第十話 始動
「リージンさん、起きてください」
「ん~……あと1時間だけ……」
「長すぎです!! 早くしないと、」
ひゅっと空を切る音が聞こえて、瞬間に脇腹を貫くような激痛がっ……。
「いつまで待たせんだ、若作り野郎」
「だから言ったのに」
さっきのはマリオンの爪だったらしい、って殺す気か!? その後ろに立つ絶対零度の雰囲気を纏いこちらを睨み付けているギルディを見て、口から出掛けた文句を急いで引っ込めた。
「で、こんな朝っぱらから何の用だ?」
「もう昼です」
「そっかそっか、もう昼か。アリス、ありがとう」
「いえいえ」
「ラブラブするなら後にして、つーかアタシのアリスに触んな、ジジイ」
嫉妬の声は聞きません。何がラブラブだ、アリスを膝の上に座らせて頭を撫でてあげているだけだというのに。アリスがいたら愛でる、これは鉄則。いろいろ悩んでみたが吹っ切れた。
愛するなという方が無茶だ。こんなに愛らしいアリスを愛せない奴は外道だ。
「リージンさん、そろそろ下ろしてください。ギルディさんが恐いです」
うん。気付いてたよ。現実逃避してただけさ。アリスがそそくさと逃げて行くと、ギルディは口を開いた。
「時は来た。あなたが新たな主になってからこの森は安定した。我々のかつての主の魂を持つ者。しかし、あなたが気休めにと、数年前にかけた守りは、今宵アレの手によって破られるだろう」
言い終わる頃にはギルディの姿は、大狼のかたちをとった。隣のマリオンもまた然り。彼女は古代の猫神の姿に。途端に辺りに魔力が満ち、リージンの家周辺は一面に、異端と呼ばれる者たちで溢れた。
「主様、アンタがここへ来た日、アンタは怒り狂っていた。ヒトとは何だと、異端とは何だと、怒り狂っていた。森を破壊しても、アンタはアタシら異端を傷つけなかった。アンタは気づいていなかったかもしれない。でも、アタシはあの日、アンタを主と決めた。アンタが、ヒトも異端も人だと言ってくれたから」
ずっとこの森へ虐げられて捨てられてきた。ずっと一緒にいたのに、突然変異で異端になった者は、周囲のヒトから捨てられた。生まれながらの異端は実の親の愛も知らず、この世に生を受けてすぐにこの森へ捨てられた。
憎い。それ以上に悲しかった。
また一緒に笑い合いたい。
また一度でもいいから優しさをちょうだい。
一度だけ。それ以上は望まないよ。
もう一度、もう一度だけ、愛を……
異端たちの嘆きの声。最早、人の声を出せない者もいる。鳴き声 泣き声 叫び声。それを目を閉じて聞いていた。
森の主になるつもりなど元々なかった。
兄に呪いをかけられ、マジョランの言霊で操られ、気づいた時には、人々を何人も傷つけ、殺めた後だった。言霊のせいだと、かつて兄がしたように弁解はしまい。どうしても、この手が血染めになった事実は変わらないのだから。
兄は奴らの言霊に操られやすくなった。奴らがそれとなく望みを仄めかせば、それを何としてでも叶えようとする程に。実際、ここへ追放されたのも、反旗を翻した俺をマジョラン当主が兄に追放するように願ったため。実の家族、しかもたった一人の双子の弟を手にかけようとした。幸い、死にはしなかったが、ぼろぼろの姿でこの森へ捨てられた。
「貴様も異端か」
兄からの最後の言葉。
その日、マジョランも兄も滅ぼすと決めた。ヒトと異端が同じ悲しみを味わうことがないように。
森の主になった。
今も呪いはこの身を蝕む。
されど、命も痛みも終わることはない。
憎んでも憎んでも、憎みきれない、兄との繋がり。
さて、そろそろこの舞台を終わらせようか。