12.サヨの過去 と ヤヨイのお尻
ボロ屋の床に座り込んで、リューとヤヨイは向かい合っていた。
天井の穴から差し込む光が、二人の間にほこりの筋をつくっている。床は固くて冷たいが、この家の感触にも少しずつ慣れてきてしまっている自分がいた。
とはいえ──。
(腹減った……)
さっきから、ぐう、と情けない音が何度も鳴る。向かいで膝を抱えているヤヨイが、それを聞いてくすくす笑った。
「もう、おなかの音、丸聞こえだよ、リューさん」
「うっ……聞こえてた……?」
「聞こえるって。だってこの家、スッカスカだもん。音も風も筒抜け」
そう言って、ヤヨイはわざと屋根を見上げる。栗色のセミロングがさらりと揺れ、光を受けて橙色にきらめいた。
胸が高鳴る。
(……ほんと、かわいいよな)
昨日、水浴びの姿を見てしまったときと同じように、どきりとした。
(って、忘れろ俺!思春期の男子みたいなことばっか考えるな!!)
……いや、実際、思春期の男子なのだが。
「でね、リューさん。今日はどうしたいの?」
ヤヨイが、現実に引き戻すように問いかけてくる。
「ど、どうって……?」
「食べ物。安定して食べられるもの、必要でしょ?」
「……そうだな。本当は畑をやれたらいいんだけど。二日で育つカブがあるって言ってたし」
「あるある。おいしいよ~。シチューにしたら最高!」
ヤヨイの顔がぱっと明るくなる。その笑顔を見るだけで、こちらまで元気が湧いてくる。
「でも……農業なんてやったことないし。鍬も鎌もない。種を買うにも、またお金が必要だし……」
堂々巡りだ。
リューが肩を落とすと、ヤヨイがぽん、と自分の胸を軽く叩いた。
「じゃあさ、まずはお金を稼ごっか」
「……そんな都合のいい仕事が、俺にあるのか?」
「あるんだな~これが!」
ヤヨイは得意げに胸を張る。その動きに合わせて胸元がぴょこんと強調され、思わず視線がそちらに引き寄せられてしまう。
「ついてきて!」
◆
ヤヨイに連れられ、歩くこと数分。
ウィンド宿──彼女たちの家──の横手に建てられた、大きな納屋の前に着いた。
「ここ?」
「うん。ここ。食糧庫兼、いろいろ置き場!」
ギィィ……と、重そうな扉を開ける。
中には、大きな木箱や麻袋が積み上げられていた。乾燥野菜や穀物、保存食。壊れかけの農具や用途不明のガラクタまで混ざっている。
「このへん全部、整理しないといけないんだよ。でも、けっこう重くてさ。私ひとりだと、腰やっちゃいそうで……」
ヤヨイが腰に手を当て、困ったように笑う。
「だから、男手が欲しかったの!」
「なるほど……」
リューは拳を握る。
(ここで役に立てれば……俺にも、この街で居場所ができるかもしれない)
「任せてくれ。こう見えて、そこそこ力は──」
そう言いかけて、近くの麻袋を持ち上げようとした瞬間──
「ぐぎぎぎぎ……っ!!?」
想像以上に重く、全身が震える。
「リューさん、顔まっ赤だよ?」
「ま、まだ……いける……!」
「無理しなくていいよ~?ひ弱なんだから」
「ひ弱って言うな……!」
それでも、頼られた以上、いいところを見せたい。
「ほら、こうして──」
もう少し持ち上げようと力を込めた瞬間──
ぐらっ。
「うわっ──」
「きゃっ!」
足元の木片につまずき、リューの身体は前へ倒れ込んだ。
ドサッ!
二人で床に倒れ込む。リューは反射的に両手をついた──
その両手は、ヤヨイの胸の上にがっつり乗っていた。
柔らかい。明らかに柔らかい。
昨日、視界に焼き付けたおっぱいが、今度は手のひらの中にある。
(っっっ……!!?)
脳が真っ白になる。
「~~~~~~っっっ!!!?!?!?」
ヤヨイの顔が真っ赤に染まる。
「り、りりりりリューさんっ!?な、なに触ってるの!!?」
「ち、違う!!事故!!完全に事故!!」
「事故でこんなガッツリ掴まないでしょ!?今、にぎっってしたよね!?指に力入ってたよね!?」
「す、すみませんでしたぁぁ!!」
あわてて手を離すが、手のひらにはしっかり感触が残っていた。
(やわらかかった……!いや、そこじゃない!反省しろ俺!!)
「本当にごめん!わざとじゃない!!」
「……はぁぁ……」
ヤヨイは胸元を押さえながら大きく溜め息をつく。
怒っている。当然だ。
だが──
「……まぁ、ちゃんと謝ってくれるから、許すけど」
「えっ……?」
「リューさん、昨日もそうだったけど……見たことも、触ったことも、ごまかさずに謝ってくれるでしょ。そういう人なら……そんなにイヤじゃない、かなって」
最後は、小さな声だった。
「いや、でも、俺は本当に悪いことをして……」
「そう思ってるなら大丈夫。ほんとにヤバい人って、自覚ないからね」
ヤヨイが少し笑う。その笑顔に、胸がじんと熱くなる。
「でも!だからって、何回も触っていいって意味じゃないからね!?」
「わ、分かってる!!二度としない!!」
「今、“二度としない”ってフラグ立てたよね?」
「やめろその言い方!!」
二人で言い合いながらも、どこか空気は和らいでいた。
ヤヨイは胸元を押さえて、ぼそりとつぶやく。
「……もう見られただけじゃ、なくなっちゃった……」
◆
作業を再開してしばらく経ったころ。
麻袋を少しずつ移動させていると、ヤヨイがふと真面目な顔になった。
「ねぇ、リューさん」
「ん?」
「さっき“イヤじゃない”って言ったけどさ……。私がこういうのに敏感になってるのって、ちゃんと理由があるんだ」
「理由……?」
ヤヨイの視線が、納屋の一番奥──小さな木箱が積まれた薄暗い場所へ向いた。
「この納屋ね……サヨが襲われた場所なんだ」
「……!」
「ヴァルド・ガルドラン」
その名を口にした瞬間、ヤヨイの周囲の空気がひやりと冷えた気がした。
「そいつは騎士の家系の長男でね。自分で“A級冒険者”って名乗ってるやつ。家と金で護衛を雇って、実績だけかき集めて、偉そうにしてる……人間のクズだよ」
ヤヨイの声には、はっきりとした憎悪が宿っていた。
「サヨが荷物を取りにここへ来たとき、ヴァルドもたまたま泊まってて……」
ぎゅっと拳が握りしめられる。
「サヨのこと、“かわいいな”って目で見てたの、今なら分かる。でもそのときの私は、深く考えてなかったんだ」
指先がかすかに震えていた。
「気づいたら、サヨはここで押し倒されてた。服を無理やり脱がされて……裸にされて……抵抗したら顔を殴られて……」
そこまで言って、言葉が喉でつまった。
「この辺り、全部……サヨの血で汚れてたんだよ」
薄汚れた床に、消えきらない古い染みが残っている。
リューの胸が締め付けられた。
「そのとき、私、たまたま外にいてね。サヨの悲鳴が聞こえて、飛び込んできたの」
ヤヨイは胸元をぎゅっと握る。
「見た瞬間、頭が真っ白になった。とにかく、あいつを殴り飛ばしたくて……サヨを守らなきゃって、それだけ思ってた」
怒りと悔しさが混ざった表情。
「でも……全然ダメだった。逆に殴られて、蹴られて……床に転がされて……」
唇を噛む音がした。
「悔しかった。今でも思い出すと悔しくて泣きそう。サヨを守るって言ってたのに、何もできなかったんだもん」
「……」
「結局、お母さんが駆けつけてくれてね。元冒険者だから、めちゃくちゃ強いの。ヴァルドなんて、一瞬で壁に叩きつけられてた」
ヤヨイは少しだけ笑みを浮かべる。
「その瞬間だけはスカッとした。“やっぱお母さん、かっこいい!”って思ったよ」
だが、すぐに表情が曇る。
「でも……あいつ、貴族なんだよね。ガルドラン家っていう、騎士の家系でさ」
吐き捨てるような声音。
「だから、全部“なかったこと”にされた。サヨが泣いてても、私が抗議しても、“勘違いだろ”って」
重苦しい空気が納屋に沈む。
「それから、サヨは男の人が怖くなっちゃって……。今も、近づかれると震えちゃう」
昨日、自分を見て泣きながら逃げたサヨの姿がよみがえる。
「ヴァルドはね、今もたまにこの街に来るの。宿には入ってこないけど、遠くからサヨをじっと見てる」
ぞわりと寒気が背筋を走る。
「お母さんがいるから手は出してこない。でも、あの目は……諦めてない。“またチャンスがあれば”って顔」
ヤヨイの唇が固く結ばれた。
「だからね、私、強くなりたいの。次に同じことが起きたら、今度は絶対に負けない。サヨを守れるくらいの力が欲しいんだ」
今までにない真剣な表情だった。栗色の髪が揺れ、握る拳が震えている。
リューの胸の奥がじりじりと熱くなる。
(俺なんかが何を言っても軽いかもしれないけど……)
それでも。
「……俺も、守りたいよ」
気づけば、言葉がこぼれていた。
「え?」
ヤヨイが目を丸くする。
「ヤヨイも、サヨも。今はひ弱で足手まといかもしれない。でも……俺も強くなって、一緒に守れるようになりたい」
自分でも分かるほど、手が震えていた。
怖い。本当は怖い。まともにケンカすらしたことのない自分が、ヴァルドのような相手と向き合うなんて、考えるだけで足がすくむ。
それでも──
ヤヨイはぽかんとしたあと、ふわりと微笑んだ。
「……そっか」
その頬が、ほんのりと赤く染まっていた。
「リューさん、そういうところ……ずるいよね」
「え?」
「かっこいいって意味」
胸がどきりと跳ねた。
「ありがとう。嬉しいよ。でもね、無理はしないでね?」
「それは分かってる。でも、少しでも前に進みたいんだ」
「うん。じゃあまずは、この袋、ちゃんと持ち上げるところからだね!」
ヤヨイがリューの苦戦した麻袋を指差した。
「よし、任せろ!」
勢いで言ってしまった。両手で袋を掴み、全身に力を込める。
「ふんっ……!」
持ち上がった。さっきより少し高くまで。
「おー、さっきより上がってる、上がってる!」
「だろ……? 俺だって、やれば──」
その瞬間、足元の干し草がつるりと滑った。
「うわっ!?」
「ちょっ──」
バランスを崩し、ヤヨイの方へ倒れ込む。
ドンッ。
「きゃっ!?」
床に倒れたヤヨイ。その上にリューが覆いかぶさる形になった。
そして──
両手が、ヤヨイのお尻をがっちり掴んでいた。
(……お尻!!)
昨日見た白く丸いお尻。今日は布越しとはいえ、弾力がしっかり手のひらに伝わってくる。
やわらかい。想像よりもずっと。
「~~~~~~~~っっ!?!?!?!?!?」
ヤヨイの全身が、びくん、と跳ねた。
「ちょちょちょちょっと!!? リューさん!!? お尻! お尻掴んでる!! しっかり掴んでる!!?」
「ち、違う!! これは本当に違う!! また事故だ!!」
「おっぱいに続いてお尻って……コンプリート狙い!? ねぇ!?」
ヤヨイは顔を真っ赤にしながら、ぽつりとこぼした。
「昨日はお尻とおっぱい“見られて”、今日はおっぱいとお尻“触られて”……。私の身体、なんでこんなにリューさんにサービスしてるの……?」
「ほんとすみませんでした……」
「……でも」
ヤヨイは少し視線を落とし、耳まで赤くしながら言う。
「リューさんだから、まだマシ、かな……」
「え?」
「“守りたい”って言ってくれたから。だから……その……今回はギリギリセーフってことで。って、いつまでお尻、にぎってるの!?」
「うわっ、ごめん!」
そのときだった。
「……リューさん?」
震えた声が、納屋の入口から聞こえた。
振り向くと、そこにはサヨが立っていた。
黒く長い髪が光を反射して揺れ、外の冷たい空気がかすかに流れ込んでくる。
サヨの瞳が、ゆっくりと状況を認識していく。
──最悪のタイミング。そして、最悪の場所。
「え……」
サヨの顔から血の気が引いていくのが分かった。
「ち、違う! これは違うんだ!! 事故で──」
「ひっ……」
サヨの唇が震える。
「違うって!! サヨ、聞いて!!」
「いや……いやぁっ……!!」
サヨは反転して走り出した。足音が遠ざかっていく。
「サヨ!!」
ヤヨイが慌てて立ち上がり、リューに言う。
「リューさん!! ここは私が追いかける!! サヨ、また誤解したままだとトラウマ増えるから!!」
「う、うん……!」
「あとでちゃんとフォローするから! だから今日はここで待ってて!!」
そう言い残し、ヤヨイは全力でサヨを追いかけていった。
納屋には、リューひとりが残された。
「………………」
しばらく、天井の木の梁を見つめる。
干し草の匂い、汗の匂い、そして過去の血の匂いが、ぐちゃぐちゃに混ざった空気。
思わず、頭を抱える。
(守りたいとか、強くなりたいとか……言っておいて)
情けなさと自己嫌悪で、胸が苦しくなる。
それでも──
(それでも、あの話を聞いて……ヴァルドのことを知って……本気で“守りたい”って思ったのは、本当なんだ)
その気持ちだけは嘘じゃない。
「……俺、ちゃんと強くならないとな」
小さくつぶやく。
納屋の隙間から差し込む光が、ゆるやかに揺れた。
「こういうお話、好きだな」と感じていただけたら、
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