第一話 やる気のない朝
「腹減った……」
空腹の為に目を覚ました青年はそう呟いた。
「そういえば昨日は晩飯食わずに寝たんだっけ……」
そのせいかと納得したものの、起きて朝飯という気にはならないらしい。
「だるい……たまには美味い飯食べたい……」
寝癖でボサボサになった頭を掻きながら寝返りをうつ。
青年の名はレイドット。
深淵迷宮に潜りアイテムを得ることで日々の生計を立てる冒険者だ。
赤みがかった金髪に青い瞳。歳は十八。今はなんともやる気のなさそうな寝ぼけ顔だが、しゃっきりとさえしてさえいれば、まあ整った容姿だと思われる。
彼がだらしなくいつまでもゴロゴロしていると、誰かがドアを叩く音がした。
「兄さ〜ん、起きてるかい」
声ですぐ弟のラクスだとだとわかる。
「ああ……勿論起きてないぞー」
まるで気のない返事をしながらベッドから這い出す。気分的には居留守を使いたいところだが、弟には色々と借りがあるため、あまり邪険に出来ない事情があった。
ドアを開けると人懐こそうな笑みのラクスが袋を持って立っていた。ラクスはレイドットより二つ年下だ。栗色の髪に黒い瞳で、この若さにして小さいながらも武具店を経営している。
「おはよう兄さん。あがっていいかい」
「んー」
「じゃ、お邪魔するよ。今日はいつものアレ持って来たから」
「……すまん。助かる」
テーブルの上で口を開けた袋の中には、案の定というか、予想通りポルカの耳が入っていた。
ポルカというのは野菜や肉を挟んで食べるパンのことで、通常は切り取った耳は捨ててしまう。しかし、その耳こそが最近のレイドットの主食であり、朝飯に食べる予定だったのもこれであった。
「…………」
少し情けなさそうな顔で袋の中身を見詰めるレイドット。
「兄さん顔色悪いよ?たまには栄養あるもの食べないと」
「食べたいのは山々だがな……」
「ひょっとしてまだ三十層行ってないの?」
こくり――レイドットは黙って頷いた。
一般に深淵迷宮では三十層を超えないと採算が合わないとされる。それまではギルド組合費やら諸経費やらで赤字になるのが通例だった。
「ちなみに今何層?」
「……二十七層」
「うわー、それ微妙!兄さん三十層なんてすぐ行けそうなのに、今だに一人で潜ってるの?」
「そりゃ実力がアレだしなぁ……かといって、仲間探すのも面倒」
「うわー、いつもの兄さんだ」
「そりゃあ人間、そうそう変わるもんでもないし。あ、ラクスお茶くらい飲んでいけるんだろ?茶菓子くらい出すぞ」
セナブル茶と茶菓子を用意し、テーブルに置く。セナブル茶は苦みの中にも甘さのある一般的なお茶だ。
ラクスは目の前に置かれた茶菓子を見て小首を傾げた。
「あまり見たことない茶菓子だね……おいしいの?」
「おいしいかってお前、それ失礼だぞ。黙って食え」
レイドットはにやりと菓子をすすめる。ラクスは恐る恐る菓子に手を伸ばした。
カリッ――
軽い歯ごたえと共に香ばしい味わいが広がる。
くどすぎない甘みと、何かのハーブの香りまであって、中々に美味いと思えた。
「あ……これおいしい」
「だろ?元がポルカの耳にしては」
ニコニコと微笑むレイドット。ラクスは素直に頷いた。
「じ……自家製……ポルカの耳……。さすが兄さん、相変わらずの器用貧乏っぷり。ひょっとして菓子屋の才能まであるんじゃ……」
「ぐは……俺にあるのは冒険者の才能であって欲しいと願ってるよ」
「しかし兄さんってホント昔から何でも器用にこなすよねー。どんな職業でも成功するんじゃ……
冒険者以外なら」
「ぐはー!」
「ていうか、なんでドラゴンギフトなんて持ってるのに今だに三十層行けないのか不思議だよねー」
「ぐはー!」
「ポルカの耳かじってるドラゴンギフト持ちの冒険者なんて、普通ありえないよねー」
「ぐはー!」
心えぐるラクスの言葉にレイドットは悶絶した。
ドラゴンギフト――それは創造神アレグスからの恩寵とされる。前世において創造神アレグスの歓心を得た者は、褒美として肩に竜をかたどった紋を授かると言われていた。竜はアレグスの生み出したモンスターの中でも最強の存在だ。従ってそれをかたどった紋は力の象徴ともいえる。
一般にドラゴンギフトを持って生まれた者は、高い戦闘能力、魔法能力等を有する。ゆくゆくは国防の要職に召し抱えられたり、貴族の養子に迎えられたりする事が多い。
だが例外はある。
ドラゴンギフト所有者といえど、必ずしも高い能力を持つわけではない。
弟が帰った後、レイドットは迷宮へ潜るための装備を整えた。
革の鎧とロングソード、そして各種薬品やアイテムを確認し、準備を終えたレイドットは冒険者ギルドへと足を運んだ。
ギルドは石造り三階建ての大きな建物だ。正面からの見た目よりずっと奥行きのある構造で、それぞれの目的で利用する冒険者を、多い時には数百人から見ることができる。
迷宮に入るにはギルドに所属する必要がある。
ギルドは様々な情報やサービスを提供してくれる。
例えば迷宮に出現するモンスターの性質、パーティーメンバーの募集情報。また、申請された期日を過ぎても迷宮から戻らない冒険者の捜索等もギルドの仕事だ。
レイドットは受付に識別ペンダントを提示して探索予定を伝える。年配の職員がキーコードを唱え、ペンダントに埋め込まれた水晶から情報を読み取った。
「レイドットさん、探索予定は二十七層のみ、予定期日は一日で、単独探索。これで宜しいですね?」
「ええ」
「了承しました。良い探索を」
返却されたペンダントを身につけて転移サークルへと向かう。転移サークルを使用して迷宮に入る場合、指定できるのは階層だけで毎回決まった場所からスタートすることになる。また実力が伴わない者がいきなり深層に潜るのを防ぐ目的から、原則的に十層単位での転移制限が設けられている。
レイドットはギルド加入時の適性試験で三十層まで許可されている。三十層から先に転移するにはまた適性試験を受けねばならない。しかし迷宮内で直接階層を移動する方法でなら何層まででも降りていける。理屈の上では最下層までも。
転移サークルはギルド一階の奥にある。利用する冒険者のほとんどがパーティーを組んでいて、レイドットのように単独で潜ろうという者は少ない。
床で青白い薄光を放つサークル内に立つ。転移コードを唱えると視界が薄明に包まれ、レイドットは迷宮二十七層へと転移していた。