15.恋愛脳のポンコツ女騎士
「……いててて……」
ボロ家の床の上で、リューはひとり呻いていた。
殴られたみぞおち、何度も打ちつけた背中。
全身のあちこちが、じんじんと痛む。
天井の穴からは、夜の冷えた空気が流れ込んでくる。
すきまから覗く星は綺麗だったが、今のリューにはそれを味わう余裕はなかった。
(……でも、まぁ……)
目を閉じると、さっきまでの出来事が、じわじわと蘇ってくる。
(……なんか、夢みたいな時間だったな……)
リューは、ゆっくりと回想をたどる。
◆
酔っぱらいからサヨを助けて──結果的には女騎士ディアナが全部持っていった形ではあったが──それでも一件落着したあと。
そのままウィンド宿へ連れていかれた。
「よくやったね、リュー」
最初にそう言ってくれたのは、アカネだった。
宿のカウンター越しに、きりっとした瞳でリューを見据え、腕を組んだまま言う。
「無茶は無茶だよ。自分よりデカい酔っぱらい相手に真正面から殴り合うなんて、誉められたものじゃない。でも──“怖くても動いた”ってのは、誰にでもできることじゃない」
アカネの口調は厳しい。
けれど、その目の奥は、ほんの少しだけ柔らかかった。
「うちの娘を守ってくれて、ありがとう。……領長としても、母親としても、あんたに礼を言うよ」
頭を下げられ、リューは慌てて手を振った。
「や、やめてください!俺、そんな……。結局、ボコボコにされただけで……」
「ボコボコにされるって分かってて飛び込んだんだろ?それを“何もしてない”なんて言うんじゃないよ」
アカネは肩をすくめて、にやりと笑う。
「だから、今日は特別。レストランで好きなもの頼みな」
「えっ、いいんですか!?」
「“命張ってうちの娘守った”んだからね。そんなときくらい、素直に甘えときな」
そんなやり取りをしているうちに──
「兄ちゃん、サヨちゃん守ったんだってな!」
「おうおう、やるじゃねぇか坊主!」
宿のレストランに来ていた近所の人たちにも、いつの間にか話が広がっていた。肩をバンバン叩かれ、頭をくしゃくしゃ撫でられ、杯まで掲げられる。
「いや、あの、その……俺は本当に……」
「謙遜すんなよ!」
「そうだそうだ、若いもんが根性見せたら、素直に自慢しとけ!」
(いや、自慢するほど強くないんだけどな……)
そう思いながらも、心のどこかがくすぐったくて、悪い気はしなかった。
そして──
「リューさん、こちらに」
控えめな声で呼びに来たのが、サヨだった。
いつもなら男の姿が見えただけで震えてしまうはずなのに、今日は違う。表情こそ強張っているものの、しっかりとリューの腕を支えながら、部屋の一角にある椅子まで案内してくれる。
「ここ、座って……ください」
「あ、ありがとう……」
腰掛けると、すぐにサヨが薬箱を持って戻ってきた。
「消毒、しますね。ちょっと、しみるかもしれません……」
恐る恐る触れる……のではなく、驚くほどしっかりとした手つきだった。頬の腫れを冷やし、傷を拭き、膝の擦りむきをていねいに処置していく。
距離は近い。
顔と顔が、触れそうなほど近づく瞬間もある。
(……近い……!)
ふわっと、せっけんの匂いがした。
黒髪がさらりと肩から落ち、頬に触れそうになる。
サヨの胸元が視界の端に少しだけ入り、リューは慌てて視線をそらした。
必死に天井を見上げる。
「リューさん……痛いところ、他にありますか……?」
「あ、ああ、その……大丈夫。だいぶ楽になったよ」
「よかった……」
サヨは顔を赤くしながらも、しっかり目を合わせて言葉をくれる。
その様子を見ていた周りのおじさんたちが、にやにやと酒を飲みながら見守っていた。
「なんだか青春だなぁ」
「いいねぇ、若いってのは」
(やめろ、その視線やめてくれ!!)
リューは内心で叫びながらも、どこか悪くない気持ちになっていた。
──しかし。
その様子を、少し離れた場所から見つめている視線があった。
ヤヨイだ。
いつものようにお盆を抱えて客席を回っている。
笑顔も一応浮かべているが、どこかぎこちない。
リューが視線を向けると、ヤヨイは一瞬だけ目をそらし、何でもないように別のテーブルへ歩いていった。
(……あれ?)
胸に、小さな違和感が残る。
(なんか……怒ってる? でも、俺、何かしたかな……)
まったく心当たりがない。
強いて言うなら──
(……裸を見たこと……)
だが、あれは昼間の話だ。
今は関係ない……はずだ。
首をかしげるリューの隣で、背後の席から、ぐてーっとした声が降ってきた。
「ふぁぁ……ええもん見せてもろたわ……」
「マオさん?」
振り向くと、マオがいつものように椅子に座り、背もたれに全体重を預けていた。
糸目は半分だけ開き、口元だけがにやにやしている。
「サヨちゃんに、ぎゅーってしてもろて、怪我の手当てまでされて。ついでに周りからも英雄扱い。……あんた、モテ期の入口やで」
「モテ期ってほどじゃないだろ……」
「ほうほう、“自覚のない鈍感系主人公”やな。そっちの方が面倒ごと増えるで? あんた、これから大変やなぁ」
そう言って、マオは再び背もたれにずるずると沈み込んだ。
そのときだった。
「失礼します」
清澄な声が、レストランに響いた。
振り向くと、そこには銀色の鎧をまとった女騎士──ディアナが立っていた。昼間と同じく、きっちりと結われた長い金髪。きりっとした瞳が、まっすぐリューを捉える。
「先ほどは、ありがとうございました。改めて──ウィンド領騎士団を代表して、お礼を言わせてください」
ディアナは一歩前へ出ると、胸に手を当て、軽く頭を下げた。
「お、お礼なんて……。俺なんか、本当に何もできて──」
「いいえ」
ディアナは、その言葉をぴしゃりと遮る。
「何もできていなかったら、サヨさんはもっとひどい目に遭っていたかもしれません。殴られても、蹴られても、彼女から離れようとしなかった。それは、私にとっても、騎士として見習うべき行いです」
「き、騎士が見習うって、それは言い過ぎじゃ……」
「言い過ぎではありません」
ディアナは真剣な顔のまま、ぽつりと言葉を続けた。
「恋人を守るために身を投げ出す──立派なことです」
「こ、恋人!?」
リューより先に反応したのは、隣にいたサヨだった。
耳まで真っ赤にしながら、椅子から飛び上がりそうな勢いで、
「ち、違います!!」
と叫ぶ。
「こ、恋人じゃ……ないですっ!!」
その声に、レストランの空気が一瞬固まった。
ディアナは、ぱちぱちと瞬きをする。
「……え、違うのですか?」
「ち、違います……っ。その……助けてもらったのは本当ですけど……その、こ、恋人とかじゃ、なくて……っ」
サヨは顔を真っ赤にしたまま、テーブルの上の布巾をぎゅっと握りしめると、耐えきれなくなったように、その場から駆け出していってしまった。
「サヨ!?」
追いかけようと一歩踏み出しかけたヤヨイは、しかし途中で立ち止まり、何とも言えない表情でサヨの背中を見送る。
ディアナは──完全に固まっていた。
「……あ、その……」
さっきまできりっとしていた顔から血の気が引いていく。
しゅん、と肩を落とし、視線が泳ぐ。
「す、すみません……! 私、なにか……その……不適切なことを……」
「ディアナ、落ち着き」
マオが、隣の椅子からひょいと顔を出した。
「……あんた、ほんま恋愛まわり弱いなぁ。ほれ、リュー、紹介しといたるわ。この人がさっきの槍使い、ウィンド領の女騎士様。名前はディアナ。王族の血も入っとる、本物のお嬢様や」
「お、お嬢……」
リューは慌てて背筋を伸ばした。
「ディアナはな、“恋愛耐性ゼロの聖騎士”やから。本人悪気ないねんけど、恋愛話になると途端にポンコツ化するタイプなんよ」
一方のディアナといえば、どこか上の空で、ずっと何かを考え込んでいる。そして、マオの声など完全に無視して、小声でぶつぶつ呟き始めた。
「……“恋人じゃない”……?でも、あんなに必死に守って、抱きしめ合って……あれはもう……」
「あの……ディアナさん?」
「やっぱり恋人……もしくはそれに準ずる関係……いえ、ほぼ恋人……ほぼ確定……恋愛小説の定番展開……」
完全に自分の世界に没入している。それを横で見ていたマオが、呆れたように小さくため息をついた。
「王都の学生時代──ディアナ、セラフィ、うち──で、昔よう恋バナしとったんよ。“いつか運命の人が現れるのかしら”とか、“身分差の恋って燃えるよね”とか、延々と」
「マオ、それ以上は……!」
黒歴史の暴露にディアナの声が裏返った。そして、顔を真っ赤にして、
「わ、私っ、ちょっと用事を思い出したので……!」
と、慌ててその場を離れていく。背中は小さく縮こまり、足取りは明らかに逃げ足だった。
その様子に、リューはしばらくポカンとしていた。
(ディアナさん、強くて、偉くて、完璧……って感じだったけど……恋愛のことになると、ポンコツというか、案外可愛いというか……)
そんなことを考えていると、マオがひそひそ声で耳打ちしてきた。
「なぁリュー。あんた、これからもっと大変やで?」
「なんでそうなるんだよ……」
「だって、サヨちゃんはもう“ありがとう”って抱きつくレベルまで心開いてるやろ?ヤヨイちゃんは、さっきから顔曇らせてるし。ディアナはディアナで、“命張って恋人守るタイプの男の子”って目で見始めてるし」
「待て待て待て、最後のは気のせいだろ」
「気のせいちゃうで。さっきから、あんたのこと見るときだけ、ほんのちょっと表情柔らかくなっとるもん」
言われて、リューはそっと視線をディアナに向けた。
ディアナはアカネと何か話していたが、ふとこちらに視線を向ける。その一瞬だけ、本当に、ほんの少しだけ──自分を見る視線が、わずかに熱を帯びたように見えた。
すぐに、また“騎士の顔”に戻るのだけれど。
(……気のせいじゃ、ない?)
胸が、妙な意味で落ち着かなかった。
◆
「……ふぅ……」
そこまで思い出したところで、リューは大きく息を吐いた。
痛む身体をなんとか横向きにし、破れた天井越しに夜空を見上げる。
(……アカネさんに誉められて、飯も奢ってもらって……サヨにも感謝されて……ディアナさんにまで礼言われて……)
客観的に見れば、かなり“いい日”のはずだ。
殴られまくったことを除けば。
(……でも、一番気になるのは……)
思い浮かぶのは、やっぱりヤヨイの顔だった。
あの、笑っているようで笑っていない横顔。
サヨがリューに抱きついたとき、ほんの一瞬だけ見せた、何とも言えない表情。
(……なんであんな顔、してたんだろうな……)
怒っているような、悲しそうなような、寂しそうなような。
自分には、その理由がまったく分からない。
「……俺、何かしたかな……」
呟いてみても、答えは返ってこない。
そもそもヤヨイは、サヨをなにより大事にしている。
サヨが少しでも元気を取り戻したなら、それは喜ぶはずだ。
(……だったら、あれはただの疲れか……?)
そんなことを考えているうちに、まぶたが重くなっていく。
痛みと疲労に包まれた身体が、ゆっくりと床に沈み込んだ。
最後にもう一度、
ヤヨイが笑っているところを思い浮かべて──
リューは静かに、眠りについた。
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