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9.レーネとの取引

レーネの家は、森の少し奥まった場所にあった。


外見はこぢんまりとした木造の家だが、近づくと、窓の縁やドアの取っ手などに、見慣れない紋様が刻まれているのが分かる。魔除けか結界の一種だろう。

中に入ると、薬草や瓶の匂いが鼻をくすぐった。


「……思ったより、ちゃんとしてるな」


床には埃ひとつない。棚には瓶やら乾燥させた草やらが整然と並んでいる。机の上では、小さな鍋の中で液体が静かに煮立っていた。


(さっきの水魔法もそうだけど……ガチの魔法使いだよな、あの子)


軽く周囲を眺めてから、リューは適当に棚の引き出しを開け、予備の服を取り出した。 素材はしっかりしていて、縫製もきちんとしている。


「……いい家だなぁ」


ぽつりと漏れた言葉に、自分で少し驚いた。


さっきまでいた自分の空き家と比べてしまうのだ。

穴だらけの天井、壊れた窓、崩れかけの階段。

それに比べて、この家は静かで、守られていて、ちゃんと「誰かの生活の匂い」がする。


部屋の奥には小さなベッドがひとつだけ置かれており、この家に住んでいるのがレーネひとりであることがすぐに分かった。


レーネの横顔が、ふと脳裏に浮かぶ。


水辺でのクールな表情。

耳まで真っ赤にして、短く悲鳴をあげた姿。

狼を沈めたときの鋭い眼。


(……こんなに強いのに、なんで森の奥でひとりなんだろう)


そんなことを考えながら、リューは服を抱えて森を駆け戻った。



川に戻ると、レーネはまだそこにいた。

こちらに背を向けて、できるだけ露出を減らしながら座っている。だが残念ながら、半分だけお尻が見えていた。


「持ってきた!」


リューが服を掲げると、レーネはほっとするように息を吐いた。


「……遅い」

「そこは『ありがとう』でいいんじゃないかな!?」

「いいから、そっち向いてて」

「あ、はい」


リューは川辺の岩の上に服を置き、その場を離れて、ヤヨイのときと同じように背を向けた。今日二度目の「女の子の着替えを見ない修行」だ。


足元で水がぴちゃぴちゃと揺れ、レーネが近づいてくる気配のあとに、布が擦れる音がした。


(あああ……なんか今日、こういうシチュエーション多くない……?)


そんなことを考えていると、「もういいわ」と背後から声がした。


振り向くと、レーネはすっかり服を着終えていた。

淡い色のワンピースのようなローブ。

髪はまだ少し濡れているが、さっきまでの裸の姿からは想像もつかないほど「落ち着いた魔法使い」の雰囲気を醸し出している。


しかし、耳だけは、まだうっすら赤い。


「服、ありがとう。……感謝はする」

「あ、うん。どういたしまして」

「でも、だからといって、あなたを信用したわけじゃないから」


レーネは、川辺の石に腰を下ろし、リューをじっと見つめた。


「で?あなた、何者?」


ここまで来て身の上を隠す理由もない。 リューは、開拓団に騙されたこと、ウィンド領に放り出されたこと、仕事も家もなく、昨日空き家をもらったことなどをかいつまんで話した。


レーネは途中で口を挟まず、静かに聞いていた。


「……なるほど。つまり、どうしようもないわけね」

「言い方!!」


レーネは、少しだけ目を伏せた。


「……私も、人のことは言えないけど」

「え?」

「師匠がいなくなってから、ここでひとりで暮らしてる。森で薬草を集めて、ポーションを作って、たまに街に下りて売る。それだけの毎日」

「師匠、いつ帰ってくるか分からないの?」

「…………そうね、そのうちフラッと帰ってくるんじゃないかな」


レーネはじっと川面を見つめる。その声の奥にはかすかな寂しさがにじんでいた。


リューは、軽い気持ちで質問した自分を少し後悔した。家にベッドがひとつしかなかった光景が脳裏によみがえる。 あれは“誰かが帰ってくる家”ではなく、完全に“ひとりで暮らすための家”だった。


(……本当は、もう戻ってくる見込みはない、ってことなんだろうな……)


リューは気まずい空気を変えようと、ぎこちなく口を開いた。


「えっと……その、水魔法……すごかったよ。あんな大技、初めて見た」


レーネの肩がわずかに揺れた。


「……別に。あれくらい、普通」


ほんの少しだけ、沈んでいた空気が和らいだ気がした。


「私、天才だから」


さらりと言った。


「自分で言うんだ……」

「事実だから。全属性使えるし」

「全属性……?」

「火も、水も、風も、土も、光も、闇も。どれも人並み以上には使える」


軽く言っているが、この世界の一般常識がどれほどのものか分からないリューでも、なんとなく「それがとんでもないこと」ぐらいは理解できた。


(……本当にすごい子なんだな)


尊敬と、ほんの少しの羨望。 それとは別に、「でも、さっきまで全裸で、『ぜんぶ』見ちゃったんだよな」という記憶が脳裏をよぎり、自分の頭をぶん殴りたくなった。


「それは?」


レーネが、リューの足元に置かれた布袋を指差す。


「あ、これ?」


リューは袋から、さっき摘んだ草を取り出した。


「売れるかな、と思って……。もしかしたら薬草かもしれないし、サヨに……詳しい人に聞こうかな、とも思ったけど」

「ちょっと見せて」


レーネはリューから草を受け取り、一本一本、形や匂いを確かめていく。


「これは──雑草。ただの葉っぱ。食べられなくはないけど、まずいと思う」

「これは──毒消しの素材にはなるけど、量が少なすぎる」

「これは──」


淡々と評価していく中で、一枚の葉で指先が止まった。


「……ふうん。これは、まあまあね」

「分かるのか?」

「当たり前でしょ。私は誰?」

「さっき自分で天才って言ってた人」

「その通り」


レーネは、少しだけ口元を緩めた。


「これは、“ウィンド草”って呼ばれてる薬草よ。ここらの森の奥にしか生えない。ポーションの材料になる」

「やっぱり薬草だったのか……!」

「まあ、品質はそこそこ。雑に摘んだにしてはマシってところね」

「辛口評価だな……」


それでも、どの草が役に立つのか分かったのは大きい。


「ありがとう。お礼に、これ……レーネにあげるよ──」

「……は?」


レーネが、ぴたりと動きを止めた。


「裸を“見せた”お礼に、薬草を“くれる”ってこと?」

「ちがう!!今の言い方は絶対に違う!!」

「じゃあ、『薬草を渡す=また裸を見せろ』って意味?」

「もっと違う!!なんでそうなるんだよ!!」


レーネは、相変わらず表情を変えない。

だが、耳だけがまたじわじわと赤くなっていく。


「……本当に、最低」

「だから違うんだって!!俺の話も聞いて!?」


しばらく言い争いのようなやり取りが続いたあと、レーネはため息をついた。


「……とにかく。その薬草は、私が買い取るわ」

「え?」

「ウィンド草は貴重だから。あんたみたいな、いやらしい男からタダでもらうのは、なんか……負けた気がするし」

「負けたって何に!?」


レーネは少し考え込んだあと、くるりと背を向けた。


「……ちょっと来なさい。家まで」


レーネはスタスタと森の奥へ歩き出し、リューは慌ててついていく。



家に戻ると、レーネは棚から小さな革袋を取り出し、ためらいなく紐をほどいた。


「ほら。これが対価」


銀貨を数枚、リューの掌に落とす。


「これで今日のところは貸し借りなし」


掌に乗った銀貨は、リューにとってここ数日の中で一番重みのある金属に感じられた。


(これで……食べ物が買える)


胃の中が空っぽのまま、喉だけ潤っているという奇妙な状態から、やっと抜け出せる。


「また、ウィンド草を見つけたら、持ってきてもいい?」


レーネは、一瞬だけ視線をそらした。


「……裸を要求しないなら、ね」

「要求しない!!二度としない!!ていうか、最初から要求してない!!」

「口ではなんとでも言えるわよね」

「信用ゼロかよ!」


それでも、レーネの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。

それは、さっきまでのどこか「他人を突き放す笑い」とは違う。

照れ隠しのようでもあり、呆れたようでもあり、それでいて、少しだけ「楽しそう」にも見えた。


「……また見つけたら、持ってきなさい。その時は、ちゃんと銀貨を払ってあげる」


レーネのその言葉に、リューは、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。


(……また会ってもいい、ってことだよな)


ウィンド領に来てから、ほとんど「居場所」と呼べるものがなかった自分にとって、「また来ていい」と言ってくれる相手は、それだけで貴重だった。


「分かった。絶対また持ってくる」

「そう……期待しないでおくわ」


レーネは、わずかに──本当にわずかに──笑った。

その笑顔に、リューは一瞬、息をするのを忘れた。


(……かわいい)


その言葉が、頭の中でだけ、そっと漏れた。


「こういうお話、好きだな」と感じていただけたら、

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