせを直ぐに理解できず誰かの、大和を止める叫び声を聞くまで動けなかった。