第十九話 狼の記憶、または駄犬の裏切り
今、こうして牢に閉じ込められている時、思い出したのは、亡き俺のじいさんのことだ。幼い頃、異端となった俺は、両親にとっては忌み嫌うべき存在。マジョランへの報告を止めさせてくれたじいさんは俺の命の恩人。じいさんの住む、町はずれの小さな家で俺とじいさんは二年間過ごした。狼に変身するこの能力を自在に操ることができるようになったのも、じいさんのおかげ。感謝してもし足りない。
恩を返すことも出来ないまま、じいさんは二年後の冬に死んだ。それを機に、両親が町の人に吹聴し、マジョランへも報告した。領主の使者が来るまで、俺は暴行を受け続けた。その頃、家畜の、特に豚の病気が流行り、俺は疑いをかけられた。能力を使って、自分に危害を加えた者に復讐しようとしている、そう言われた。頷かなければ拷問にかけられた。頷けば処罰として、また拷問にかけられた。死んで腐りかけの豚を生で食べさせられた。以来、肉は受け付けなくなった。
マジョランからの使者が到着し、俺はマジョラン邸のある町で処刑されることになった。両親と町の人たちには謝礼金が払われた。
断頭台から見下ろすと、多くの人が俺の処刑を見に来ていた。振り返り、一段高く作られた台座の上に腰掛ける、マジョラン家当主。冷たく嘲笑う顔。
「いずれ、お前もこうなる」
俺は思い出していた。前世で主を裏切った奴のことを。前回の断頭台からの景色と今の景色、余り変わりはない。
「……処刑を中止する」
当主がそう言ったのは、俺が覚悟を決め、処刑執行人の前に首をさらした時だった。酷くうろたえている当主。
「各自、普段の生活に戻り、今回の処刑のことは忘れてください」
集まっていた人たちは当主の言葉を聞くと、何事もなかったかのように去っていった。唖然とする俺。後ろから当主が言う。
「生まれ直されては都合が悪い。異端の森へ追放する」
その夜、俺は密かに異端の森へ捨てられた。
森での生活は自給自足とはいえ、充実していた。リージンが現れ、森の中が整い、便利になった。俺は何時しか、主を求めるようになった。主はとっくの昔に死んだ。死の間際、来るべき時が来れば再び俺たちの前に現れる、そう言った。
正直に言えば、俺は焦りすぎて主の役目をリージンに与えてしまったのだろう。奴の魂が何らかの拍子に分裂し、当主とリージンがそれを共有していたとは思いもよらなかった、という言い訳をしようと思えばできるが、最終的に誤ったのは俺 。
森の皆との信頼関係もリージンの影響力の前には無意味だった。こうなれば、あとは死を待つのみ。皆は気付かないだろう、自分が捨て駒にされようとしていることに。
俺にもっと力があったなら、リージンを屈服させ、皆を従わせるだけの力があったなら。そう思わずにはいられない。皆を守るための力、全てを従わせる力が欲しい。
「力が欲しい?」
急に声が聞こえ、辺りを見渡す。……誰もいない。そもそも、声が聞こえるわけがない。今、この森には誰もいないのだ。
「とうとうおかしくなっちまったか」
「おかしくなっていれば、私の声は聞こえないわよ」
ふっと横を向くと、女がいた。
「い、いつの間に!」
「そんなことはどうでもいいの。私は、力が欲しいかって聞いているの」
「何で、そんな……」
「違うの? 私なら、あなたに全てを服従させることができる程度の力を与えることができる」
女の笑みは妖艶で美しい。そうだ、俺は力を悪いことに使おうとしているんじゃない。皆を守るためだ。ためらう必要などない。
「力が、欲しい」
「素直な子は好きよ。名前を教えて」
「ギルディ」
「あら、言葉が足りなかったわね。前世の名前よ」
「爪と牙を持つ者」
「爪と牙を持つ者、ギルディ。汝に力を与える。代償に我が主ケイルの命が尽きるまで、身を粉にして、主の為に尽くせ。その命は我が主ケイルの下僕なり」
そこで俺の意識は途切れた。