真面目な後輩、不器用な先輩
鴨下哲也、20才。最近、気になる先輩がいる。
「……ん、カモ?どうしたの?」
「あ、いえ、別になんでも」
今も遠巻きに先輩を眺めていたのを見つかってしまい、言葉に困ってしまった。
笹倉綾乃。俺のいる大学のサークルの一年先輩。
現在、俺は彼女に惚れている。片思い真っ最中だ。
しかし笹倉先輩はあまり評判が良くない。
クールビューティと言えば聞こえが良いが、つまるところ壊滅的に愛想が無く、口が悪い。
そして本人もあまり直す気が無いらしい。
だから一部からは「冷たい人間」「美人だから気取っている」という評価を受けている。
実際、俺もこの間までそうだった。
サークル内では美人であるにも関わらず恋愛対象ではなく、恐ろしい先輩としての恐怖の対象であり
『美人だけどちょっと……』
『とりあえずあの先輩、笑ってた方が絶対可愛いよな』
というのがサークルの後輩男子たちの総意でもあった。
――――――昔から、人が恋に落ちるのに理由はいらない、と言うらしい。
しかしその法則は俺には当てはまらず、切っ掛けと思われる出来事が存在する。
しかし、「恋心」そのものはどうでもいい些細なことから始まるというのは法則通りであった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その日、笹倉先輩から俺のケータイに電話がかかってきた。
時計を見るとすでに夜の10時を越している。
こんな時間に?あの恐ろしい先輩から?
果たして自分は何をやってしまっただろうか、という不安に襲われながら電話に出ると、向こうからは予想外の言葉が出てきた。
「あ! もしもし、カモの家って確かネコ飼ってるよね?」
「…………はい?」
「だから、ネコ飼ってたよね? ほら、確か言ってたじゃん」
「……えっと」
「よしっ!決まりっ!あのさ、ネコもらってくれない?」
「あの……すいません、飼ってるのイヌなんすけど」
「ええっ!? なんで!? あんたネコはどうしたのっ?」
「あの、落ち着いてください先輩……」
――――――どうも笹倉先輩の言うことには
『自分のバイト先に子ネコが捨てられていた』
『一週間以内に飼い主を見つけないと保健所に連れて行かれる』
『だから今、何とかして飼い主候補を探している』
らしい。
しかしさっきも言ったように我が家で飼っているのはイヌである。なんでと言われても困ってしまう。
ネコも飼ってない。
「というか俺以外に誰かに連絡したんすか?」
「してない。鴨下家が飼ってくれると思ってたから」
「何で勝手に決めてんすか、そもそも自分の家で飼ったら良いじゃないですか」
「うちは賃貸だからペット飼えないんだよ」
「ああ、そりゃしょうがないっすねえ」
しばらくの沈黙の後、先輩は申し訳なさそうに呟いた。
「……カモさあ」
「はい?」
「一緒にこの子の飼い主探し手伝ってくれない?」
「俺がですか?」
「世話だけで良いからさ。私、動物飼ったことなくて」
「ああなるほど……わかりました、良いですよ」
「ほんと?」
「……というかそのネコどこにいるんです?」
「え?」
「一時的に預かるくらいなら親に掛け合ってみますよ」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
しばらくして子ネコは、無事に飼い主を見つけることができ、俺の中のちょっとした騒動は終わりを告げた。
しかしその前後、俺の中での笹倉先輩のイメージは、かつての「血も涙もない」笹倉先輩のイメージとはまるで違っていた。
子ネコの飼い主を捜すため、先輩が自分のバイトを休んで奔走したことを知っている。
鳴きつかれて眠った子ネコを「死んでしまった」と勘違いして涙目になって慌てていたことを知っている。
飼い主が見つかった時にはニヤニヤしながらガッツポーズをこっそりしたことを知っている。
一時預り所となっていた我が家に対するお礼を、こちらが恐縮するほど丁寧にしてきたことを知っている。
でも他のみんなはそれを知らない。
その後、「絶対に誰にも言わないように」と先輩にキツく口止めをされたからである。
先輩もいつも通りの「無愛想で冷たくて笑えば美人」の笹倉先輩でいる。
どこか納得のいかない俺は、笹倉先輩に問い詰めた。
「笹倉先輩、この間のことみんなに言った方が良いっすよ」
そう言うと、先輩はいつもと変わらぬ愛想の悪さで即答してきた。
「え、なんで?」
「……だって、みんな先輩のこと血も涙もない人間だと思ってますよ」
「いいじゃない、わたしは愛想も悪いしさ」
「正直、俺も最初は思ってました。でも違うじゃないですか。先輩はもっと良い人だって広められるチャンスなのに、なんかもったいないじゃないですか」
黙って耳を傾けていた先輩はそれを聞くとどこか面白そうな顔をした、ように見えた。
表情を変えずにある程度の感情を表現できる、不思議な先輩の特技だ。
「あのさあ、カモ」
「はい」
「私が君を誘ったのはみんなに宣伝してほしいからじゃないよ? カモは私を助けてくれるかもと思ったからだよ?」
「……」
「言いたいことはわかるけど、それは私の中のルールが許さないかなあ」
「ルールっすか……」
ほんとにこの先輩はいまいちよくわからん。
「いいじゃん、別に。うん、わかった大丈夫、カモの気持ちはわかったから」
そういって今度は優しげな表情をした、ように見えた。
俺も今度はそれでよしとした。先輩がそこまで言うなら無理に俺が広めるのは失礼だろう。
「そこまで言うなら……わかりました」
「わかっていただけて何より」
少し茶化した言い方をした後、先輩は少し照れくさそうに言った。
「……カモ」
「はい?」
「ありがとね」
そう言って、俺に微笑んでくれた先輩は、優しげなどこにでもいる女の子だった。