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15.恋愛脳のポンコツ女騎士


「……いててて……」


ボロ家の床の上で、リューはひとり呻いていた。

殴られたみぞおち、何度も打ちつけた背中。

全身のあちこちが、じんじんと痛む。


天井の穴からは、夜の冷えた空気が流れ込んでくる。

すきまから覗く星は綺麗だったが、今のリューにはそれを味わう余裕はなかった。


(……でも、まぁ……)


目を閉じると、さっきまでの出来事が、じわじわと蘇ってくる。


(……なんか、夢みたいな時間だったな……)


リューは、ゆっくりと回想をたどる。



酔っぱらいからサヨを助けて──結果的には女騎士ディアナが全部持っていった形ではあったが──それでも一件落着したあと。

そのままウィンド宿へ連れていかれた。


「よくやったね、リュー」


最初にそう言ってくれたのは、アカネだった。

宿のカウンター越しに、きりっとした瞳でリューを見据え、腕を組んだまま言う。


「無茶は無茶だよ。自分よりデカい酔っぱらい相手に真正面から殴り合うなんて、誉められたものじゃない。でも──“怖くても動いた”ってのは、誰にでもできることじゃない」


アカネの口調は厳しい。

けれど、その目の奥は、ほんの少しだけ柔らかかった。


「うちの娘を守ってくれて、ありがとう。……領長としても、母親としても、あんたに礼を言うよ」


頭を下げられ、リューは慌てて手を振った。


「や、やめてください!俺、そんな……。結局、ボコボコにされただけで……」

「ボコボコにされるって分かってて飛び込んだんだろ?それを“何もしてない”なんて言うんじゃないよ」


アカネは肩をすくめて、にやりと笑う。


「だから、今日は特別。レストランで好きなもの頼みな」

「えっ、いいんですか!?」

「“命張ってうちの娘守った”んだからね。そんなときくらい、素直に甘えときな」


そんなやり取りをしているうちに──


「兄ちゃん、サヨちゃん守ったんだってな!」

「おうおう、やるじゃねぇか坊主!」


宿のレストランに来ていた近所の人たちにも、いつの間にか話が広がっていた。肩をバンバン叩かれ、頭をくしゃくしゃ撫でられ、杯まで掲げられる。


「いや、あの、その……俺は本当に……」

「謙遜すんなよ!」

「そうだそうだ、若いもんが根性見せたら、素直に自慢しとけ!」


(いや、自慢するほど強くないんだけどな……)


そう思いながらも、心のどこかがくすぐったくて、悪い気はしなかった。


そして──


「リューさん、こちらに」


控えめな声で呼びに来たのが、サヨだった。

いつもなら男の姿が見えただけで震えてしまうはずなのに、今日は違う。表情こそ強張っているものの、しっかりとリューの腕を支えながら、部屋の一角にある椅子まで案内してくれる。


「ここ、座って……ください」

「あ、ありがとう……」


腰掛けると、すぐにサヨが薬箱を持って戻ってきた。


「消毒、しますね。ちょっと、しみるかもしれません……」


恐る恐る触れる……のではなく、驚くほどしっかりとした手つきだった。頬の腫れを冷やし、傷を拭き、膝の擦りむきをていねいに処置していく。


距離は近い。

顔と顔が、触れそうなほど近づく瞬間もある。


(……近い……!)


ふわっと、せっけんの匂いがした。

黒髪がさらりと肩から落ち、頬に触れそうになる。

サヨの胸元が視界の端に少しだけ入り、リューは慌てて視線をそらした。

必死に天井を見上げる。


「リューさん……痛いところ、他にありますか……?」

「あ、ああ、その……大丈夫。だいぶ楽になったよ」

「よかった……」


サヨは顔を赤くしながらも、しっかり目を合わせて言葉をくれる。

その様子を見ていた周りのおじさんたちが、にやにやと酒を飲みながら見守っていた。


「なんだか青春だなぁ」

「いいねぇ、若いってのは」


(やめろ、その視線やめてくれ!!)


リューは内心で叫びながらも、どこか悪くない気持ちになっていた。


──しかし。


その様子を、少し離れた場所から見つめている視線があった。


ヤヨイだ。


いつものようにお盆を抱えて客席を回っている。

笑顔も一応浮かべているが、どこかぎこちない。


リューが視線を向けると、ヤヨイは一瞬だけ目をそらし、何でもないように別のテーブルへ歩いていった。


(……あれ?)


胸に、小さな違和感が残る。


(なんか……怒ってる? でも、俺、何かしたかな……)


まったく心当たりがない。

強いて言うなら──


(……裸を見たこと……)


だが、あれは昼間の話だ。

今は関係ない……はずだ。


首をかしげるリューの隣で、背後の席から、ぐてーっとした声が降ってきた。


「ふぁぁ……ええもん見せてもろたわ……」

「マオさん?」


振り向くと、マオがいつものように椅子に座り、背もたれに全体重を預けていた。

糸目は半分だけ開き、口元だけがにやにやしている。


「サヨちゃんに、ぎゅーってしてもろて、怪我の手当てまでされて。ついでに周りからも英雄扱い。……あんた、モテ期の入口やで」

「モテ期ってほどじゃないだろ……」

「ほうほう、“自覚のない鈍感系主人公”やな。そっちの方が面倒ごと増えるで? あんた、これから大変やなぁ」


そう言って、マオは再び背もたれにずるずると沈み込んだ。


そのときだった。


「失礼します」


清澄な声が、レストランに響いた。

振り向くと、そこには銀色の鎧をまとった女騎士──ディアナが立っていた。昼間と同じく、きっちりと結われた長い金髪。きりっとした瞳が、まっすぐリューを捉える。


「先ほどは、ありがとうございました。改めて──ウィンド領騎士団を代表して、お礼を言わせてください」


ディアナは一歩前へ出ると、胸に手を当て、軽く頭を下げた。


「お、お礼なんて……。俺なんか、本当に何もできて──」

「いいえ」


ディアナは、その言葉をぴしゃりと遮る。


「何もできていなかったら、サヨさんはもっとひどい目に遭っていたかもしれません。殴られても、蹴られても、彼女から離れようとしなかった。それは、私にとっても、騎士として見習うべき行いです」

「き、騎士が見習うって、それは言い過ぎじゃ……」

「言い過ぎではありません」


ディアナは真剣な顔のまま、ぽつりと言葉を続けた。


「恋人を守るために身を投げ出す──立派なことです」

「こ、恋人!?」


リューより先に反応したのは、隣にいたサヨだった。

耳まで真っ赤にしながら、椅子から飛び上がりそうな勢いで、


「ち、違います!!」


と叫ぶ。


「こ、恋人じゃ……ないですっ!!」


その声に、レストランの空気が一瞬固まった。

ディアナは、ぱちぱちと瞬きをする。


「……え、違うのですか?」

「ち、違います……っ。その……助けてもらったのは本当ですけど……その、こ、恋人とかじゃ、なくて……っ」


サヨは顔を真っ赤にしたまま、テーブルの上の布巾をぎゅっと握りしめると、耐えきれなくなったように、その場から駆け出していってしまった。


「サヨ!?」


追いかけようと一歩踏み出しかけたヤヨイは、しかし途中で立ち止まり、何とも言えない表情でサヨの背中を見送る。

ディアナは──完全に固まっていた。


「……あ、その……」


さっきまできりっとしていた顔から血の気が引いていく。

しゅん、と肩を落とし、視線が泳ぐ。


「す、すみません……! 私、なにか……その……不適切なことを……」

「ディアナ、落ち着き」


マオが、隣の椅子からひょいと顔を出した。


「……あんた、ほんま恋愛まわり弱いなぁ。ほれ、リュー、紹介しといたるわ。この人がさっきの槍使い、ウィンド領の女騎士様。名前はディアナ。王族の血も入っとる、本物のお嬢様や」

「お、お嬢……」


リューは慌てて背筋を伸ばした。


「ディアナはな、“恋愛耐性ゼロの聖騎士”やから。本人悪気ないねんけど、恋愛話になると途端にポンコツ化するタイプなんよ」


一方のディアナといえば、どこか上の空で、ずっと何かを考え込んでいる。そして、マオの声など完全に無視して、小声でぶつぶつ呟き始めた。


「……“恋人じゃない”……?でも、あんなに必死に守って、抱きしめ合って……あれはもう……」

「あの……ディアナさん?」

「やっぱり恋人……もしくはそれに準ずる関係……いえ、ほぼ恋人……ほぼ確定……恋愛小説の定番展開……」


完全に自分の世界に没入している。それを横で見ていたマオが、呆れたように小さくため息をついた。


「王都の学生時代──ディアナ、セラフィ、うち──で、昔よう恋バナしとったんよ。“いつか運命の人が現れるのかしら”とか、“身分差の恋って燃えるよね”とか、延々と」

「マオ、それ以上は……!」


黒歴史の暴露にディアナの声が裏返った。そして、顔を真っ赤にして、


「わ、私っ、ちょっと用事を思い出したので……!」


と、慌ててその場を離れていく。背中は小さく縮こまり、足取りは明らかに逃げ足だった。

その様子に、リューはしばらくポカンとしていた。


(ディアナさん、強くて、偉くて、完璧……って感じだったけど……恋愛のことになると、ポンコツというか、案外可愛いというか……)


そんなことを考えていると、マオがひそひそ声で耳打ちしてきた。


「なぁリュー。あんた、これからもっと大変やで?」

「なんでそうなるんだよ……」

「だって、サヨちゃんはもう“ありがとう”って抱きつくレベルまで心開いてるやろ?ヤヨイちゃんは、さっきから顔曇らせてるし。ディアナはディアナで、“命張って恋人守るタイプの男の子”って目で見始めてるし」


「待て待て待て、最後のは気のせいだろ」

「気のせいちゃうで。さっきから、あんたのこと見るときだけ、ほんのちょっと表情柔らかくなっとるもん」


言われて、リューはそっと視線をディアナに向けた。


ディアナはアカネと何か話していたが、ふとこちらに視線を向ける。その一瞬だけ、本当に、ほんの少しだけ──自分を見る視線が、わずかに熱を帯びたように見えた。

すぐに、また“騎士の顔”に戻るのだけれど。


(……気のせいじゃ、ない?)


胸が、妙な意味で落ち着かなかった。



「……ふぅ……」


そこまで思い出したところで、リューは大きく息を吐いた。

痛む身体をなんとか横向きにし、破れた天井越しに夜空を見上げる。


(……アカネさんに誉められて、飯も奢ってもらって……サヨにも感謝されて……ディアナさんにまで礼言われて……)


客観的に見れば、かなり“いい日”のはずだ。

殴られまくったことを除けば。


(……でも、一番気になるのは……)


思い浮かぶのは、やっぱりヤヨイの顔だった。


あの、笑っているようで笑っていない横顔。

サヨがリューに抱きついたとき、ほんの一瞬だけ見せた、何とも言えない表情。


(……なんであんな顔、してたんだろうな……)


怒っているような、悲しそうなような、寂しそうなような。

自分には、その理由がまったく分からない。


「……俺、何かしたかな……」


呟いてみても、答えは返ってこない。


そもそもヤヨイは、サヨをなにより大事にしている。

サヨが少しでも元気を取り戻したなら、それは喜ぶはずだ。


(……だったら、あれはただの疲れか……?)


そんなことを考えているうちに、まぶたが重くなっていく。


痛みと疲労に包まれた身体が、ゆっくりと床に沈み込んだ。


最後にもう一度、

ヤヨイが笑っているところを思い浮かべて──


リューは静かに、眠りについた。

「こういうお話、好きだな」と感じていただけたら、

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