10.串焼き と 水筒
レーネの家を出て森を抜ける頃には、日はだいぶ傾いていた。
木々の影が長く伸び、ウィンド領を包む空気も、昼の熱気から少しずつ冷たさを帯び始めている。
「……腹、減った……」
喉の渇きは、川の水でどうにかなった。
だが、胃の方は依然として空っぽだ。
(銀貨……いくらだ)
掌の銀貨を握りしめる。薬草を買い取ってもらったお金だ。そのお金でウィンド宿のレストランに行こうかとも考えたが──
(今後のことを考えると……あまり高いもの食べるわけにはいかないよな)
そう思った瞬間、足は自然と屋台通りへ向かっていた。
◆
通りの一角。
おいしそうな匂いがふわりと漂ってきた。思わず腹が鳴る。
「おに~さん、串焼き、どうですか~? 焼きたてですよ~」
おっとりした雰囲気の、胸の大きなお姉さんに話しかけられる。柔らかい物腰で、ゆっくり炭をいじりながら串を焼いている。動くたびに、その豊かな胸がふにゃりと揺れた。
「は、はい! 一本……いや、二本ください!」
手渡された串焼きはこんがり焦げていて、ところどころ形がいびつだった。
だが、噛めばしっかりと肉の旨味が広がる。
「……うま……」
腹が空いていると、どんな料理でもご馳走だ。
口いっぱいに肉を頬張りながら、リューは「生きてる実感」というやつを噛みしめていた。
串焼きを二本たいらげ、残りのお金を慎重に数える。
(……よし。ぎりぎり、もう一つぐらい買い物できる)
喉の渇きは、川の水で。
腹は、串焼きで。
そして──もうひとつ、これからのためにどうしても必要なものがある。
(水を運ぶ道具……水筒だ)
いちいち川まで来るのは面倒だし、危険もある。
森の中で何か用事をするときにも、水があればだいぶ楽になる。
そういったものを売っていそうな店といえば──。
リューは、通りの端にある、少し薄暗い屋台に目を向けた。
布で適当に囲っただけの簡素な屋台。
その中で、だらしなく寝そべっている少女がひとり。
どこからどう見ても、やる気のない道具屋──マオの店だ。
「……マオさん」
「……んあぁ……またあんたかいな……」
マオは、相変わらず糸のような細い目を閉じたまま、体を少しだけ起こした。
頬には、さっきまで寝ていたであろう跡がしっかりついている。
「今日は何の用や」
「水筒が欲しい。水を入れられるやつ。皮袋とか」
「水筒かぁ……。あんまり売れへん商品やから、在庫少ないんよねぇ……」
マオは、腰のあたりをごそごそ探り、棚の下からくたびれた皮袋を一つ取り出した。
「これ。ちゃんと水、漏れへんやつ」
見た目は年季が入っているが、縫い目はしっかりしている。
「おお……!それそれ。いくらですか?」
「そうやねぇ……銀貨1」
「高っ!!」
「ぼったくってへんわ。ここ、辺境やで?皮も貴重やし、加工できる職人も少ないし、水運べる道具は命綱や。銀貨1でも、むしろギリギリの値段設定って、自分では思ってるけど?」
「そう言われると、妙に説得力がある気がしてくる……」
「納得しとき。嫌なら川まで走りな」
「……買います」
「まいどありー」
リューは、さっきレーネからもらった銀貨を差し出した。
こうして得た銀貨が、こうしてすぐに消えていく。
でも、それが「生きるための装備」に変わったと思えば、悪い気はしなかった。
「はい、水筒。ちゃんと紐も付いてるから、腰にぶら下げとき」
「おお……」
リューは、思わず感嘆の声を漏らした。
手触りは思ったより柔らかい。
口の部分には簡易的な栓がついており、水が漏れないようになっている。
「これで、川まで行って水汲んでおけば、しばらくは喉乾いても平気やろ」
「助かりました、マオさん」
「別に助けてへんで。商売や。金を受け取って、物を渡しただけ」
そう言いながらも、マオの声には、どこかほんの少しだけ優しさが混ざっているように聞こえた。
「ほな、また金ができたら来ぃ……ZZZ」
言い終わる前に突っ伏して眠ってしまったマオに、リューは苦笑しつつ屋台を後にした。
◆
空き家に戻る頃には、空はすっかりオレンジ色に染まっていた。
屋根の穴から差し込む夕日が、床の上に長い影を落としている。
ひび割れた壁、壊れた窓、崩れた階段。
何もない家の中に、少しだけ新しいものが増えていた。
それは──水で満たされた皮袋。
さきほど川へ行ってたっぷり水を汲み、栓をしっかり閉めて持ち帰ってきたのだ。
「……ふぅ」
床にどさりと腰を下ろし、壁にもたれかかる。
腹は、さっきの串焼きでそこそこ満たされている。
喉は、水筒の水でいつでも潤せる。
体だけは、なんとか生き延びられそうだ。
(問題は……サヨさんか……)
あの泣きそうな顔を思い出すと、胸が締め付けられる。
(ヤヨイがフォローしてくれてるといいけど……。たぶん、俺の評価はマイナスからスタートだよなぁ)
ウィンド領に来てまだ三日目だ。
だけど、すでに心の中には、「気になる人たち」が何人かいる。
明るくて、ちょっと抜けてて、でも芯が強いヤヨイ。
寡黙で、人見知りで、男の人が怖いサヨ。
クールで、天才肌で、耳だけ真っ赤になるレーネ。
(……みんな、本当にかわいい子たちだよなあ……でも、そのうち二人の裸を……)
そこで思考が止まる。
水場で振り返ったヤヨイの、お尻とおっぱいとオ〇〇コ。
川辺で見たレーネの、お尻とおっぱいとオ〇〇コ。
どちらも、恥ずかしそうに、でも必死に隠そうとしている表情が印象的だった。
「……今日一日で、二人も、女の子のすべてを、見ちゃったんだよな、俺」
リューは、両手で顔を覆いながら床に突っ伏した。
「サヨのことで落ち込んでるはずなのに、思い出すのはヤヨイとレーネの裸とか……。死にたい……」
声に出してみると、余計に自己嫌悪が増す。
でも、完全に絶望しているわけでもない。
その証拠に──
(……また、会えるかな)
最後にレーネが見せた、ほんの一瞬の笑顔。
それらが、ぼんやりと心の中で光っている。
「……明日も、生き延びないとな」
誰に聞かせるでもなく呟き、リューは大きく息を吐いた。
そのまま、疲れた体を床に横たえる。
天井の穴から見える空は、さっきよりも少し暗くなっていた。
星がひとつ、またひとつと顔を出しはじめている。
床は硬くて冷たい。
それでも、さっきまでよりは、ほんの少しだけ「まし」な場所に感じられた。
水筒と、穴だらけの家。
昨日よりは前に進んでいる──そんな気がした。
まぶたが重くなっていく。
今日一日の出来事が、映像のように頭の中をぐるぐる回る。
(……明日こそ、誰も泣かせずに一日終えたいな……)
最後にそんなことを思いながら、リューは静かに眠りへ落ちていった。
◆
こうして、ウィンド領に来て三日目の一日は、
水と誤解とラッキースケベと、少しだけの希望を残して、静かに幕を閉じたのだった。
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