9.レーネとの取引
レーネの家は、森の少し奥まった場所にあった。
外見はこぢんまりとした木造の家だが、近づくと、窓の縁やドアの取っ手などに、見慣れない紋様が刻まれているのが分かる。魔除けか結界の一種だろう。
中に入ると、薬草や瓶の匂いが鼻をくすぐった。
「……思ったより、ちゃんとしてるな」
床には埃ひとつない。棚には瓶やら乾燥させた草やらが整然と並んでいる。机の上では、小さな鍋の中で液体が静かに煮立っていた。
(さっきの水魔法もそうだけど……ガチの魔法使いだよな、あの子)
軽く周囲を眺めてから、リューは適当に棚の引き出しを開け、予備の服を取り出した。 素材はしっかりしていて、縫製もきちんとしている。
「……いい家だなぁ」
ぽつりと漏れた言葉に、自分で少し驚いた。
さっきまでいた自分の空き家と比べてしまうのだ。
穴だらけの天井、壊れた窓、崩れかけの階段。
それに比べて、この家は静かで、守られていて、ちゃんと「誰かの生活の匂い」がする。
部屋の奥には小さなベッドがひとつだけ置かれており、この家に住んでいるのがレーネひとりであることがすぐに分かった。
レーネの横顔が、ふと脳裏に浮かぶ。
水辺でのクールな表情。
耳まで真っ赤にして、短く悲鳴をあげた姿。
狼を沈めたときの鋭い眼。
(……こんなに強いのに、なんで森の奥でひとりなんだろう)
そんなことを考えながら、リューは服を抱えて森を駆け戻った。
◆
川に戻ると、レーネはまだそこにいた。
こちらに背を向けて、できるだけ露出を減らしながら座っている。だが残念ながら、半分だけお尻が見えていた。
「持ってきた!」
リューが服を掲げると、レーネはほっとするように息を吐いた。
「……遅い」
「そこは『ありがとう』でいいんじゃないかな!?」
「いいから、そっち向いてて」
「あ、はい」
リューは川辺の岩の上に服を置き、その場を離れて、ヤヨイのときと同じように背を向けた。今日二度目の「女の子の着替えを見ない修行」だ。
足元で水がぴちゃぴちゃと揺れ、レーネが近づいてくる気配のあとに、布が擦れる音がした。
(あああ……なんか今日、こういうシチュエーション多くない……?)
そんなことを考えていると、「もういいわ」と背後から声がした。
振り向くと、レーネはすっかり服を着終えていた。
淡い色のワンピースのようなローブ。
髪はまだ少し濡れているが、さっきまでの裸の姿からは想像もつかないほど「落ち着いた魔法使い」の雰囲気を醸し出している。
しかし、耳だけは、まだうっすら赤い。
「服、ありがとう。……感謝はする」
「あ、うん。どういたしまして」
「でも、だからといって、あなたを信用したわけじゃないから」
レーネは、川辺の石に腰を下ろし、リューをじっと見つめた。
「で?あなた、何者?」
ここまで来て身の上を隠す理由もない。 リューは、開拓団に騙されたこと、ウィンド領に放り出されたこと、仕事も家もなく、昨日空き家をもらったことなどをかいつまんで話した。
レーネは途中で口を挟まず、静かに聞いていた。
「……なるほど。つまり、どうしようもないわけね」
「言い方!!」
レーネは、少しだけ目を伏せた。
「……私も、人のことは言えないけど」
「え?」
「師匠がいなくなってから、ここでひとりで暮らしてる。森で薬草を集めて、ポーションを作って、たまに街に下りて売る。それだけの毎日」
「師匠、いつ帰ってくるか分からないの?」
「…………そうね、そのうちフラッと帰ってくるんじゃないかな」
レーネはじっと川面を見つめる。その声の奥にはかすかな寂しさがにじんでいた。
リューは、軽い気持ちで質問した自分を少し後悔した。家にベッドがひとつしかなかった光景が脳裏によみがえる。 あれは“誰かが帰ってくる家”ではなく、完全に“ひとりで暮らすための家”だった。
(……本当は、もう戻ってくる見込みはない、ってことなんだろうな……)
リューは気まずい空気を変えようと、ぎこちなく口を開いた。
「えっと……その、水魔法……すごかったよ。あんな大技、初めて見た」
レーネの肩がわずかに揺れた。
「……別に。あれくらい、普通」
ほんの少しだけ、沈んでいた空気が和らいだ気がした。
「私、天才だから」
さらりと言った。
「自分で言うんだ……」
「事実だから。全属性使えるし」
「全属性……?」
「火も、水も、風も、土も、光も、闇も。どれも人並み以上には使える」
軽く言っているが、この世界の一般常識がどれほどのものか分からないリューでも、なんとなく「それがとんでもないこと」ぐらいは理解できた。
(……本当にすごい子なんだな)
尊敬と、ほんの少しの羨望。 それとは別に、「でも、さっきまで全裸で、『ぜんぶ』見ちゃったんだよな」という記憶が脳裏をよぎり、自分の頭をぶん殴りたくなった。
「それは?」
レーネが、リューの足元に置かれた布袋を指差す。
「あ、これ?」
リューは袋から、さっき摘んだ草を取り出した。
「売れるかな、と思って……。もしかしたら薬草かもしれないし、サヨに……詳しい人に聞こうかな、とも思ったけど」
「ちょっと見せて」
レーネはリューから草を受け取り、一本一本、形や匂いを確かめていく。
「これは──雑草。ただの葉っぱ。食べられなくはないけど、まずいと思う」
「これは──毒消しの素材にはなるけど、量が少なすぎる」
「これは──」
淡々と評価していく中で、一枚の葉で指先が止まった。
「……ふうん。これは、まあまあね」
「分かるのか?」
「当たり前でしょ。私は誰?」
「さっき自分で天才って言ってた人」
「その通り」
レーネは、少しだけ口元を緩めた。
「これは、“ウィンド草”って呼ばれてる薬草よ。ここらの森の奥にしか生えない。ポーションの材料になる」
「やっぱり薬草だったのか……!」
「まあ、品質はそこそこ。雑に摘んだにしてはマシってところね」
「辛口評価だな……」
それでも、どの草が役に立つのか分かったのは大きい。
「ありがとう。お礼に、これ……レーネにあげるよ──」
「……は?」
レーネが、ぴたりと動きを止めた。
「裸を“見せた”お礼に、薬草を“くれる”ってこと?」
「ちがう!!今の言い方は絶対に違う!!」
「じゃあ、『薬草を渡す=また裸を見せろ』って意味?」
「もっと違う!!なんでそうなるんだよ!!」
レーネは、相変わらず表情を変えない。
だが、耳だけがまたじわじわと赤くなっていく。
「……本当に、最低」
「だから違うんだって!!俺の話も聞いて!?」
しばらく言い争いのようなやり取りが続いたあと、レーネはため息をついた。
「……とにかく。その薬草は、私が買い取るわ」
「え?」
「ウィンド草は貴重だから。あんたみたいな、いやらしい男からタダでもらうのは、なんか……負けた気がするし」
「負けたって何に!?」
レーネは少し考え込んだあと、くるりと背を向けた。
「……ちょっと来なさい。家まで」
レーネはスタスタと森の奥へ歩き出し、リューは慌ててついていく。
◆
家に戻ると、レーネは棚から小さな革袋を取り出し、ためらいなく紐をほどいた。
「ほら。これが対価」
銀貨を数枚、リューの掌に落とす。
「これで今日のところは貸し借りなし」
掌に乗った銀貨は、リューにとってここ数日の中で一番重みのある金属に感じられた。
(これで……食べ物が買える)
胃の中が空っぽのまま、喉だけ潤っているという奇妙な状態から、やっと抜け出せる。
「また、ウィンド草を見つけたら、持ってきてもいい?」
レーネは、一瞬だけ視線をそらした。
「……裸を要求しないなら、ね」
「要求しない!!二度としない!!ていうか、最初から要求してない!!」
「口ではなんとでも言えるわよね」
「信用ゼロかよ!」
それでも、レーネの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
それは、さっきまでのどこか「他人を突き放す笑い」とは違う。
照れ隠しのようでもあり、呆れたようでもあり、それでいて、少しだけ「楽しそう」にも見えた。
「……また見つけたら、持ってきなさい。その時は、ちゃんと銀貨を払ってあげる」
レーネのその言葉に、リューは、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
(……また会ってもいい、ってことだよな)
ウィンド領に来てから、ほとんど「居場所」と呼べるものがなかった自分にとって、「また来ていい」と言ってくれる相手は、それだけで貴重だった。
「分かった。絶対また持ってくる」
「そう……期待しないでおくわ」
レーネは、わずかに──本当にわずかに──笑った。
その笑顔に、リューは一瞬、息をするのを忘れた。
(……かわいい)
その言葉が、頭の中でだけ、そっと漏れた。
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