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5.はじめてのレストラン と 魔物

「よーし!お金も手に入ったし、お昼ご飯行こ!」


マオの屋台を離れると、ヤヨイが元気よく宣言した。


「いい店があるんだよ。ね、サヨ?」

「……うん」


二人に連れられて向かった先に現れたのは──大きな建物だった。街で見かけた中では、ひときわ立派だ。


「ここって……宿屋ですか?」

「そう! ウィンド宿。ここ、私たちの家なんだよ。裏側はレストランになっててね、ランチは私とサヨが手伝ってるの」


ヤヨイは得意げに胸を張った。


「お母さんのご飯と、サヨの料理。めちゃくちゃ美味しいんだから!」


扉を開けると、スープと焼いた魚の匂いがふわっと広がった。

木のテーブルが並ぶ簡素な店内だが、温かい雰囲気がある。既に何人かの客が座っており、昼から酒を飲んでいる者もいる。


「いらっしゃ──って、あんたか」


カウンターの向こうで、アカネがこちらを見た。


「……生きてたようだね」

「はい……おかげさまで」

「それ、初稼ぎかい?」


アカネの視線が、リューの手の中の銀貨に向かう。


「えっと、はい。森でキノコを拾って、マオさんの屋台で買い取ってもらいました」

「ふうん。危ない橋を渡る割には、安い稼ぎだけど……何もせずに空腹で倒れるよりはマシか」


アカネは顎に手を当て、リューをじっと見つめる。


「悪くない判断だよ」


その一言が、やけに嬉しかった。


「座りな。ヤヨイ、注文取って」

「はーい!」


ヤヨイは、エプロンをきゅっと結び直してテーブルを回り始めた。笑顔を振りまきながら、次々と注文を取っていく。その姿は、ただの宿屋の娘というより、立派な“看板娘”だ。


「ヤヨイちゃん、今日も元気だなあ」

「それが取り柄ですから!」


常連らしき男たちと軽口を交わしながら、彼女は忙しく動き回る。


一方、サヨは調理場の奥で黙々と料理をしていた。


野菜を切る手つきは滑らかで、鍋を混ぜる動きには迷いがない。味見をするときだけ、ほんの少し表情が柔らかくなる。


(……すごい……)


二人の無駄のない動きに、思わず感心してしまった。


「はい、お待たせ。今日の日替わり定食だよ」


運ばれてきたのは、温かいスープと、野菜の煮込みと、香ばしく焼かれた魚と、焼きたてのパン。

どれも、素朴だが丁寧に作られているのが分かる。


「いただきます……」


一口スープを飲むと、胃の奥からじんわりと温かさが広がった。


「……美味しい……」


思わずこぼれた言葉に、カウンターの向こうでサヨが一瞬だけこちらを見て、すぐさま視線を逸らした。


「サヨの料理、すごいでしょ?」


ヤヨイが、いつの間にか隣に座っていた。


「……こんなおいしいもの、食べたことないです」


リューがぽつりと言うと、遠くの調理場で、サヨが一瞬だけ手を止め、ほんのり頬を赤くした。


「でしょー?」


ヤヨイが自分のことのように胸を張る。


「サヨの料理、ホント最高なんだから!」


(この空気、いいな……)


厳しいけど面倒見のいいアカネ。明るく元気なヤヨイ。寡黙だけど優しいサヨ。 その中心に、温かい料理と笑い声がある。

ああ、自分もここに混ざっていたい──そう思ってしまった。


「ちゃんと噛んで食べなよ」


アカネが、カウンター越しに声をかけてきた。


「その料理は、あんたが命がけで稼いだお金で手に入れたんだ。ゆっくり味わいな」

「……はい」


リューは、改めて背筋を伸ばして食べた。

食べ終わる頃には、体の芯まで温かくなっていた。


「ごちそうさまでした。本当に、美味しかったです」


アカネはふっと笑う。


「また稼げたら、おいで。……生きてる限り、食べることはやめられないんだから」


その言葉は、厳しさと優しさが半分ずつ混ざっていた。



ウィンド宿を出ると、外の空気は少し冷たく感じた。

空き家へ向かう道すがら、リューはさっき食べた料理の余韻を思い出していた。


(……うまかったな……)


温かいスープ。ふわふわのパン。程よい塩気の焼き魚。そして、ヤヨイとサヨの笑顔。

どれもが、今の自分には贅沢すぎるごちそうだ。

空き家に戻ると、改めて“何もない”現実が目に飛び込んできた。


「……やっぱり、何もないな」


テーブルも椅子もない。食器もない。寝床もない。

だけど、さっきまでいた賑やかな空間を思い出すと、不思議と心は折れなかった。


(いつか、自分の家にも、誰かを呼べるようになったらいいな……)


そんな場違いな夢想すら浮かぶ。

外はすでに薄闇に包まれていた。ひんやりした空気が流れ込み、開け放していた扉をそっと元の位置に戻す。

空腹は、昼に食べた料理のおかげで、今のところ落ち着いている。


(……今日は、まだマシな方か)


そう思った、その時だった。


森の方から、何かが折れる音がした。


パキッ。


「……え?」


耳を澄ますと、木々が揺れるざわめきが、いつもより近い。


「グルルルル……」


低く唸るような声。

背筋が、ぞわりと粟立った。


(まさか──)


リューはそっと窓の隙間から外を覗いた。


月明かりの下、森との境目あたりを、巨大な影が歩いている。


狼。だが普通ではない。背中に木の枝のようなものが突き出し、毛皮は樹皮のように固く見えた。目は青白く光り、その足跡のたびに、地面の草がざわりと揺れる。


「ウッドウルフ……」


誰かが言っていた名が、頭の中によみがえる。

森の魔物。木の魔力を帯びた狼。群れで現れれば、村一つ食い荒らされることもあるという。


今見えているのは、一頭だけ。

それでも、十分に恐ろしい。


(見つかったら、終わりだ……)


リューは慌てて窓から離れ、壁際に身を寄せた。呼吸が浅くなる。心臓の音が、やけに大きく聞こえた。


「グゥゥ……ガルル……」


ウッドウルフの唸り声が、家のすぐ近くまで聞こえてくる。

足音。鼻を鳴らす音。扉の前をゆっくりと歩く気配。


(やめろ……こっち来るな……)


祈るような気持ちで、ひたすらじっとしているしかない。

時間の感覚が、完全におかしくなる。数分なのか、数十分なのか。永遠に続くような静寂と、時折聞こえる唸り声。


やがて──。


足音は、少しずつ遠ざかっていった。


森の方へ戻っていく影が、窓の隙間からちらりと見えた。

どっと力が抜け、リューはその場に座り込んだ。


「……こわ……」


声が震えている。


今の自分には、魔物と戦う力などない。武器もなし、スキルもなし。何かあれば、逃げることすらできなかっただろう。


(強くなりたい、なんて思うのは……もっとずっと先でいい)


今はただ、生き延びるだけで精一杯だ。

床に横たわると、背中がギシギシと抗議の声を上げた。硬くて冷たくて、決して快適とは言えない。

それでも、目を閉じると、昼の温かな光景が浮かんできた。


笑顔のヤヨイ。静かなサヨ。厳しくも優しいアカネ。ぐうたらなマオ。


(……あの人たちのいる場所に、また行きたいな)


そう思った瞬間、心の奥に小さな火が灯った気がした。


「……よし」


誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。


「とりあえず、生きる」


目を閉じると、いつの間にか、眠りが訪れていた。



鳥のさえずりで目を覚ます。


天井の穴から、朝の光が差し込んでいた。相変わらず床は硬く、体のあちこちが痛い。だが、昨日よりは、ほんの少しだけマシに感じた。


「……生きてる」


口に出してみる。

当たり前のこと。でも、この辺境では、当たり前でもなんでもない。

空腹は、また静かに戻ってきていた。


(さて。今日は、どうやって食いつなごうか)


森に行くか。畑を見てみるか。宿に顔を出して、何か手伝えることがないか探すか。

選択肢は少ない。けれど、昨日よりは増えている。

買い取りしてくれるマオの屋台。食事ができるアカネ・ヤヨイ・サヨの宿屋兼レストラン。

ウィンド領での「生きる足がかり」が、少しずつだが形になり始めていた。


「……よし」


リューはゆっくりと立ち上がった。


(やる気と根性を見せて頑張れば──結構モテると思うよ、か)


いや、モテるなんて考えるのは、まだまだ先の話。今の自分が恋愛なんて、夢のまた夢だ。

今はただ、今日一日を生きるために、できることをひとつずつ積み重ねていくしかない。


こうして、リューの三日目が始まった。

ウィンド領の片隅での、ささやかなスローライフの物語が──ゆっくりと、確かに動き出していた。


「こういうお話、好きだな」と感じていただけたら、

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